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日本語教員2024試験体験記(導入「放課後感」編)

この記事は、「日本語教員試験体験記」の第10回です。
前回までの記事は、noteのマガジンにまとめていますので、合わせてお楽しみ下さい。

勉強も仕事も「放課後が楽しいという感覚」の話

また勝手に言葉を作りました。前回は「ライブラリ感」という概念を導入しました。これに加えて、「放課後感」、「アドリブ感」が、私が紹介したい、日本語教師をやる上で大切にしている3つの感覚ということになります。今回は「アドリブ感」について書こうと思っていたのですが、思うところあって先に「放課後感」からお話していきます。

導入「放課後感」

放課後」とは、ご想像通り学校の授業から解放された後の時間のことです。部活をやったり、塾に行ったりするケースが多いでしょう。仕事をしている社会人としては、とっくに死語ではありましょうが「アフター5」というところです。「やらなくていいけれど、やりたいことを強制されずにやれる状況」というのが、物事を一番楽しめるのではないか、というのが私が一番言いたいことです。もちろん私の感覚ですから、いやそんなことはない!というご感想もごもっともです。ひとつの考え方として受け止めてください。

学生時代、部活の練習時間には厳しい監督やコーチがいて、基礎的な練習や試合のための練習を、集中して、緊張して、かなり負荷をかけてやっていきます。こんなにきついことをなんでやっているんだろうと、そのスポーツ自体を嫌いになりそうな時もあるのですが、練習時間が終わって監督やコーチが帰ってしまうと、またそこからやってしまう。練習中にはできないような、ちょっと遊びが入ったアクロバットなプレイを試せます。誰にも怒られませんから、いろいろ楽しいんですね。私の部活はテニスでしたが、夕方暗くなってボールも見えにくいのに、いつまでも部活の仲間と打ち続けて夜も真っ暗。心配してしびれを切らした親が怒って迎えにくるということもありました。「放課後感」の象徴的な事例です。

また、こんなこともありました。私はかなり地方の出身ですが、中学のとき、公立高校一本で受験しました。私立も一応受けるという生徒たちの受験の日、学校の中が半分くらい空っぽになって、学校ではお留守番的な自習となりました。先生が用意してくれたプリントをやったり、自分で持ち込んだ参考書や問題集をやります。すると、いつの間にか質問し合うようになって、問題の解法を黒板にやってみんなで検討するという現象が発生しました。質問する人、黒板に解いてみせる人、補足で知識を共有する人。誰にも指示されていないのに、自然「ピア・ラーニング」の状況が発生。頑張ってるかぁー?と様子を見に来た先生が微笑ましい顔をしたのを覚えています。遊んでいるわけでも、さぼっているわけでもなく、勉強をみんなで楽しめたあの瞬間は、まさに「放課後感」でした。

卒業式が近づくと、今の学校生活が愛おしくて気分が高揚します。受験体制で部活引退して、暇でしょうがない秋冬の放課後。誰かが武田鉄矢を歌いだして、いつの間にか全員で合唱。音楽の授業や、合唱コンクールの授業だとみな歌いたがらないのに、なぜかあの時は文化祭以上の盛り上がりを見せてました。「スクールカースト」なるものはどの学校にもあるものですが、幸い私の学校はどの階層の学生同士でも、目的に応じて交流がある感じで、ひどいいじめやトラブルは少ない世代でした。それでも普段は話さない間柄というものはあります。そのカテゴリが違う連中同士が、武田鉄矢(換喩、メトニミー)を歌って盛り上がるのですから、卒業に向けてかかる放課後の魔法はかなのもんです。

留学生はいつ学んでいるか

私の勤務校は日本語学校(告示校)です。学習者はみな「留学ビザ」で入学してきます。留学という在留資格は、経費支弁者つまり親などの経済的スポンサーの支援に担保されて、学ぶことを目的に日本に来るものです。しかし、実態としては、最近の大阪はネパールからの受け入れ多いのですが、目の前の生活費や学費を自分でなんとかしたい、少しでも早く就職して稼ぎたいという学生がほとんどです。学習意欲がないわけではないですが、いわゆる「ガリ勉」をしたいタイプは皆無で、楽してなんとかならないかなという考え方は、世界共通のようです。

ひらがな、カタカナも書けない。書けてたのにどんどん忘れる。漢字も覚えない。ましてや文法、文型が頭に入るはずがない。とにかく教師は苦労します。なにをどうしても学習が進まない。1人だけならまだしも、集団で勉強しないモードに入ると地獄です。まあ、焦らずやればそれはそれでいいのですが、進路指導の頃を考えると入国時期のもたつきは後に響くので、教師としては焦るものです。

ところが、夏休みなどの長期休暇を終えて学校戻ってくると、信じられないくらいに話せるようになっています。アルバイト先でいろいろ経験して、日本語の練習をしたんでしょうね。最初は驚きましたが、今ではそういうもんと楽しみにしています。

BICS(生活言語能力)は、CALP(学習言語能力)よりも早く身につくといいますが、これがそういうことかと納得してしまいます。二年日本語学校で留学生活を送り、もうどんな仕事もできるだろうという会話力の学生が、卒業試験ではボロボロ。なるほど、テストで解けるようになるのはもうちょい後なのかなと。

留学生に、家でどれくらい勉強してるんだ?と聞くと、「ない、先生」ときます(いいえ、を、ない、と言ってしまうんですが、この時期はスルー)。アルバイトが忙しいから家では勉強しない。学校と宿題だけ。
でも、友だちとたくさん話す、楽しい先生
そうか。やっぱり放課後か。彼らの留学生活は、日本語学校だけではないのですね。日本語学校という「課程」に対して、アルバイトという「放課後」、アルバイトという「仕事」に対して、寮生活という「放課後」、のような、相対的なオンとオフの中で楽しさを見つけながら学んでいるようです。

日本語教師にとっての「放課後感」とは

日本語教師は学生と違って社会人ですから、なかなか「放課後」を楽しむというわけにはいきません。どんな仕事も大変だ、なんていいますが、日本語教師には一般の会社勤めにはない苦労があります。逆に、日本語教師には会社勤めにはない楽しみや旨味があるのですが、またはそれは別の機会ということにします。

しかし、日本語学校の日本語教師とて宮仕えには違いありませんから、自分の考え方(ビリーフ)と違う授業をしなければいけないことは多いです。教授内容だけでなく、携帯電話のルールや、その他生活指導、進路指導などは様々な考え方がありますから、時間もとられ、ストレスがかかることも少なくなりません。

そこで、余裕をもって仕事を楽しめるようにするには、知識、経験はもちろん、自文化や他文化をもっと知っていくような「遊び」の部分が必要です。残業が多くて大変だ、というような話もありますが、仕事の方が大変でプライベートで「遊び」がないと、日本語教師としての力を多面的に磨いていくということができません。

私は仕事にかかる時間を圧縮するために、この5年間くらいプログラミングの勉強に傾倒しました。プログラミングといっても、「Javaでアプリを作る」というような大袈裟なものではなく、Javascript系(Adobe Javascript、Google App Script)や、Pythonというスクリプト言語を使って、自分の目の前の仕事を効率的(正確・高速・大量)に処理できるように、少しずつ知識を貯めてきました。我ながらこれは「行動中心アプローチ」で、プログラミングを使って何ができるようになりたいか、ということで学んだのです。「楽をするために学ぶ」という禅問答というか、ある意味矛盾のようにも聞こえますが、放課後に楽しんでやったから実現したということに間違いありません。プロのエンジニアとか、プログラマーとして通用するレベルで仕事を本職でやったら、今の働き方で感じる「日本語教師の楽しみ」は得られないと思います。

日本語教員試験対策と「法律」の正式名称の話

日本語教員試験2024(令和6年度)を受験して、詰めが甘かったなと思ったことがあります。それは、日本語教育に関する法令、要するに「法律」の正式名称や、目的の条文をもうすこし読み込んで覚えておくべきだったというところ。

日本語推進法」の正式名称は「日本語教育の推進に関する法律」です。

(目的) 第一条
この法律は、日本語教育の推進が、我が国に居住する外国人が日常生活及び社会生活を国民と共に円滑に営むことができる環境の整備に資するとともに、我が国に対する諸外国の理解と関心を深める上で重要であることに鑑み、日本語教育の推進に関し、基本理念を定め、並びに国、地方公共団体及び事業主の責務を明らかにするとともに、基本方針の策定その他日本語教育の推進に関する施策の基本となる事項を定めることにより、日本語教育の推進に関する施策を総合的かつ効果的に推進し、もって多様な文化を尊重した活力ある共生社会の実現に資するとともに、諸外国との交流の促進並びに友好関係の維持及び発展に寄与することを目的とする。

日本語教育推進法

日本語教育機関認定法」の正式名称は「日本語教育の適正かつ確実な実施を図るための日本語教育機関の認定等に関する法律」です。

(目的)第一条
この法律は、日本語に通じない外国人が我が国において生活するために必要な日本語を理解し、使用する能力を習得させるための教育(以下「日本語教育」という。)を行うことを目的とした課程(以下「日本語教育課程」という。)を置く教育機関(以下「日本語教育機関」という。)のうち一定の要件を満たすものを認定する制度を創設し、かつ、当該認定を受けた日本語教育機関において日本語教育を行う者の資格について定めることにより、日本語教育の適正かつ確実な実施を図り、もって我が国に居住する外国人が日常生活及び社会生活を国民と共に円滑に営むことができる環境の整備に寄与することを目的とする。

日本語教育機関認定法

長いです。複雑怪奇です。これを授業で「覚えなさい」と示されても、ざっと眺めるだけで、全て暗記する気なんて起こりません。しかし、昔ロースクールに通う友人が教えてくれたことでもあるのですが、「法律は正式名称と第一条の目的をしっかり読めば、理解しやすくなる」ので、日本語教員試験でもそうかなぁは思っていました。試験後になっては後の祭りですが、国家試験なのですから、実施するのは役人ですから、根拠となる法律の正式名称や第一条の目的はガチでやり込んでおかなければならなかったと反省しました。

訳わからんものを楽しく覚えるには

昔、東幹久さんと高岡早紀さんが出演する歯磨きのCMで「芸能人は歯が命、あなたのその歯にアパタイト」というものが流行しました。「薬用ハイドロキシアパタイト配合」という響きがたまりません。広告会社の戦略にまんまと乗せられて、当時中学生のわたしたちは大騒ぎ。何度も何度も「薬用ハイドロキシアパタイト」を口ずさんだものです。濁点が入ると子どもに受けるという「ゴジラ」の法則もあるのでしょうか。学校の勉強は覚えなくても、ゲームの知識は無限に吸収する友人もいました。別のCMでは「グリチルリチン酸ジカリウム配合」なんてわけのわからんものまで登場して、早口言葉のように楽しみました。不謹慎ですが、某宗教団体のゲリラ事件の時は、なにも知らない中学生にとっては言葉のおもちゃになるようなキーワードが連発して、よくない言葉遊びをしたものです。「日本人は記号を好む」と言った予備校講師がいましたが、ほんとうに日本人は「わけわからん言葉」が好きです。

大学受験のとき、「政治・経済」を選択した私は、予備校のテキストに基づいて勉強をしていましたが、予備校の先生はテキストを大幅に超えたスタイルで大量の情報をこちらに投げてきました。「独占禁止法」の正式名称は?→「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律」、「PKO法」の正式名称は?→「国際連合平和維持活動等対する協力に関する法律」です。こんなもの覚えて意味があるのか?という点は、日本語教員試験2024の「日葡辞典」のようですが、私が受験した時代にあってはPKOが話題でしたし、財閥・大企業の独占を許さないという意味での独占禁止法の意義は、政治・経済という科目だけでなく、歴史の中で重要な知識です。私はこれらの正式名称を、友人と遊ぶように100回くらい唱えて、いつのまにか覚えてしまいました。

この記憶は、短期記憶を抜け出して、長期記憶に染みつき、受験勉強のネタとして今で披露しています。実際、受験した2つの学部で、正式名称がそのまま出題されたのです。60点満点の試験でしたから、1点はこれで積み増せました。数学が得意な人はいとも簡単に満点をとってのけるのですが、社会派は1点を削り出さなければならず、苦労しましたね。

まとめ

楽しくやるには、学ばなければならない。楽しく学ぶには、「授業」で頑張った後の「放課後」を楽しむのがよい。今回のまとめです。以前の記事でも書きましたが、「わかるから楽しい、楽しいから続く、続くとある日爆発的に伸びる」ということもあります。授業中に学習者が「わかる」ためには、学習者側と教師側の呼吸がピタッとはまる必要があって、観客の空気を感じながらネタを続ける落語家や漫才師のような要素が日本語教師にもあります。

「放課後に遊んでいれば、それだけでいい」と言いたいのではありません。私が知る留学生は、オーディオ・リンガル的に文型の練習をコツコツやって、放課後にコミュニカティブ・アプローチのように勉強することで学習を進めています。現場で目撃してきた事実です。学校だけが、彼らの学習の舞台ではないんですね。

日本語教育を我々日本語教師が全て引き受けようという発想が、そもそも無理な話なのかもしれません。認定日本語教育機関や、登録日本語教員という新しい制度が、学校の中だけの話なのか、それとも学生の「放課後」も見据えたものなのか、今の私にはわかりませんが、まずは私の教師としてのスタイル・ビリーフとして、「学生が放課後に楽しく学んでくれるようになるための種」を、授業中にまいていきたいと思っています。読者の方は、どのようにお考えでしょうか。


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