最近の文章

ここに書くのは昨日の記録です。



なんとなく気だるい感覚でぼうっとする日に、友人からもらった音が出る装置のことが気になり出す。

夜に、シェアハウスに来ていた入浴実験の参加者と話す。数日前に彼女のボイスパフォーマンスの映像を見て、なぜ声で表現をしようと思ったかが気になったので、そのことについて雑談をする。声が、生物のより根源的な表現であることの可能性について納得する。

気になっていた音が出る装置を、箱から出して触る。友人がこの装置を操作して音を出しながら、叫びのような声を出していたことを思い出す。装置から出る音の中に、叫び声があるように感じ、それを見つけたいと考える。

ノイズと叫びの曖昧さに気がつき、叫びとノイズの両者を警報のような印象が接続する感覚に落ちる。音楽としてのノイズではなく、表現としてのノイズの意味を感じながら、叫びについて考える。

ライブをしたいと思い、シェアハウスのダイニングで約3分のライブをする。

家を出て、近所のバーに行ってコーラを飲む。人と話したが、そのときに考えていることを何も伝えられずに帰宅。

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