習慣は自分を見失わせてしまう可能性も持ち合わせている
"習慣"は状態を良くも悪くもする。
悪循環を生むような考え方や行動を習慣化させてしまうと、状態は悪くなっていく。
ただ正直なところ、良い習慣か悪い習慣かなんていう判断は、自分ではきっと判断できない。
良いと思っていた習慣が、悪い結果をもたらす場合もあるし、逆に悪いと思っていた習慣が、良い結果をもたらす場合も当然ある。
私も、習慣化された行動はある。
ちっちゃなことだし、誰もがやることなのかもしれない。
例えば、毎朝、仕事の始まる時間より30分だけ早めに職場近くに着いて、一人の時間を過ごしてから職場に向かうようにしている。
一人の時間に、こうやって文章を書くこともあれば、ボーッとして過ごしたり、何も考えずにネットサーフィンしたりすることもある。
あとは、仕事が始まる前にコーヒーと水を買う。
無意識にストレスや疲れから逃れようとするとコーヒーの摂取量が増える。
それを自己肯定するために、ある程度の水も合間に飲む。
私のこの小さな習慣は、社会人になったときから数年間続けてきた習慣だから、一度止めようと思って止めてみても、気付いたらまたやっているっていうくらい身に付いてしまっている。
この習慣を長い期間止めたことはないから、この習慣が良いか悪いかなんて正直私にはわからない。
でも、一つ確かなのは、なぜか「安心感」は生まれるということ。
それがまたいきすぎると、強迫観念につながりかねないけれど、どのような形であれ、どのような程度であれ、安心感を生み出すのは確か。
日常に安心感を求めるということは、つまりは日常に不安を抱いているということ。
日常的な不安は、適度なものである必要がある。
適度なものであれば、ある程度の休息と習慣で不安は和らげることが出来るから。
でも、もう引き戻せないくらいの大きな不安を毎日感じているとしたら。
それなりの安心感を得るためだった習慣が、強迫観念を生んだり、逆に自分を追い込むような要素になっていたりしたら。
それはもう、自分の力だけで解決することは難しい。
何が良い習慣で、何が悪い習慣かなんて分からない。
でも、確実に悪いと言える習慣もある。
日常的な不安に怯えて、寝不足や情緒不安定に悩まされる、それでも「大丈夫」と言い聞かせて、自分に毎朝鞭を打って会社や学校に行く。
それが習慣になっているのなら、それはすぐに止めるべき習慣だ。
私はまさに、それで自分を失いかけた。
勇気をもって抜け出すべき習慣だ。
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