欲求は、きりがない。 「渇愛」と言われ、 満たすほどに、倍、度を増して渇く。 のどが渇いたからといって、 海水を飲むと、余計に渇くのと同じ。 きりがない欲求に振り回されて、 いつになったら、心の平穏がやってくるのだろうか。 <!-- Begin Mieruca Embed Code --><script type="text/javascript" id="mierucajs">window.__fid = window.__fid || [];__fid.pu
昨日、たまたま、年下の経営者の人と話をしました。経歴に、思わず引き込まれてしまいました 地元から、大学進学を機に、東京に進出。 バイトの面接を落ち続け、歌舞伎町でスカウトされ、ホストを始める。 かなりお金が溜まったあたりで、ホストを辞め、ニートになり、廃人生活。 大学も中退。 その後、海外に1年住んで、色々な感覚を知る。 日本に戻り、親戚と一緒に、地元に、飲食の店を立ち上げ、経営。 それも飽きたあたりで、有名講師のセミナーに参加し、衝撃を受ける。 会社に入社。
一生懸命に生きる。 ひたむきに生きる。 かっこいいですし、良い生き方として、よく教わってきましたし、 回りでもよく聞きます。 時代が変わり、生き方も変わってはきましたが、 一途にひたむきに打ち込む生き方に 心惹かれるものがあります。 さて。 一生懸命に生きるって、本当に「いいこと」なのか。 少し考察。 一生懸命さから言えば、戦時中、 お国のためにと命を投じていった人たちは ものすごい一生懸命だったでしょうし、 きっと今の私より遥かに必死に生きておられ
描いてみた。 絵を。 何でもその業界にはプロや玄人がいて、 自分にできることには限界があるとは知っているし 実感もしています。 でも。 それでも。 ある程度、やり続ければ、 ある程度、やり続けたなりの形にはなってくるとも思っています。 昨年から、YouTubeへの動画発信をするにあたり、 企画、原稿作成、撮影、編集、アップロードと ほとんどやったことがなかった自分が、 ヘタなりにもやり続けて、 ほどほどにはできるようになってきました(と自分で思ってい
「言い訳」は聞き苦しい。 自分のやったことを正当化しようとする。 でも。 したくなる気持ちは誰にでも起こる。 (したくなりますね、どうしても) だって、自分が悪かったと思いたくないから。 ミスを指摘されて 「あの人が悪いんです」 「この人が、やれって言ったんです」 など、他責に走るのは、もちろん良くないです。 ただ、自覚なく、 意外としてしまっている「言い訳」が1つあります。 それは、「状況説明」です。 「え。状況説明は、言い訳とは言わないんじゃない
悪いことが嫌い、というのもあるけど。。 人は、どんなに良いものでも、 自分がまだ知らない(未知)ことを嫌がる傾向にある。 よくわからないものには、手を出したくないですよね。 ブラックボックスの中に、手を入れたくないように。 情報を受ける側も、自分の無知を棚に上げて、 新たなアイデアや意見を否定するのは、 自分の可能性を潰している可能性も考慮しておきたいところです。 そのブラックボックスの中身は、 調べれば、たいてい、中身を知ることはできるし、 実は、勇気を
哲学を学ぶよりも、 哲学する力を育みたい。 なんとか主義とか、幸福論とか、論じるのは、 一般的な、哲学を学ぶ、というイメージ。 ちょっと、難しく、近寄りがたい印象です。 (哲学好きの人、ごめんなさい💦) 私としては、哲学する力が、 育まれる素地を作っていきたいと思っています。 哲学するとは、 「なんでテレビは、番組制作にものすごい大金をかけているのに、 テレビの視聴が無料なんだろう」 「なんで、実際は緑なのに、信号機の色を 『青信号』というのだろう