従兄の死①

私が20歳の頃、いとこが立て続けに2人亡くなるという出来事が起こりました。


『死』というものに対して何を思うのか…
従兄と従姉を通して学ぶことになるのです。


まずは従兄のお話からさせていただきます。

心臓の持病を思わせないアクティブさ

私には2歳上の従兄がいました。
従兄は、生まれつき心臓が弱く、少し発達障害がありました。


しかし、そんな事を思わせないほどアクティブで
何にでも果敢にチャレンジしていく性分でした。


物怖じせず、気になったらどこまでも追求する!

好きなことには全力で突き進む!

大好きな音楽は、X JAPAN!


めげることなど一切ない人でした。


人との関係に恵まれている従兄

従兄の周りには、とても優しい人たちが集まるのです。
巷でヤンキーと呼ばれる同級生も彼の友人でした。


中学生の頃は、従兄がいじめの標的にされてしまったのですが
その時も、その友人はいじめていた生徒から従兄を守ってくれて
卒業するまでとても良好な友人関係を築いていたようでした。


従兄は中学校を卒業してから支援学校を経て、地元の食品工場で
働き始めました。

私が当時勤めていた職場から近いところにあったので
帰りは私の運転で迎えに行き、一緒に帰ることも多々ありました。


「働くことが楽しい。」
「職場の人たちは、みんないい人ばかり。」


車内では、楽しそうに話す従兄を見て、私も笑顔になっていました。


優しい方々に恵まれているというのも
従兄の生まれ持った天性であると感じました。

全力で楽しむ生き方を選んでいた

従兄は、カラオケで気持ちよく感情を込めて歌ったりして
身内の中でもムードメーカーという存在でした。

よく歌っていたのは昭和の歌謡曲が多かったです。

親世代がたまらなく喜ぶような選曲ばかりで
私はあんまりついていけなかったのですが
何度も一緒に行っていると、覚えてしまいました。

そして、毎回歌っていたのは『サライ』。
従兄の中では何か感じるものがあるのか
熱唱とも言えるほど、感情込めて歌っていました。


また、季節は秋…ある日の夕方に差し掛かった頃。
伯父さんか、私の父か、急に思いついた様子で

「釣りに行こうか〜」

その言葉に乗った従兄と私は
一緒に夜釣りに行ったこともありました。

夕方から出発し、近くのコンビニでおにぎりと
お茶、ちょっとしたお惣菜を買って海へ向かいました。

時間は夜でしたが、ピクニック気分で海を見ながら
おにぎりをほおばり、「釣れたらいいね〜」と話していました。

結局、釣れることはなく夜中にフラッと帰るのでした。

それでも、釣竿を海へ落としぼんやりしている時間も
みんなで楽しんでいたのを覚えています。

海にきた記念に、従兄と写真を撮りました。

とにかく全力で楽しむ!というのが従兄の生き方でした。


「楽しかったね。また行こうね。」

しかし、次の約束は果たされることはありませんでした。


…次回のお話へ続きます。


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りくゆと【独りひっそりビジネス7年目】
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