#10.ネガティブな言葉の先には、どんな幸福もない。
前項「#9自己を認識できない・自分が誰か判らない」
では、ひろ江はアイデンティティが確立されておらず、
自分の考えをもたない。
又、ひろ江のキャラクターは統一性がなく、
別人になる瞬間があるエピソードを話しました。
ひろ江は突然ひどい人になる瞬間もあれば
ある時は、常識的なことを言う場面もあります。
しかしながら、咄嗟に出る言葉については
やはり、ひろ江の本心とは切り離せないものに見えます。
今回は、ひろ江のネガティブな言葉の影響力について
話したいと思います。
事例1.
ひろ江はテレビなどで、障害のある子供をみると
「死んでくれたら、親はどんなにホッとするでしょうね」と
咄嗟に言うことがある。
当時、近所には軽度知的障害のあるR子が住んでいた。
娘達も時折、遊ぶ機会があった。
R子は、障害者として特別学級には通わず
普通学級に通っていた。
R子は高校生になったある日、
公園の木で首を吊って自殺を図った。
娘達にとってはショッキングな事件であった。
ひろ江はR子に同情を全く示さず
「普通学級じゃなく、特別学級に通わせればよかったのよ」と
主観で親を批判した。
更に 「親は死んでくれてホッとしているに違いない」と言った。
ひろ江に温かい血が通っていないように見える瞬間である。
事例2.
ひろ江:43歳
次女 :16歳
次女と電車に乗っていた際のこと。
向かい側に座った男子の顔をみて、
「見て、あの子のアバタ面。あんなに酷い」と
声を潜めることもなく、臆面もなく言う。
次女は咄嗟に立ち上がり、車両を移動した。
事例3.
ひろ江は、夫タカシとの結婚については、こう話す。
「お見合いをして、気乗りしなかったが
イヤだな、イヤだなと最後まで言いながら結婚した。」
離婚しない理由については、こう話す。
「離婚すると、おばあちゃん(実母)に心配をかける」
「貴方たち(娘2人)が居るので、しょうがない。」
ひろ江は、わずか10歳前後の娘にむかって、
「しょうがなく結婚し、しょうがなく今の生活を続けている」と話す。
娘にとっては、自分の存在を否定されるような言葉であり
百害あって一利もない話である。
しかし、娘は母が幸せを選択できるように応援する。
離婚できるように仕事を見つけてはどうかと勧める。
しかし、ひろ江は何かしら行動を起こすことはなく
毎日おなじルーティンを繰り返す。
ひろ江は愚痴を言い続けるが、建設的な意見を言うことは皆無である。
考察:
「#4.空気の読めなさと非常識な発言」では
ひろ江は発達障害の症状ゆえに、非常識な発言をするのではないかと
考察した。
この項で述べる、ひろ江のネガティブな発言も
明らかに常識を外れている為、障害によるものと筆者は考えている。
一般的に、母親は子供に手本になるよう振る舞おうとする。
出来なくても、それらしく見せるよう努めようとする。
ひろ江の場合、まるで悪い手本を見せようとしているかのようである。
子を想う母の姿ではなく、5~6歳の子供のように見える。
それが発達障害のためか、知性のためか、或いは人格障害なのか
筆者には判らない。
いずれにしても、障害であれば、周囲の理解も得られやすいが
それと判らなければ、“人でなし“と思われてしまうだろう。
マザーテレサの格言にこうある。
「5つの気をつけなさい」
- 思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
- 言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
- 行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
- 習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
- 性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
思考 → 言葉 → 習慣 → 性格 → 運命が変わる
まさに、この通りで
ネガティブな言葉の先には、どんな幸福もない。
ひろ江は、自身の吐いた言葉通りの人間になり、
それがひろ江の生活環境をつくり、今の人生がある。
悪気がなかったとしても、ひろ江の吐いた言葉により
運気が滞り、人生は言葉通りに造られていく。
現代でも有名な哲学書や、それに派生する著書がある。
「思考は現実化する」(ナポレオン ヒル)では
想いや思考が現実を作るという理論が書かれている。
人間の脳は、その人の思いを現実化してしまうと言う。
- 人間は自分が考えているような人間になる
- 意欲的な目標を立てれば、明日は今日よりもはるかに前進する
- 目標を持つだけでなく、それに向かった計画を立てること
という内容が書かれている。
「引き寄せの法則」 (エスター・ヒックス/ジェリー・ヒックス)
思考(の波動)を通してさまざまなものを人生に引き寄せ、創造していると書かれている。
自分の中に周波数があり、その周波数にあったモノや人が引き寄せられてくる。
つまり・・・
「それ自身に似たものを引き寄せる」
「自分が考えたり意識したことが、現実として現れる」
依って、望まない結果も、実は自分自身が引き寄せているという。
インターネットが無い時代でも
日本では古来から「言葉には言霊が宿る」という思想があり
言語は表現の内容を実現することがあると言う。
これだけ、古今東西で繰り返し、同じ格言を耳にする機会があるが
ひろ江は老年に至るまで、これらの言葉を耳にしなかったのであろうか。
ひろ江は言葉を選ぶことなく、空気を吐くようにネガテブな言葉を吐く。
これまで、身内の誰かしらが、忠告しなかったのも不思議である。
娘達は、母を悪く思うことができない為、
母の本心は悪気がないと、自分に言い聞かせる。
しかし、積極的に母と話したいとは思わない。
次第に足が遠のき、母との間に距離が生まれる。
いつでも、ひろ江と周囲の人の間には、一定の距離がある。
繰り返しになるが、ひろ江のネガティブな発言は
年齢相応の常識や社会性が感じられず
障害によるものと筆者は考えている。
ひろ江は早い段階で受診をし
社会の理解やヘルプを得ながら暮らす方が
生きやすい筈である。
しかしながら、ひろ江は他罰的であり内省することがない。
ひろ江の周囲には、常に不協和音があるが
自身の障害を夢にも疑わない。
障害とは死んでも認めないだろう。
早稲田メンタルクリニックの益田先生が仰るには
他罰的な人は精神科にはほとんど来ないとのこと。
ひろ江を社会資源に繋げることは
並大抵ではない。
他罰的な人は心を病んだり
自責の念にかられることは無いので
精神科を受診しない。
【vol.6-9】他罰の人は精神科にはほとんど来ません / 家族関係の悩みが仕事に影響することも【精神科医・益田裕介/早稲田メンタルクリニック】 - YouTube
筆者は医師でもなく専門家でもなく、
ひとりの子供だった。
長年ひろ江をみてきたが、発達障害と結びついたのは
つい最近のことである。
発達障害に対する情報が広まったのは近年のことである。
筆者は、子供の頃から、ひろ江の言動が常識を外れていると思っていた為
発達障害の情報が、ひろ江のそれと繋がった。
当時は、発達障害やボーダーラインについて社会の認識なかった為、
世の中には、同じ境遇の子供達が沢山いると考える。
幼い子供であれば、親の障害を発見して受診を勧めるなど、
不可能に近い。
いまだに迷宮の中にいる方達を思うと
筆者は書かずにいられない想いになる。