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ちょっとうまくいかない時にこそ

人生の中には物事が比較的スムーズにうまくいっているときと、そうでないときがあると思う。環境や課題と自分自身の特性のマッチング,周囲の人やその時々の状況だったり、いろいろな要素が影響しているだろうが、僕自身のケースで思ったのは、物事が比較的スムーズにいっているときは「なぜうまくいっているか」の改善や振り返りをすることが少ないということだ。

これは物事がうまくいっているのだから、それで十分である以上、何か問題点を探す必要がないためごく自然なことのように思われる。でも実はその時に「なぜうまくいっているのか」について考えてみると、うまくいくケースの再現性が高まるのかな、と思った。

逆にいろいろな理由でなんだか悶々としていて物事があまりスムーズでないと悩んでいるときは、なんとかしようとどこかのタイミングで(僕の場合すぐに何とかしようと思えるケースは少なく、いったんモチベーションの低下や問題からの目のそらし・すり替えなどが出てくるが、そのうち苦しさから打開を求める気持ちがむくむくでてくる)、何がうまくいかない理由なのか自省や分析、振り返りを行うことがある気がする。

これはあくまで個人的な思ったことのメモだけど、自分自身でなんかうまくいかないときに現状を打開してきたり、あるいは初めから比較的順調に物事が進んだときには例えば以下のようなことをやっていたな、と振り返りの中で思った。
主に今まで担当してきた業務・仕事について振り返ったが、日常生活でも応用できると個人的には感じている。

*やることの書き出し・TODOリスト
タスクや課題が複数ある場合など自然とやっていたことが多く、自然とやっていたような部署にいたときは比較的業務がスムーズにいき、パフォーマンス及び評価もよかったと思う。とりあえず書き出してみてデスクに付箋などで張り付けたり、あるいは僕は超アナログだがA4のコピー用紙になにやるかのTODOを書き出していたり、複雑な作業については手順を手書きで書き出してスキャンしてPCに保存したりファイルやラミネート加工して手元に保管したりもした。ものをなくすことが多いのでその対策としてのスキャンである。おそらくTo doリストのアプリなどを使うほうが楽なのかもしれないが、個人的にはTODOについてはアナログ管理のほうがうまくいっていて、予定の管理についてはスマホやPCのカレンダーに忘れる前に入力するほうがあっているな、と思う。


*手書きのメモをとる

今思えばとにかく学生の頃からメモをとることは好きだった。というかおそらく手書きが好きなのだ。もっといえば手を動かしていることで何かしらの衝動が分散されることが心地いい(あるいはそうでもしないと心地悪いのでそれを軽減している)のかもしれない。もちろん学生の頃からノートや教科書は落書きだらけ。テストで余った時間は退席できなければ答案用紙の裏や隅に落書きを書いていた。社会人になってからはなんとなくマナー的な感じで最初はメモをとるよう意識した。ただ、正直なところ書いたメモを見返すことはほとんどないし、メモ自体をなくしたりしてしまうこともあるので、果たして意味があるのかと思うこともあった。ただ、今思うとメモをとるという行為自体が自分の場合には意味があるのだろうなと感じている。あまり推奨できないが、仕事の会議中にも落書きでイラストを描いていたりすることもあり、先輩に笑われたりすることも多々あった。そんな感じだからメモをとることは、どちらかといえば手持無沙汰を埋めるためなところや気晴らし的なところもある気がするが、忘れないうちに本当に必要なところを付箋にしてテーブルに張ったり、1つ前の点のTODOリストにしちゃうというのは今後もう少し意識してもいいかもしれないと思った。


*対話・コミュニケーションを積極的にとる。
自分の頭の中で考えがまとまるタイプと、他人との会話や対話の中でまとまるタイプがあるとすれば自分は後者だろうなという気がする。仕事に関係のあるところや周辺の状況を知っている人だったりに躊躇することなく話をきかえるようなときは比較的自分の中で何をすべきかがまとまり、スムーズに進むことがあった。もちろんほかの人の時間をとるわけなのでこちらからも何か価値提案できるような心がけは必要だが、幸い優しく時間をとってくれる人が多い職場が多かった。逆にここで何らかの躊躇があったりすると自分の場合はパフォーマンスがうまくあがらないケースがあるな、と例えばコロナの時のリモートワーク開始時など、新しいかたちでのコミュニケーションの取り方に戸惑ったときなどに実感した。あと、基本的にモチベーションの構造として何かわかりやすさがないと難しいタイプなので、ごく短期的なゴール設定として時間をとってもらった人に対しての取り急ぎの報告だったりをすることが自然と小さなステップに区切ることになって、次のステップへ比較的スムーズに進むことができるケースが多い気がする。


*球をできるだけ素早く返す

自己分析だが、先延ばし癖と完ぺき主義のきらいがあるので、とりあえずラフでもいいからまず返信や成果物提出を素早くやってすり合わせていく、ということができているときは比較的うまくいくケースが多い気がする。ある分野の営業を担当していた時、とにかくすぐに返信がくるので社内的に必要なざっくり感をすぐ伝えることができるので助かるといわれたこともあったし、逆に返信がすぐくるのでちゃんと考えているのかいぶかしまれたようなこともあったので、このあたりはやっていることや先方の特徴などで適宜調整していく必要はあるだろうが、とにかく引き延ばしてどんどん腰が重くなって嫌になっていくことが苦痛になるので、これからも比較的球を早く打ち続ける(必要に応じていったん保存して見返す+送信予定セット)ことは自分の場合はしていったほうが良い気がする。関連して、腰を据えて長期的な目標にむかって対応していくより、トラブル対応だったり比較的即時的になんとかしていくような性質の仕事のほうが、パフォーマンスがいい傾向があると思うが、これは前者の場合は刺激が足らない感じがあったり長期的な報酬に対する割引傾向をもつ人がいるのだと、いろいろ本を読んだり調べるとでてくるのでまぁ、そういった傾向があるのだと思う。対策としてよくいわれるのは小さな目標に区切ってひとつひとつゴールを超えていくようなことで、これは今まであまり意識できていないので今後意識していきたい。


逆に言うと上記のようなことがうまくできていないときはなんだか調子があがらないし、そういった性質の仕事の担当に当たった時には、ずるずるとやる気がなくなり、モチベーションひいてはパフォーマンスが落ちるというようなことがあったなぁ、と心当たりがある。

いきなりこんなことを振り返ったのは冒頭に戻れば、今の課題に対してスムーズにいっていないからであり、それでは過去うまくいったときはどうやっていただろうか、と考えてみたからだ。得手不得手は人間あるし、向き不向きもあるので、得意な部分を伸ばしていけばいいじゃんという意見もあるし基本的には賛成だが、それは時に理想論であり、現実には多少苦手なことや不向きなことも向き合う必要がある。特にいわゆるジョブローテーションがあるタイプの組織では出てくるだろう(それが嫌なら得意な分野の専門職や自営業につくという選択はあると思うし、個人的にはそのタイプのほうが向いているような気もするが、なんだかんだ10年いわゆる大企業で部門を転々としながら会社員ができており総合的に考え今の会社に勤め続けている)。その際にできるだけうまくいくいかないのいかない部分を補い、ボトムアップしていくには、自分の中でどうするかのメソッドをある程度構築しておくことが大切だなと改めて感じている。最初に書いた通り、こういうのは順調にいってるときにはあえて考えないし、ましてや言語化もしない(なぜなら自然とできていたりするから振り返らない)ので、なんだかちょっともやっとしていて且つ重い腰を上げて振り返りができたときだからこそ、書き残して思うと思ったのであった。そういう意味では、こうして振り返ったり言語化して整理するきっかけになるという意味では、波があること自体もメリットがあるとポジティブに考えられるかもしれない。

最後に、これは完全に素人の自分自身の振り返りからの傾向と対策のメモであるのでNoteに書くようなものではないかもしれないが(別にそんな決まりもないだろうが)、僕自身がそうであるように、もしかしたらどこかにいる似たようなタイプの人が他人の文章を読むことで心当たりを持ってより専門的な内容について調べたり自己分析するきっかけになるかもしれないし、何より、上に書いた通りどこかに残しておかないと、僕はこの書いたことをどこに置いたか忘れてしまうので、記事として残しておこうと思った。

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