教育の現場で守られるべき《幼き思い》
千葉県野田市小4女児虐待死事件について、連日のようにニュース報道が行われています。
報道を見聞きするたびに、心が締め付けられるような、やるせない思いを抱く人は少なくないはずです。
少し前までは、子供が助けを求める場所もほとんどありませんでした。
その結果、子供への虐待はほとんどが顕在化せず、虐待を受けた子供たちは、心に傷を負ったまま大人になっていく状況にありました。
表面的には分からなくても、小さい頃に負った心の傷はずっと深く残るものです。
だからこそ、大人の身勝手な思いや都合だけで、子供が心を痛めることはあってはいけないのです。
この事件で一番に問題視されるべきは、教育委員会の対応です。
つまり、「父親に暴力を受けていると女児が訴えたアンケートのコピーを父親の要求に応じて父親に見せた」という対応のこと。
この対応に言い訳があってはならないと、あえて私は強く訴えたいです。
何よりも、どのようなことがあっても、身近な大人たちが子供を守らなければならないという強い責任感は必須なのです。
私は、教育に携わる人たちが、”一人で”子供たちの今や将来に責任を負う必要はないと思っています。
教育に携わる人であっても、当然同じ人間であって、『聖職者』と言われる必要はないと思うのです。
それでも、必ず守るべきラインが確かに存在します。
それこそが、子供の思いを守ることです。
今回の教育委員会の対応は、その必ず守るべきラインを完全に踏み越えてしまっています。
子供が決死の覚悟で訴えた思いは、その思いを受けた大人たちも決死の覚悟で守るべきであるにも関わらず、今回の事件では、いとも簡単にその子供の決意を裏切ったと言えます。
教育の現場にも限界はあります。
全てを完ぺきにフォローすることは不可能です。
だからこそ、守るべきラインだけは押さえてほしい。
今回はその意識の欠如によって、一人のかけがえのない命が失われました。
教育の現場で守られるべきものは、ただただ「子供の思いと決意」、それだけです。
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