言葉の支離滅裂
私達は普段、かなり支離滅裂なことを話している。
頭に思い付いた矛盾だらけの言葉を、何の考えもなしに話している。
それでもコミュニケーションはちゃんと成立しているし、大きな混乱も生じない。
言葉の支離滅裂さを、表情や声の高さ、テンポ、身振り手振りなどによって補っている。
しかし、文章ではこれらの非言語的コミュニケーションが一切使えない。
緊急避難的に絵文字を使うことはできても、通常の文章に使うのはさすがに無理だろう。
その事実に無自覚なまま文章を書くと、どうしても支離滅裂になってしまう。
論理が破綻していたり、論点がボケてしまったり、回りくどかったり、何が言いたいのか分からない文章になる。
声や表情によって伝えていた情報が抜け落ちるのだから当然である。
多分、支離滅裂な文章を書く人は、自分でも論理の破綻に薄々感づいているはず。
何かしっくりこない感じ、うまく言えないモヤモヤした感じを抱きながらも、早く結論にたどり着きたくて、早く書くのを終わらせたくて、つい強引なロジックに頼ってしまう。
文章に対する堪え性がないともいえる。