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日本語教員試験2024体験記(「試験問題漏洩は無効」規定にガクプル編)

この記事は、「日本語教員2024試験体験記」の第5回です。
他の記事は、マガジンに収録していますので、前回までの回も合わせてお楽しみください。

試験非公開→問題を語り合うのは「漏洩」?

「試験冊子を持ち帰ることができないのはおかしい」というのは、それってあなたの感想ですよね?‥はい、これって私の感想です、というもので、試験の規定上そうなっているものは、受験者としてはどうすることもできません。しかし、終わってからの感想戦で、「日葡辞典が出たね」ということを語り合いたいのは人情というものですが、試験要項に「試験を漏洩させたら無効」という注意書きがあって、え、内容を語り合ってもいかんの?と、極力リスクを避けたい受験生としては警戒してしまいます。
一般社団法人知的財産研究教育財団のワークショップでの資料(「わが国の公的試験における試験問題公開の判断基準―情報公開制度における事例―)を読みました。とても勉強になりましたが、結論は「難しい問題だ」ということになります。原則として試験は公開されるものだが、様々な事情があり特別に非公開にされることがある、と私は解釈しました。
では、試験についての「感想の共有」はどこまで許されるのでしょうか。前提として、事前に関係者から漏れるとか、なんらかの記録装置を用いて持ち出すというがNGであることは当然でしょう。しかし、事後に「日葡辞典が出たね」ということがNGだったら、もはや今後何も言うことができません。表現の自由なんてあったもんじゃないです。具体性、試験の妨害、被害の規模などが、試験の漏洩にあたるかの要件となってくるのでしょうが、国がお怒りになったら個人としては戦えるはずもないので、黙って大人しくしておこうということになります。
Web(Youtubeの動画含む)等で日本語能力検定試験の解説をしていらっしゃる先生方は、試験の著作権に配慮されています。検定試験の過去問を買って、手元においてから解説を見る仕様になっていますね。私は養成講座や対策講座なるものを受講した経験がないので、そういう予備校的な場ではどうなっているのかは知りませんが、もちろんそういう学校こそ許諾を得ているか、著作権に配慮したテキストの作りになっているはずです。

記憶だけで試験を再現できる人は天才!?

感想を持ち寄って、個人的に再現しようという動きがありますが、表立って書かなければ問題は顕在化しないでしょう。試験から日が経つにつれて問題の正確な再現はできなくなりますから、来年に備えるなら今のうちにってことになります。試験対策用の基本書や問題集も、ずばり去年はこうだったらしいですという書き方ではなくて、出題範囲として公表されている50項目の中で、こういう問題が出るのではないかという独自の予想を立てて展開されそうですね。
試験を持ち帰って復習したり、来年の試験の準備をしたいと思う気持ちの人は、とにかくこの試験に合格したい人です。「漏洩だ!」と怒られるほどの程度で試験を再現できる能力を持つ人であればそもそもこの試験なんか楽勝で、安全なところから見守るだけです。みんな一生懸命やって、ギリギリで合格しようとしてるからこそ、非公開が悔しいんですよね。

「漏洩」として「無効」になるまで流れを想像してみた

何が「漏洩」の定義かは、個人がいくら意見を述べて主張しても、国の方針に従うほかないので、争う実益がありません。しかし、なんらかの処分をするとなると、国も相当な調査をして手続きをしなければならないので、それも相当なコストになるでしょう。
カンニングのように、その場で発覚したらもちろんアウトですね。運営スタッフの報告書にのって、試験番号●●は違反行為をしたので無効!ということになります。現行犯タイーホは救われません。次に、ネットに試験問題を相当な具体性と、試験妨害の可能性、実際の被害をもたらす発信をしている人を発見して、おそらくは、最近よく話題にもなる「開示請求」をして、人物特定して、処分ということになります。名誉毀損とかの訴訟とちがって、試験の主催者には処分権があるでしょうから、発信者=受験者と特定したら、聴聞や釈明を待たずに一方的に処分する可能性もあります。怖いですね。恐ろしいですね。

基礎試験は誰のものか?

私は日本語教師としては「現職」なので、現職の経過措置におけるルートにしか目があまりいきませんでした。改めて要項を見直すと、まったく新しく登録日本語教員を目指すとすると、とにかく「講座」を受けなさいというふうに読めます。すると、講座を受けると、基礎試験は免除なのですから、基礎試験は講座を受ける人のためのものではありません。「試験ルート」で登録日本語教員を目指す方が、基礎試験を受けるのですから、ずばり言えば「基礎試験は独学者のためのもの」であります。
独学で学ぶ者は不安だらけで、講習を受ければ試験の内容に即した準備ができるのだろうか、と考えてしまうものです。しかし、講習を受けたら試験の内容がわかるのならそれこそ事前漏洩ですし、講習を受けていたら基礎試験受けなくていいんですから、なんのこっちゃわからん議論になります。こういうのをドラクエの呪文ではメダパニといいます。
事情により試験ルートを選択して「基礎試験」を受けるので、そのために準備したい。しかし、試験問題がどういうとのになるのかさっぱり予測がつかないというのは相当優しくないです。実際試験自体も易しくないわけですし。事前に公開されていた「サンプル問題」を見て、これいけんじゃね?と思ってしまって撃沈という感想をこぼす方は多く、試験勉強がやりやすかったとは思えません。

公開された試験範囲の項目から試験対策をすることは可能か?

これが一番悩ましい問いです。「〜に関する知識」と言われて、はいはいと膝を打って試験問題が頭に浮かぶのは、養成講座や対策講座の講師の先生のレベルです。普通は、ヒューマン赤本の目次と見比べて、この編が出るなかなぁという漠然とした予測しかできません。
たとえ、今回の試験で、合法的な範囲での「漏洩(漏洩はそもそも合法でないが・・)」いや、「感想の共有」なく、過去問もなく、刻々で代わる社会情勢に合わせて、国が求める日本語教師像に向かって8割の合格点を取るなんて、なんたる無理ゲーというか、この試験に合格できたら相当な尊敬を集めるということになるのではないでしょうか。

まとめ

国が怒ってしまうと怖いので、試験の内容について相当な具体性をもって発信するのが控えておいたほうがいいということになるでしょう。しかし、すでに「日葡辞典が出た」という情報は出回っています。YouTubeで感想を述べられている先生もいます。これでアウトなら、私はもう日本語教師辞めます笑。
受験側が思う正義と、国側が主張する正義はたいてい対立するものでしょう。しかし、この試験は誰のためのもので、社会がどうよくなっていくことを望んでいるものかという前提に立ちかえると、私の個人的な意見としては、試験の感想の共有くらいは許容されるべきものです。(大阪流に「しらんけど」を付しておきます。)
ただ、試験のルールを守ること、当然著作権に留意することは、日本語教師として、いつの日かなる登録日本語教員として大前提のことだから、常に忘れてはいけません。国家試験は「建前」を試すテストですから、当たって砕けるしかありません。結果発表の12月20日に砕け散る覚悟で、マイページのログインボタンをガクガクプルプルで押す自分の姿を想像しながら、今日の記事といたします。

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