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その幸せの考え方は不幸の始まりかもしれない
こんにちは。キャリアコンサルタントのえすみんです。
少し前、話し方を磨きに東京へ行っていたのですが、自分の普段の生活がなんと地味なんだろうと思ってしまうほどまるで違う環境に数日いました。少し移動するだけで、東京タワーやスカイツリー、今騒がれているテレビ局も身近に感じる距離、そんなところで働いている人たちってほんと毎日キラキラして見えてしまいます。私って井の中の蛙だなとややしょんぼりしてしまう気持ちも出てくるのですが、田舎に帰ると私なんかでもまだ色々とやっている方の部類でそうでもないのかなーなんて思わせられるので、環境から受ける影響って大きなと感じました。
人は環境によって、比較対象が変わると勝手に劣等感を感じたり、優越感を感じたりするものなのだと思います。だから、自分がどうあれば自分に満足であるという自己理解ができてないと、別に何も劣ってないのに勝手に落ち込んでしまうこともあるわけです。
タイトルにある「幸せ」についてもそういう話なのですが、私のキャリア面談では子育て中の女性で仕事を探している方と話す機会も多くあります。面談の中で、これからの働き方について考えてもらうために、どんなことをしている時が好きですか?どんな時に幸せ〜って感じますか?みたいな質問をする時があります。
普段あんまり考えることない質問なのでだいたい「うーん…」としばらく考え込まれます。
そして出てくる答えは「家族が楽しそうな時ですかね」みたいな、いいお母さんだなと感じる答えが返ってくることが多いです。子育て中のお母さんって、とにかく子ども中心に時間が回っていて、全ての選択肢が子ども基準になります。私もそうでしたが、子どもたちが喜んでいる時自分にとって報われる時ですし、そんな答えが返ってくるのも当たり前だと思います。
私はそれを聞いた後に、「他に幸せを感じられる時はありますか?」と質問します。すると、ほとんどが「えー、ほかは特にないです」という答えも多いのです。
家族が楽しそうにしている時が幸せなのはいいのですが、これって自分が幸せになれるようにコントロールできることかというとそうでもありません。家族が病気になったり、元気がなくなったりすることは自分がどれだけ努力しても起こり得てしまいます。自分自身の幸せが、自分はコントロールできないことしかない場合、突然子どもがお友達とうまくいかなくなって学校に行きたくないと言い出したら、お母さんは一気に不幸のどん底に落ちてしまうことになるのです。
人が、どんな出来事が起きても立ち上がって幸せに生きていくためには、自分でコントロールできることで幸せを作れるかどうかがとても大事なんです。
例えば、私も家族が楽しそうにしている時や、社員が成長してくれた時、会社がうまくいっている時など幸せに感じますが、これは完全に自分がコントロールできることではありません。そうなるために努力できることはありますが、結果がどうなるかは私が全てではないのです。
なので、それ以外に自分で作りだせる幸せも理解しています。例えば、少しでも英語ができるようになっている時や、どこも痛いところがなくて病気じゃない時、一人でカラオケで歌っている時や、映画を観たり、読書している時など。
何か辛いことがあっても自分で幸せを作り出すことができるので、多少落ち込んだとしても、他の幸せがあるからまだ大丈夫と思えて立ち上がることができています。
普段、幸せというものを考える機会を与えられることはないと思います。あったとしても、他人の幸せために何ができるのかを求められることが多いように思います。それももちろん大事なのですが、自分がどうしたら幸せと感じるのかを知っていないとすぐに不幸感を感じて勝手に落ち込んでしまうことになります。
私が東京でちょっとしょんぼりした気持ちになったように、別に自分に不幸は何も起きていないのに、他人の幸せそうな様子を見て勝手に自分を不幸にしてしまうのは自分が可哀想です。自分はどうなっていれば本当に幸せなのかを考えることはとても大切ではないでしょうか。