見出し画像

リード文がない資料はよくない

僕自身もうっかりやってしまうのだけど、リード文がない資料はよくない。

IT業界は、システムの構造とか人の振る舞いを決めてからプログラミングに入るけど、その検討過程とか問題発覚時にはとてもじゃないけど会話だけでは説明できないから資料を作成することになる。

このとき、資料を作る方はいま直面した事実や内容を伝えるのに精一杯で、どーん!といきなり何列もある表や、何か細かいことが色々書かれたメモ長文を作ることが多い。

でも得てしてそういう成果物っていざ打ち合わせやメールなどで展開しても

???

になりがち。
それはリード文がないから。なにしたいのこれ?って言われてしまう。

物事って背景や目的が大切なのと、マルチタスク社会だから、みんなその打ち合わせ前にはぜんぜん違うことをやっている。そんな人達の頭をピッ!と切り替えてもらい、うまく議論に巻き込んだり、内容を精査するためにはリード文がないとあかん。

〇〇という課題があります。解決策を検討したので議論させてください。とか。そういうのがないと、これいったい何の話なの?からつまづいてしまう。逆に言うとその1行があればいい。

リード文苦手で書けないというひともたまにいるけど、その割に会議がはじまると、これから話す内容を冒頭で話したりする。それこそがリード文なんだよ!っていつも思う。

現代資料って会議に出して終わりでなく、それがあとから別の人に展開や議論されたり、再利用される。
だからこそ、会議に参加する人に分かりやすくするためでなく、あとあと見る人のことも考えて、リード文はあったほうがいい


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?