BUMP OF CHICKEN試論#004_ランプ(1)
◆作品の概要
BOC試論の2曲目は「ランプ」を取り上げる。
本作品は2ndアルバム『THE LIVING DEAD』(原盤2000年、再発盤2004年)に収録されている楽曲であるが、実はBUMPの1stシングル『LAMP』(1999年、現在は廃盤)の1曲目に収録されていた曲なのだ(2曲目が「バトルクライ」、3曲目が「リトルブレイバー」だ)。
前回の「ガラスのブルース」と同様、こちらもバンドの最初期の楽曲のひとつと言ってよいだろう。
それでは、まずは歌詞を簡単に確認しよう。
◆歌詞の確認
どうやらこれは「彼」(とりあえずそう呼んでおくが、「彼女」であっても構わない。)と、彼の「ハートに住む」「ランプ」の物語である。
彼は「なけなしの勇気」しか持たない泣き虫のようだ。
そんな彼が「泣き出す瞬間」、「ランプ」が「ハロー、ハロー」「大丈夫、大丈夫」と、励ますように「呼びかける」。「ランプ」は「彼の中で待っていた」のだが、彼はそのことにいま初めて気付いたのだ。
彼はどうにも頼りない、弱き者である。
夢や理想を詰め込んだ「ポッケ」には穴が開いており、愛や安心を入れた「鞄」は「誰かにひったくられ」る。散々である。
だが、彼の窮地に再び「ランプ」が呼び掛ける。ランプは「いつも一緒」であり、頼りなくて弱い「君と生きる」のだと。
「失くしたもの」「落としたもの」を探す道は暗くて(闇)寒い(凍える)道である。それを「照らし」「温める」「最後の術」が「ランプ」だ。炎は温かくて明るい。実にわかり易い。
「ランプ」は「情熱のランプ」である。
「情熱」は「夢や理想/愛/安心の類」を「手にする力」である。
そして「勇気」は「探す道」を歩くために求められるもの、つまりは「ランプ」に「火を灯す」ために、「マッチ」をランプの「芯」に触れさせるために要請されている。
終盤、彼はこのことを理解するに至った。
そうして、「今にもマッチは芯に触れる」ところで、曲は終わる。
◆戦略的「意地悪」
「ランプ」についても、「ガラスのブルース」と同様に、「わかり易い」曲である。
大急ぎで付言するが、「わかり易い」とは「浅い」ということではない。まったく違う。「BUMPの楽曲はすべて難しい」が僕の譲ることのできないスタンスである。これは、作品からより豊穣な意味を汲み出すための戦略的立場である。簡単だと感じるものから僕らは何も学ぶことができない。
それは、歌詞を読むことで容易に視覚的なイメージを思い浮かべることができるということであり、言うなれば「映像的」「物語的」なテクストであるということだ。限られた数の簡潔な言葉で明瞭なイメージを喚起させることができる。これはBUMPの(特に初期における)楽曲の際立った特徴のひとつである。
では、この「わかり易い」歌詞に、あえて疑問(ツッコミ)を投げかけてみよう……と思うのだが、この楽曲の歌詞は「ガラスのブルース」に比べると、やや解説的である。「勇気」「情熱」という言葉は、それがどういうものかを既に語られているし、タイトルである「ランプ」については、「君のハートに住む」「君と生きる」「誇れるベストフレンド」「君自身」であると述べられてしまっている。つまり、曲の核心、テーマとなっている言葉については、その大方を曲自身が解き明かしてしまっているのだ。
だから、僕たちは「意地悪」になろう。
重箱の隅をつつくような、そして捻くれたクエスチョンあえてぶつけることで、この雄弁なテクストに揺さぶりをかけてみよう。(というより、「意地悪」がBOC試論のデフォルトなのだ。)
◆今回のクエスチョン
さて、今回、僕が提出するクエスチョンは、次の3つだ。
Q1:「マッチ」とは何か?
Q2:そもそも「ランプ」を「灯す」必要はあるのか?
Q3:なぜ「泪」を「乾かす」のか?
あらかじめ白状しておくが、これらは結論から逆算して導いた問いではなく、とりあえず、暫定的に設定したものである(僕は先に結論を用意しているわけではなく、これを書きながら考えている)。
でも、どうしても僕はこの3つが気になるのだ。
まずQ1だが、曲中では「マッチ」が何の説明もなくいきなり登場する。「僕」は「マッチ」を持っている。このことは無条件の前提であるらしい。
でも、この「僕」は「夢や理想」を「落とし」、「愛や安心」を「ひったくられ」るような、迂闊で弱く、愚かな人間である。
そんなお前がなぜ「マッチ」だけは失くさずに持っているのだ? こう問いかけたくなるのは、意地悪ではあるかもしれないが、それほど不自然なことではないだろう。
そしてQ2である。
この作品では、まだ「ランプ」に火は灯っていない。「今にもランプに火を灯す」「今にもマッチは芯に触れる」とは書かれているが、いずれも「今にも」であり、その寸前までは描かれているものの、ランプに灯った火を、僕らはまだ一度も眼にしていないのだ。
これは一体、どういうことなのか。
最後にQ3だ。
なぜ「泪」を「止める」ではなく、わざわざ「乾かす」と書いているのだろう? これはかなり細かい点ではあるが、恐らく意図的なワードチョイスだと思われる。というより、「意図的である」と断定することで、何かがわかるような気がするのだ。
「ガラスのブルース」においてもそうであったように、この3つのクエスチョンは相互に絡み合っている(と思われる)。
次回はこれらの暫定的なクエスチョンを足掛かりに、「ランプ」のテキストに埋め込まれた哲学を探っていきたい。
それでは、今回はここまで。
お読みいただき、ありがとうございました。