従兄の死③
前回のお話⇒【従兄の死②】はこちら
間に合わなくてごめんね
姉と私は、従兄がいる病棟へ…
すると待合室には親戚が集まっていました。
病室へ目を向けるとそこには
全身に黄疸が出ていた従兄の姿…。
従兄の家族が寄り添い、伯母さんが
頬に手を添えていました。
「こんなに管とおして苦しかったね、よくがんばったね…」
そう言っているのが聞こえました。
私は、従兄が入院してからというもの
一度も会話出来る機会がありませんでした。
涙が溢れてくるだけで、言葉が出てこなかった…。
ただ呆然と立ちすくんで、従兄を見ることしか出来なかった…。
「間に合わなくてごめんね…」
私は、心の中で謝るばかりでした。
従兄は、23歳という年齢で人生を終えました…。
従兄が漏らした言葉
伯父さんは、従兄が漏らした言葉を私たちに教えてくれました。
「あいつはいつも弱音を吐かんかったんやけど、入院して
容態が急変する状態の時に、俺に聞いてきたんよ。
『僕、死ぬの?』…って。
あれが最初で最後の弱音やった。」
いつも周りを笑顔にしてくれていた従兄。
知的障害を持っていることも感じさせないほどの
内側から溢れてくるエネルギーはとても力強いものでした。
しかし、この時に一度だけ…
『死』というものに対する恐怖と不安を漏らしたのです。
私は『死』というものを、それまでどこか『まだ先のこと』と
感じて生きていたのだと思います。
従兄の死という現実を目の当たりにした時
『いつ訪れるか分からない』と思うようになりました。
従兄が漏らした言葉は
「僕、もっと生きてたいよ!」という
叫びにも感じました。
今日を生きていることに感謝…。
従兄が生きたかった『今』を私は生きている。
悔いのないように生きようと強く感じた日になりました。
純粋な魂
従兄の葬儀が行われ、この時に多くの方が参列くださいました。
その中には、中学校の頃から仲が良かった同級生の皆様の姿もあり
当時の担任の先生の姿も見えました。
「本当に明るい子だったよね。」と
皆さん口を揃えておっしゃっていたのを覚えています。
これほどにも良き人間関係に恵まれていたのは
従兄が純粋な魂を持っていたからだと感じています。
葬儀の時には、従兄が大好きだったX JAPANの曲を
ずっと流し続けていました。
「聴こえてるかな…この曲大好きだったよね…」
喜んでくれるといいな…そんな思いで私も聴いていました。
葬儀の後…
従兄のお通夜…葬儀まで終わり、火葬場へ行きました。
本当に純粋で真っ直ぐな生き方をしてきた従兄。
身内は皆「長く生きて欲しかった…」と口を揃えて言っていました。
従兄のお骨が帰ってくるまで、私たちは火葬場の待合室で
それぞれ様々な思いを抱えて待っていました。
「結婚もしたかっただろうね…。もっと生きたかっただろうね…。」
いつも笑顔で周りを明るく照らしてくれていたことで
周りの人たちの人生に、光を与えてくれていたと思います。
私も生きるという意味を深く考えるきっかけになりました。
私が成人式の時に、従兄の家におじゃました時のこと
従兄はすごく嬉しそうにカメラを持ち、写真を撮ってくれました。
その写真が従兄と一緒に写っている最後の写真となりました。
もう涙が止まらなかったです。
もっと一緒に遊びに行けばよかったとか
もっと楽しい時間を増やして行けたらよかったという思いは残っています。
今でも『ありがとう…』という感謝の気持ちでいっぱいです。
『従兄の死』を最後までご覧くださり、ありがとうございました。
実はその後、従姉までも亡くしてしまうというお話へ続きます。
従兄の葬儀に参列していた、3歳上の従姉がいるのですが
なんとなく暗い面持ちでたたずんでいたのです…。
従姉が私の父に「ちょっと話を聞いて欲しいんやけど…」と
声をかけてきたという事を後日聞くことになります。
『従姉の死』に続きます。