日本語教員試験2024体験記(試験後3日目)
この記事は、「日本語教員試験2024体験記」シリーズの第3回です。
第1回、第2回とも合わせてお楽しみください。
第1回
https://note.com/escritojp/n/n6975c75e6fc3
第2回
https://note.com/escritojp/n/n6c1f50f315b4
日本語教員試験から三日が経ちます。Xの方ではフォロワーさんを初め、受験された方や日本語教育に関わる方々の様々な感想やご意見を拝見しました。「私は日本語教員試験は、〜だった!」という感想はそれぞれ個人のものですが、その感想がすぐに一般化できるかというとそうは限りませんし、今後どのように試験に向き合っていくべきかということになると、そこは冷静にそう思う、そう思わないというような議論を建設的にまとめていく必要があると思っているところです。
その1:問題冊子回収について
問題冊子を回収するかどうかは、試験の運営主体の方針によります。私が過去経験した試験では、TOEICは問題冊子が回収されるだけでなく、書き込みすら認めないというものでした。法律系の資格試験でいえば、司法書士や行政書士、宅地建物取引士の試験は、問題を持って帰って自己採点をした記憶があります。日本語教育能力検定試験の際には問題冊子を持ち帰って、順次リリースされる「解答速報」の動画などを見て大騒ぎするのが風物詩といってもいいものでした。
現職のFルートで、基礎試験、応用試験合わせて受験料18,900円を納めた私の個人的な感想としては、問題冊子くらいくれよという気持ちになります。多くの受験者が同じ感想を持ったようです。しかし、試験の仕組みに詳しい方の情報を拝見すると、「得点等化」をするために、問題を公表しないことは当然あるということで、なるほど、主催者の視点で考えるとそうなるのかと、一瞬納得してしまいました。ところがこれに対して「質の担保するためにこそ公開すべき」という論もあり、私はこちらの議論に賛成という立場になりました。
回収すべきか、公開すべきかという議論はもちろんあっていいところですが、受験生の立場としては言われた通りにやるしかないので、今後は回収されないものとして対策を立てていかなければなりません。本音はもちろん、第一回の試験くらいは公開してほしかったのは何度でも言いたいところです。
その2:試験会場の運営について
私が受験した会場は、大阪公立大学中百舌鳥キャンパスB1棟の第1試験室でした。2回の一番端っこの部屋です。おおきな講義室で、いかにも大学っぽいところでした。
着席時間が近づくころ、運営スタッフが注意事項を話し始めました。ところが、後ろの席では全然聞こえません。「後ろ聞こえないんですけど!!」という声が飛びました。スタッフは「再度後ろの方々のためにもう一度説明します」とのこと。
ハンカチは無地、消しゴムはケースから出す、飲みものはペットボトルのラベルを剥がして下に置く、膝掛けは不可、服を座布団にするときは開始前に都度チェック、メガネもチェック。なにかあれば挙手をして、スタッフの前で行動をするようにとの指示。こんなところでしょうか。空調についてはかなりこまかく調整してくれて、今つけた、今消した、これから室温はこうなる、という細かいアナウンスがありました。この辺は大変気を配っているなという印象でした。
聴解試験の際、私がいた会場では「これから聴解試験を始めます」の音がパソコンからしか聞こえず、このまま始まったら大変だ!というところで、大きな音での再生スタート。スピーカーは大学のものでなかなかの品物だとは思うのですが、ちょっとこもってて、「ら」と「な」が声づらく、慣れるまで10問くらいかかったと思います。それでも開始の直後「聞こえません!」という声は殺気だっていました。
大きな問題、トラブルはなかったものの、細かい説明の行き違いや、再生開始時の焦り、基礎試験の難しさなどが積み重なって、受験後の不満の噴出に繋がったと思います。会場によっては聴解の数問がまったく聞こえなかったという声がありましたが、私の会場に関しては試験が成立したのでほっとしましたね。
まとめると、今回の試験運営には至らぬ点が多かった!といつ声がある一方、国家試験としては妥当だもいう意見も見られました。とにかく第一回なので、多少の混乱は致し方なしというところでしょうか。今後の基準となるので、皆さんの記憶が語り継がれて、今後の対策になっていくでしょう。
その3:今後の試験のあり方についての報道
試験翌日でしょうか、ニュースが流れていました。文部科学省としては、今後CBT(コンピュータによる試験)化を想定して、今回の試験がベースとなるので試験問題を公表する予定はないという見解が伝えられています。今後も新しい情報には気を付けていかなければなりません。
検証:カンニング、外部からの支援等の不正行為、問題流出はあり得たか
カンニングについては、やったところでどうにかなる試験ではないと思いますので、あまり議論するところはないと思います。国家試験らしい、良い意味での「杓子定規」な運営は、十分にカンニングを予防できたと思われます。スタッフの数も十分だったと言えるでしょう。
外部からの支援という意味では、なんらかの通信機器の使用を阻止するという運営になります。携帯電話、スマホ、スマートウォッチ等は使用不可で、電源を切ってカバンの中へしまいます。私の会場では試験中に着信音が鳴るということは起こりませんでした。メガネの着脱に過敏だった印象を持ちましたが、最近では録画したり通信したりできるメガネもあるそうで、カンニング対策というよりは問題流出対策に重きを置いたのかなと深読みしたくなりますが、もともとこちらは不正をする気がさらさら無いので、気になることはありませんでした。
問題流出については、記憶を寄せ合って再現することは何も問題がないことです。問題冊子を持ち帰ったり、なんらかの方法で記録したりすることがありえたかというと、試験会場レベルではなかっただろうと推定できます。
私が対策講座の学校だったり、出版社だったらなんとかして情報を寄せ集めるか、過去問を入手する動きをしたいと思うでしょうが、この辺は心配しなくても来年になれば良質な対策テキストになって反映されると信じたいですね。
検証:問題のレベルについて
基礎試験の合格基準が「8割」ということが、受験者にとっては相当厳しいという声が上がりました。しかし、私の感覚としては「厳しかったが、こんなものかなぁ」というところで、対策講座の学校の先生や、Youtubeなどで発信される先生方による今回の試験レベルの評価は「しっかり勉強をしていれば取れる問題である」というところに落ち着くのではないかと思われます。
簡単だったという声、難しかったという声、国家試験としての資格だからこれくらいはクリアしておかなければならないという声。どれもそれぞれの立場において一理あります。「日本語教育はどうあるべきか」、「日本語教員はどうあるべきか」「日本語教員試験はどうあるべきか」という、べき論を語っていくと、厳しくて当然というのはごもっともではあるのですが、現場で認定日本語教育機関を目指す設置者・校長・教務主任の方々や、そこで働こうと思っている現職の先生方、これから日本語教師になろうと奮闘している方にとっては、大きすぎるテーマで議論するのは酷なものです。「具体的にどうすれば日本語教員試験に合格できるのか」という不安、疑問が入り混じりながら飛び交ったのが、この3日間の動向でした。
検証:応用試験のみ受験のメリットとデメリット
10:00から12:00までの基礎試験を受験した人にとっては、相当に「スキーマの活性化」がなされた状態で聴解試験に突入します。試験会場について、いきなり聴解試験を受けた方にとっては、新しい問題形式への戸惑いもあって、多少不利だったのではないでしょうか。試験会場につくまでに、ウォーミングアップをしっかりされているとは思いますが、「喫茶店に入った直後よりも、しばらくお客さんが入れ替わって自分が一番先に来た状態で落ち着く
」というような心理、私だけかもしれませんが、気持ちを切り替えつつ、整えつつ、リズムよく応用試験に突入できたのは結果的によかったと思っています。
応用試験の合格基準は「6割」ということで、まともに取り組めば大丈夫だろうという声もありますが、難しかった、今年はだめだろうという声も生で聞きました。現職有利という評価だけでなく、かならずしもそうでないという感想の両方がありましたね。
受験料は基礎試験+応用試験で18,900円。応用試験のみで17,300円。両方免除だと5,900円ですが、講習代がかかります。私は「敢えてFルート」で、18,900円を納めたわけですが、これで合格すれば講習代は必要ないので、残りは登録料だけです。勉強コストを考えると、免除よりもお金はかかっているのですが、自分のためにお金を使っているので「資本的支出」のようなものです。基礎試験をクリアできるかというリスクを負って、この賭けに出たのです。
まとめると、受験の仕方でメリットが出るか、デメリットがあるかは受験者の事情によって様々なので、これが一番いいというものはありません。とりとめのない話で恐縮ですが、こんなところです。
まとめ:この試験が日本語教師として、現場で役に立つのか?という議論
この議論はかなり難しいです。立場や経験によってまったく違う意見になります。基礎試験で出題された「日葡辞典」の知識など、意味がない!という意見もあれば、日本語教師として知って当たり前の常識!という意見もあるでしょう。役に立つかどうかが試験の要ではない、ということはわかってはいるのですが、事前の情報で「実践的な知識を問う」とあったので、マニアックな知識問題が出ると反発したくなる気持ちになります。基礎試験「8割」という(余裕という意味で)遊びがない中、許される誤答数が積み重なっていくと、試験中に体力、気力が削がれていきますよね。この試験は「体力測定か?」と言った方もいましたが、日本語教師の現場は「気力、体力、大きな声」です。その辺も含めて試験を設計しているのなら、文科省も大したもんです。
あとひとつ、認定日本語教育機関となるためのカリキュラム審査で、「行動中心アプローチ」が話題になっていますが、従来の「文型積み上げ」からの転換は、しかるべき教授法ならば十分可能だという意見を拝見して、私としては頑張れば大丈夫なんだという認識を持てるようになりました。しかし、学校の運営上の問題、経営上の問題など、様々な要素がからまっての現場ですから、教師不足や常勤・非常勤の採用計画などを考えると、どんなにいい教授法で設計しても、最終的には文型シラバスの教科書を細かくちぎって教師がリレーする体制を取らざるを得ないという現実もあります。勤務校が認定を得て、うまくまわっていくようにするために、改めて設置者や運営者(上の人々)を巻き込んで理想的な方向へリードする役割が、今回の日本語教員試験を通して学び、合格した新しい先生に求められるのではないでしょうか。
第3回も長くなりました。次回からは、さらに具体的に、今から初められる日本語教師としての新しい学び方は何かについて考えを深め、具体的な方法を提案していければと思います。
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