笑顔
後輩の大学祭の手伝いをしたという話を祖母にした。本当は手伝い程度ではなく自分も出演するなどしてがっつり関わっていたが、大衆受けする内容ではないことしていた話を聞いて祖母がどう思うかが怖くて、濁した。
そしたら、急に祖母が自分の中学時代の話をしてきた。すこし認知症気味の祖母が、過去の何かの話をしている様子がまず嬉しい。祖母が思い出していたのは、『卒業生を送る会』という催しの際に、幕間の時間を使って当時活躍していた芸人のモノマネのような小ネタを自分がたくさんやった時のことだ。祖母はそれをこっそり見にきていたのだった。(自分が幕間に出ているので、自分が卒業生の立場だったわけではないはず)
祖母からの話を聞いて、初めて当時の客席の様子を知った。ステージに立ったことがある人はわかるかもしれないが、ステージでは自分だけにたくさんのライトが当たっているので、観客席がほとんど見えない。祖母は一番後ろの方にいて、周りにいた人のたくさんの笑い声や、「あの愉快な子がまた出てこないかしらね」という声を聞いていたらしい。この時の高ぶる気持ちは、タイムマシンなんていらないなと思うほどだった。
あの時のような活動は今になっても関心があるし、似たようなことをやっているので、やはり自分の軸のようなものがそのあたりにあるように感じた。一方で、屈託のない気持ちで好き勝手な活動ができているだろうかと疑問に思った。幸か不幸か自分はいつからか社会を肯定し始めたので、きっとその答えはNOなのだけど、だからこそ今になって聞くことができた話だという気もする。
祖母は「あの時は、この子は芸人やタレントにでもなるのじゃないかと思った」というような話をしていて、いまそうなっていない自分が祖母と話していることがやや気まずかった。健康に生きている自分が感じる必要のないはずのきまずさだった。おこがましいけど今の自分は、芸人やタレントとして活躍することと比べる必要のないくらい十分な人間であるように思うけど、そのことを祖母に伝えるのは芸人やタレントとして活躍することほど簡単ではなかった。
中学時代の自分がどう考えていたか知る由もないけど、少なくとも今は「たくさんの人にウケたい」という気持ちが薄い。じゃあどんな気持ちが強いかというと、「周囲にいる、いま悲しい表情をしている人に、別の表情をしてもらう」ということかなと思う。一瞬、「周囲にいる人の笑顔を増やす」かなとも思ったけど、それだけでは網羅できない気がした。「すでに笑顔の人から笑顔をより獲得する」ことにはまったく興味がない。
無理矢理にでも物事の関連性を見出すことが得意なので、なんでそうなのかを考えてみたところ、親族がいつも自分に笑顔でいてくれたことや、くだらないことで笑っている大人ばかりをインターネットで見ていたからかなと思う。
余談だけど、「いつも笑顔でいられること」の上に、「表情の移り変わりがあること」があるような気がすると、書いている途中で思った。祖母は「いつも笑顔でいることを周囲の人のために頑張っていた人」だと思う。
忘れないようにメモ
祖母の教えは、
「笑顔が一番」
「ピース」
「自分の好きなことにお金や時間を惜しまないように」
だ。