テルマエ展@神戸市立博物館
経緯
フランスも憧れるイタリアにまつわる展覧会ということで、前々から気になっていたものの、どのタイミングで行くか迷っていました。そんなこんなで忘れかけていたときにお盆がやってきたので、帰省するさいに寄り道という形で神戸市立博物館に訪れました。展覧会には、学生証とマイナンバーカードを見せると800円で割安に入場できました。
テルマエ展
概要
ローマの公共浴場を意味する「テルマエ」の紹介はもちろん、その周辺の暮らしや美術、さらに日本の入浴文化まで紹介している展覧会です。
『テルマエ展』公式サイト|お風呂でつながる古代ローマと日本 (exhibit.jp)
第1章 古代ローマ都市のくらし
古代ローマは紀元前8世紀から西暦5年までの時代区分にあり(1200年間!)、地中海を囲むように繁栄していった帝国です。もともとは農業一筋だったようですが、繁栄に伴い貧富の差が生まれたときに、貧しい庶民が悪い気を起こさないよう、時の皇帝が戦車競走や剣闘試合、演劇といった娯楽政策を打ち出しました。
剣闘試合に使用された鎧兜(レプリカ)や、剣闘士の小像も見ることができ、特にポンペイ出土の作品が多かった気がします。戦車競走といえば、ジョジョでお馴染みこのシーン。
話は変わり紀元前90年、この頃には鋳造した5~6センチほどの銀貨・銅貨が流通しており、牛や青果、魚、ワイン市場なんかもあるほど発展していました。富裕層の人はよく饗宴を開いており、「コ」の字に寝そべって(ダラダラしながら)奴隷が持ってくる前菜やら主菜やらを食べたようです。
この饗宴の様子はフレスコ画(初めに漆喰を塗り、乾かぬうちに顔料で描く手法)にも残っていて、「よくここまで描けるな」と感心すると同時に、古代ローマ人の家庭を覗けたような気もしました。やはり絵画は後世に百聞に優れた一見を与えてくれますね
ワインもよく市場に出回っていました。なんでも、原料となるぶどうの樹を神聖なものと考えていたため、征服した土地に始めに植えていたそうです。当時は水割りにして飲まれていたそうで、クラテルという甕にワインと水を混ぜ、リュトンという杯で取り分けながら、さらに小さめの杯で飲んでいました。
第2章 古代ローマの浴場
いよいよテルマエの展示になります。テルマエとは、イタリア語で「熱い」という意味の「テルモス」に由来する公共浴場です。ここは、貧富も性別もなく全ての人に開かれた場所でした。
彼らは主に循環浴をしており、オリーブオイルを肌に塗って運動した後、ストリギリス(肌かき器)でオイルを落としたらまず冷浴を行います。次に温浴、熱浴をしたあと、マッサージをしてから、最後にまたオイルを肌に塗って終わりです。
使用するオイルには香り付きのものもあり、特にバラの香りが人気だったようです。
また我々日本人と同じように、ローマでも入浴と健康は関わりが深く、医療の一環として湧水近くで入浴することが推奨されていました。このことから、病を払う治療神アポロ像がテルマエの脇に置いてあったようです。(アポロ以外にもたくさん置いてありますが)
第3章 テルマエと芸術
まず、ナポリ考古博物館からやってきた「恥じらいのヴィーナス」がありました。ヴィーナスと言えば「ヴィーナスの誕生」(1483, ボッティチェリ)ですが、布を持っているため入浴後と考えると、神聖というより、少し俗っぽい感じを受けますね。
ほかには、浴場の床に作られたとされるモザイクがありました。モザイクとは、モルタル(セメントと砂を混ぜた建築材料)の下地に石や陶器、ガラスなどの小片を密集させて埋め込み、絵や模様を描く技法です。
小学校のときに美術の授業でやった記憶がありますが、光るセンスがあればこれだけのものが作られるのですね。温泉の床にこんなモザイクがあれば、入浴するのも楽しそうです。
第4章 日本の入浴文化
神戸市立博物館ということもあり、有馬温泉の思い出話から始まりました。12mもある絵巻に、有馬温泉発展の基礎を築いた行基と、その400年後に大洪水で壊滅した有馬を復興させた仁西、さらに300年後の大火や地震といった災害に見舞われるも援助を絶えなかった秀吉らの功績により今の有馬がある、というストーリーです。そんな秀吉の有名な像がありました。
他には、貝原益軒「有馬湯山道記」、吉田初三郎「神戸有馬電鉄沿線名所図」といった、近代の有馬温泉巡りに関連する作品がありました。ついでにケロリン🐸もいました。
感想
いつか行ってみたいと憧れているイタリアの歴史について勉強できて良かったです。特にローマの生活・娯楽や「テルマエ・ロマエ」で有名なテルマエの慣習には面白いものが多かったです。この展覧会のおかげで、ぐっとローマ人に対する解像度が上がりました。美術館であまり目にする機会のない大理石の石像も見ることができて嬉しかったです。