カルハズメルア
カルハズメルアになるかならないか。あまりに知人がうるさいのでなってやろうと思い始めていた。梅雨はまだ来ない時期が1番鬱陶しい。梅雨入りしてしまえば観念するのに。しとしとと雨が降るのがもはや理想になってしまっていて、最近はゲリラ的に雨が降る。前に「ゲリラって音からして怖いよね」と誰かに言ったら、「濁点が入ってるからじゃない」と言われた。濁点は怖い。濁点はないと困るけれど。なんであんなにも人を怖がらせる音が世界にあってそれを使っているのだろう。そんな風に考えるような性格だから、私はカルハズメルアになることを拒んでいた。今日の野菜炒めは美味しかった。親に依存して生活していて、この先どうなってしまうのかなどと考えている。どんなに計画を立てたって計画通りにはいかない。そんなことは知っている。生きている前提で話すのは生き物にとって失礼である。もし私が全てを諦めてカルハズメルアになれるのであれば、なってしまうべきなのかもしれない。それにあたっては物をいろいろ処分しなければいけないが、片付けは得意だ。掃除は苦手だが。片付けと掃除は似て非なるもので、私は整頓された埃まみれの部屋で暮らしいている。カルハズメルアになるのであれば、とりあえず荷物の整理をして気が済むまで寝て、夢で大きな富士山を見られればいいのだが。どうなんだろう。カルハズメルアになるのには勇気と覚悟が必要だ。私は今の持ってるものを捨ててまでカルハズメルアになりたいとは思っていない気がする。これではカルハズメルアにはなれない。でもカルハズメルアになれればもう少し息のしやすい生活ができるのに。気味の悪いところに執着してカルハズメルアにならないのは本当にイカれてるのかもしれないな。私は水をよく飲む。家にいると水道水を大きなコップに入れて、飲んで、また入れてを繰り返している。いつも外出先では水が足りなくて困っている。だが世間では水を2L飲むことを推奨している。私は水が足りなくて困っているのに。そんな時だろうか。私がカルハズメルアじゃないと気づいたのは。もう曖昧だが。生きていると意外と気づかない常識は多い。ナポレオンが3時間しか睡眠を取らなかったという逸話は有名らしい。私はこないだ知ったが。そういうところを見ていた知人が、あまりに私がカルハズメルアとカルハズメルアじゃないところをぐらぐら揺れているので、とうとうカルハズメルアになることを勧めてきたのだった。私だってカルハズメルアになってスッキリしたいのだが、そんなに簡単になれるものでもない。どんどん日が沈んできたので私は知人にお礼を言い、ブランケットを羽織った。そして胎児のポーズをして眠った。