幸せなんて大したものじゃない
苦しいよな。
なんだかよく分からない「人間としての幸せ」「男/女としての幸せ」みたいなものを追わされて。
それがあたかも「努力しないと手に入らない」みたいな顔をしてる。
悔しいよ。
そういうものに振り回されてしまう人がこんなにもたくさんいて。
なんでか勝手に悔しいんだよ。
「今日はいい天気だった」
「湯船にゆっくり浸かれた」
「ぐっすり眠れた」
「好きなものを食べられた」
そういうのでいいの。
「YouTubeが面白かった」
「Twitterで新しいこと知れた」
「一日中ゲームしてた」
こんなのでもいいの。
幸せって「何かを達成したことで得られる」わけじゃない。
それはだたの一時のドーパミン。
日々を味わうこと "そのもの" が、その時間こそが、幸せというものなの。
幸せは「行為」や「結果」に依存しない。
自分の目の前を流れていく「時間」をただ観測すること。
身を任せて、心の動くほうへ流れていって、最大限ゆかいな気持ちで観測すること。
自分の身体という媒体を磨いて、観測の精度を高めていくこと。
そして最期に「なんだか愉しい日々だったな」とあたたかい気持ちになること。
人生うまくいってるから、ぬるいことが言える。
そうかも。
でも逆に、これくらいゆるく構えて流されてるからこそ、うまいこと運ばれてきた。
それだけだと思う。
自分が愉しければ、幸せだ。