完成図は見えたほうがいいのか?
完成図は見えたほうがいいのか?
モノ作り・コト作りにおいて完成図というのは必要なのだろうか?
結論から言うと、その作りたいモノやコトの種類によるだろうし、人それぞれだと私は思う。
「モナリザ」で有名なレオナルドダヴィンチは生涯モナリザに対して筆を加え続けたと聞いたことがある。
そこに設計図はあったのだろうか?
もしかしたらダヴィンチの頭の中に設計図はあったのかもしれない。
もしくはただただ筆の動く限り何も考えずに書き続けただけかもしれない。
未だに完成しない「サグラダファミリア」には設計図がないらしい。
それはガウディの死後スペインの内戦でほとんどの資料が失われてしまったからだそうだ。
でも何故未だに工事が続いているのだろうか?
冒頭で私の結論を書いたがもうちょっと詳しく書いていきたいと思う。
私の結論は作りたいモノやコトの種類によるという投げやりな回答だが、
多人数でモノやコトを作る時、また期限が決まっている時などに関して完成図はあったほうがいいと思う。
ダヴィンチは1人で自由にモナリザを描いていたから期限もなく誰に何を言われるまでもなく、自分の気のすむままにモナリザを描いたのだと思う。もしくは未だに完成していないのかもしれない。
ガウディの設計したサグラダファミリアは期限などあってないようなものだろう。当初から完成するのに300年かかると言われている建物である。ガウディも自分が死ぬまでに完成しないと分かっていたはずだ。
私が言いたいのは、多くのモノやコトを作る際に特に多人数で作る際には、期限がどうしても必要だと思う。
それを作るのに300年かけていいなら誰もそのモノやコトは作らないはずだ。サグラダファミリアが例外なのだ。
だから期限がある場合、特に大人数で何かを作り上げる際には完成図が必要だと思う。例えそれが曖昧でもそれが一応の目標になるのだから。
それが私の結論である。
本日はここまで。