”面白い”企画は”ブレない”説

 noteを10日ほどやってみて、だいたい私が短時間で無理なく書ける記事のジャンルがどういうものか分かってきました。それはおおまかに”ひとつの事象を仮説によって捉えてみる”ということのようです。

 というわけで、今回は”面白い企画”とは”ブレない企画”ではないか?という仮説に基づいて、”なぜブレない企画は面白いのか”を説明してみたいと思います。

 企画を考える人向け、また、企画を受け取る人向けの記事でもあります。モデルケースとして物語制作を例に進めますが、意外と他ジャンルにも応用可能ではないかと考えていますので、よろしければ最後までお付き合いください。

 それでは参りましょう。

 まず、私は同業者(漫画関係者)の中では映画をあまり見ない方なのですが、数少ない知見の中で挙げるとすれば『ガメラ2 レギオン襲来(1996年)』が生涯ベスト作品のひとつです。

 内容については映画をご覧になっていただくのがいいと思うので割愛しますが、私にとって何がこの作品をベストたらしめているかというと、それは「とにかく熱く燃える展開が最初から最後まで繰り返される」ということに尽きます。

 特に最後の戦いで、辻萬長(つじ かずなが)さん演じる坂東陸将が「火力をレギオンの頭部に集中し、ガメラを援護せよ!」という台詞を発するシーンは、最高の興奮体験として脳裏に焼き付いています。ああもうとにかく観て。

 『ガメラ2』鑑賞当時の衝撃はとにかく凄まじく、私は少ないお小遣いを握りしめてムック本まで買ってしまいました。その中にあった脚本家、伊藤和典さんのインタビューを読んで、胸を掴まれる思いがしたのを未だに覚えています。伊藤さんはインタビューでこう語っていました。

「展開に迷ったときは、”どちらがより燃えるか?”を基準に考えました」

 この記事だけ読んでおられる方には、正直ピンと来ないかも知れません。事実、当時から漫画家になりたかった私の感想は「この言葉にはたぶんすごい意味が詰まっている、絶対に何かの真理を突いている…が、それが何なのかまったく分からん!」でした。

 いまになって考えてみれば、それは「『ガメラ2』という映画は、シナリオ制作にあたって常に”より燃える展開”を選択するという”コンセプト”の作品だった」ということができます。では”コンセプト”とはなんでしょうか。

 ”コンセプト”でググるとすぐに「1.概念」「2.企画・広告などで、全体を貫く基本的な観点・考え方」という意味が出てきます。

 つまり、”より燃える展開を常に選択する”という考え方ブレずに貫いた結果、『ガメラ2』というありえないほど燃える映画の脚本が生まれたわけです。未だに驚嘆するのは、そのコンセプトの明快さと幅広さです。

 私たち物語クリエイターは、常に「”面白い”作品を作りたい(そしてあわよくば売れたい)」と考えていますが(いるんですよ)、会話の中で漠然と発せられるそれは、あまりにも概念として広すぎる…というか、網の目が粗すぎます。よって、実制作における明快なコンセプトたり得ません。

 私の少ない経験則から言うと、他業種の方と一緒にお仕事をするときは、いつも最初にここでつまづきます。大多数のクリエイター以外の人(この中には物語制作以外の、たとえば造形クリエイターも含みます)というのは、「泣ける」「燃える」「笑える」「考えさせられる」「恐怖する」などなど、それらすべてを「面白い」というひとつの箱の中に入れて考えているのです。しかし、人によって箱の中身の配合はそれぞれであるため、万人にとって面白い作品というのは有り得ません。

 これは五感の中で特に味覚が千差万別であるのと非常によく似ていて、その好みを把握していない相手からの「面白い作品を作りましょう!」というのは「何か美味しいもの食べたいね」と言っているのと同程度の意味しか持ちません。

 たとえば私は辛い食べ物が苦手ですが、相手にとっての「美味しい」が「辛いもの」だった場合、上記のフレーズは実際には意味を成していない、というよりも、意思の疎通として不完全なわけです。そのため、放っておけば激辛中華料理屋さんに連れて行かれて唇を腫らすはめになるでしょう。

 意外に感じるかも知れませんが、人によっては忌避されることもある「”売れる”作品を作りましょう」というフレーズは、トレンド分析や未来予測、過去の傾向を調べるなどの方策を即座に取れるので、「”面白い”作品を作りましょう」に比べて、実は遥かに具体性があります。

 よく知らない相手に「面白い作品を作りましょう」と持ち掛けられた時は、会食前に相手の好みを聞くようにして、発言した当人にとっての”面白さ”を分析し、自分の中の”面白さ”と擦り合わせる必要がまず生じるわけです。

 私はよく言われる、作家と編集者の相性というのもここに一因があると考えます。気の合う人と同じ好みの食べ物を一緒に食べるのが最上のように、同じ”面白い”を理解できる人同士で作品のクオリティを追求できること、そしてその結果として売れることが、作家と編集者、双方にとって最高の状態ということができます(仕事の場合、必ずしも気が合う必要はありません)。

 さて、物語コンテンツを制作するにあたり、作家と編集者、またはクリエイターと協力者が「それは面白そうですね!やりましょう!」と意気投合する幸福なパターンを除くと、基本的には企画(漫画家の場合はプロットやネーム、他業種の場合は企画書)を提出し、「私はこういうのが面白い(または売れる)と思うんですが、どう思われますか?」とお伺いを立てることになります。

 その際に提示されるフレームの多くは「テーマ」「ジャンル」「世界観」「キャラクター」「大まかなストーリー(ネームの場合は1話目サンプル)」であって、企画を受け取る側は、なんとなくそれを組み合わせた、もしくは続けた結果を想像して「面白い」「つまらない」「売れそう」「売れそうにない」を判断します。やはり料理でたとえると「こういう味の料理になりそうかな?」と予測するわけです。

 しかし、これらは”コンセプト”ではありません。ジャンルも世界観もキャラクターも、”一貫した観点・考え方”ではないため、全体を貫く背骨、”舌に乗せた瞬間に広がる味”にはなり得ません。よって、完成した作品=料理「全く予想と違う」という可能性が非常に高くなります。

 もちろん、きわめて幸運な場合はそれが「これはこれで美味しい」「想像していたよりも美味しい」となる場合もあるのですが、可能ならば企画時点でコンセプトを提示しておくべきです。提示の仕方には「この料理は、とてつもなく甘いです」「この料理は、すっっっごく辛いです」というものもあれば、「イチゴ味のアイスクリームの中で酸味に重点を置いたものです」「ゴディバのチョコレートに似ていますが、よりなめらかなものを目指します」という、超具体的なものもあるでしょう。

 ここで企画を出す側・吟味する側両方がもっとも誤解しやすいのは、”ジャンル”や”テーマ”は”コンセプト”ではないという点です。

 ジャンルは材料で、テーマはコンセプトを使って伝えたいことです。特にジャンルを決定するとなんとなくコンセプトまで一緒に決まっていると思う人はプロ・アマ問わず非常に多いので注意が必要です。先ほどの例で言うなら、「イチゴ」「チョコレート」がジャンル、コンセプトは調理法です。

 さらにややこしいのは、ジャンルにも色々あって、たとえば”バトル”、”SF”は分かりやすく材料ですが、”ラブコメ”は材料とコンセプトが融合しているように見えることです。これは”中華料理””フランス料理”のような、料理そのものの全体イメージを決定付ける要因に近く、余計に混同しやすいのです(甘い中華料理だってありますよね)。実際にはラブコメにも泣けるラブコメ笑えるラブコメがあるように、ジャンルはあくまでも材料と考えた方がいいでしょう。

 また、テーマはコンセプトと同等レベルで全体を統括する上位概念ですが、今回の記事ではこれ以上扱いません。コンセプトとの関係だけを説明すると、コンセプトを曲げる権限を持っているのはテーマだけ、テーマを曲げる権限を持つのもコンセプトだけです。決定的なのは、テーマと違ってコンセプトは必ず伝わる必要があるということです。

 このように、テーマを除いたコンセプト以外の要素、つまり、ジャンルも世界観もキャラクターも実は材料に過ぎないため、完成形の味を保証しません。調理法が違えば同じ材料でも肉じゃががカレーになるように、味を保証するのはコンセプト=調理法なのです。

 だからこそ、最初に目指す味を決定しておくことが非常に大切になります。ジャンル・世界観・キャラクターをどう調理すれば目指す味にたどり着けるか?それが物語作品を制作するということそのものだからです。

 つまり、クリエイターはどんな材料を使いたいと考えても構いませんが、企画として提出する際にはどんな味を目指すかを明快にしておくと、その後の打ち合わせでコンセンサス(共通認識)を構築する手間が大幅に省けます。

 また、作品は”料理”、コンセプトは”味”という捉え方は、専門知識のない人がクリエイターとゼロから企画を制作する場合や、提出された企画の味が想像できない場合の質問事項としても非常に有効です。作品の目指すべき”味”さえ共有できていれば、詳しい知識がなくてもクリエイターと同じ視線の高さで具体的な方策を練ることができるはずです。

 出された料理に対しても、ただ「美味しくない」と言うよりも「もっと甘い方がいい」と言われれば「じゃあ砂糖の量が足りないんだな」という対策が立てやすいですよね。

 その際にやはり手頃なのは、私たちが誰かとご飯を食べに行くときに考える最大公約数である「辛い」「甘い」「酸っぱい」などに相当する「泣ける」「燃える」「笑える」などになるかと思われます。

 ちなみに、「既存の◯◯(という作品)みたいなもの」という注文も、志の高低や是非は置いておいて、コンセプトであるとは言えます。食べたときにすぐ違いが分かりますからね(クリエイターが先人の模倣をやめてオリジナリティを追求し始めたときにコンセプトを見失う原因もここにある気がします)。

 兎にも角にも、分かりやすいコンセプトというものは明快かつ幅が広いため、チームが迷った時に立ち返る指針としても機能しますし、ある程度のバリエーションを持たせることができる、非常に強力な力を持ちます。

 さて、もしもここまでを漫画編集者の方が読んだ場合、まぁまぁの確率で「待てよ?この仮説とやらは一見筋が通っているが、それは読切に限った話であって、漫画家さんからの連載企画で、そこまでハッキリした”味”を出されたことはないぞ…?」と思われる可能性があります。

 そうなんですよね…。私もいまこの仮説を組みながら気が付いたんですが、プロの漫画家さんであってもコンセプトのはっきりしない連載企画を提出する確率ってかなり高いと思っていて、それはたぶん「ウチはこの味!」としっかり決めることに抵抗があるか(作風が固定される恐怖)、ジャンルのことを味だと思い込んでいるせいだと思うんですよね…(私自身も含む)。

 読切だと1本で完結するからそんなことも無いんですけれども…。すみませんエヘヘ…。

 ただし、上記のようなことを書くと連載漫画の企画においてコンセプトが本当に必要かどうかから疑われてしまう可能性があるんですけれども、それについては明確に反論することが可能です。漫画家というのは、ページが限られてさえいればいるほど、意識無意識に関わらず、必ずコンセプトの必要性を感じ取って、味のはっきりした料理を作る能力があります

 もっとも身近な例としては、Twitterで流れてくる4ページ以内の漫画です。

 4ページ漫画は15秒から30秒のテレビCM程度(それ以下)の情報量しか持たせられないため、コンセプトが明快でない場合はまずウケません。

 ゆえに、書籍化されるレベルで大きくバズるTwitter漫画というのは、4ページ以内で「泣ける」「笑える」「キュンとする」「考えさせられる」「恐怖させる」「流行を知れる」「好奇心を満足させる」という”明快なコンセプト”=”明快な味”を例外なく持ちます。明快でしっかりしているから、紹介するときも一行で紹介しやすいですよね。

 また、俗に「なろう小説」と呼ばれる、ひとつのジャンルが流行ると追随者を多く生む作風も考え方は同じです。これは味の説明における「ゴディバのチョコレートに似ている中でこういう差異を出します」という提案と同様のコンセプトを持つからです。

 面白い企画は、明快なコンセプトを持ち、決してブレません。

 作品制作に臨む時、ジャンルや世界観やキャラクターとは別に、コンセプトを明確にするというやり方を試してみるのもいいかも知れません。

 以上、仮説に対する駆け足の説明でしたが、企画を出すみなさん、受け取り吟味する立場のみなさんの一助になれば幸いです。

 …私も、企画には明快なコンセプトを提示できるよう心がけます…!

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