「指示待ちはダメ」という思考停止フレーズにハマって #仕事ごっこ にならないために
「指示待ちするヤツ使えねーな」とか思ってしまう上司と「指示待ちするなっていうから、自分で考えてやってみたら、勝手なことをするな!と怒られた」という悲しみを背負った新人という光景はよく見受けられます。
この問題は、そもそも「指示待ちをするな」という言葉が雑すぎて、内容が不正確なために生じるものです。つまり「指示待ちをするな」というよく言われるフレーズには情報量がほぼ無いのです。分かる人は分かるけど、分からない人には教える気が無いタイプのフレーズだからです。
そこで、この記事では「指示待ちをするな」という思考停止状態を脱して、どう説明すべきかを試みます。
前提
まず、前提となる条件が存在します。
業種によって異なるかも知れません。今回の話は基本的には答えが無い業界の話です。特定職業に限定するなら、答えがあることをひたすらやり続ける業界があるかもしれませんし、その場合にはおそらく指示待ちという概念は存在しないでしょう。ただ答えを解けばいいだけですから。
答えとは
「答え」についてもう少しかみ砕きましょう。ここでいう答えは、一つに定まる不変の正解のことです。
現実的な経済活動や様々な公共の仕事などに、不変の正解はまずあり得ません。不変の正解があるなら、そのジャンルはレッドオーシャンどころの話ではありません。
正解が無い、正解があってもすぐ変化しうるという不確実な世界だからこそ、経済競争なりが生じるのです。
少なくとも筆者のいるソフトウェアエンジニアリングの世界は、いかに不確実性と戦うか?の世界です。
たとえば、トヨタのカンバン方式に端を発する、リーン、アジャイル、スクラムそれらは全て不確実性と戦うための術です。
ただし答えが無いというのは、大きな視点でみたときの話です。小さく物事をかみ砕いていくと、じつは答えのある問題の組み合わせであることもあります。
※答えの無い問題を落とし込んで、答えのある問題にして、その問題を解くというスキルは社会人であれば身につけていなければならないものです。
情報共有の話
また答えになりうるものがいくつもある(桁数も多い)が、様々な制約条件により、選ぶことのできる答えが限定されることもあります。これは特にトラディッショナルジャパニーズカンパニーに目立ち、度々そういったものが「仕事ごっこ」と揶揄されますが、ベンチャーなんかでも、金の制約や、ポリシーの制約などはもちろん存在します。
制約条件を知ることが優先されるべきですし、そういった制約条件を元に、いくつかある事柄から絞り込むスキルが必要になります。
制約条件の中には「この答えを選ばないだろう」という、いわゆる常識と呼ばれるものがありますが、多様性の現代においては、常識というものはあやふやです。
ジャパニーズトラディッショナルカンパニーでは、そういったカンパニーの中の常識と呼ばれるものをいち早く覚える必要があるでしょう。
常識を構成するものとしては、倫理だったり、経済学的な考え方だったり、技術者的な考えだったり、ジャパニーズトラディッショナルカンパニーにありがちな謎の伝統や信仰など、様々なものがあります。
物事の判断基準、価値観をすりあわせるところから始めるといいでしょう。
情報の共有はコミュニケーションにおいて大切なことです。これは双方がサボってはいけないものです。
受け身ではいけない
社会においては、受け身の人というのは「オキャクサマ」以外にはいません。金を払って(あるいは見えないコストを支払って)何らかのサービスを受ける人だけが受け身でいてもいいのです。
どういう職種でも趣味の活動でも、受け身の人にはあまりいい未来は訪れません。
ただし、ありとあらゆるものに能動的に活動するというのは、人は無限のエネルギーと時間を持っているわけではないので非現実的です。
金や創意工夫など様々な方法で解決できるなら解決する、あるいは能動的に動く優先順位を付ける必要性があります。
受け身とはどういうことか?別の言い方をすると他人事か自分事かの違いといえます。他人事であるというのは他人が主体であり、他人のことに対して、受動的にしか動けないからこそ受け身なのです。
指示の話とは少しズレますが、ソフトウェアエンジニアリングにはドッグフーディング(自分たちが作成しているものを自分たちで使うこと)がありますが、意外にこれはバカになりません。
他人事で作ってるプロダクトは、大抵の場合どこか空々しいものになりがちです。自分の作っているプロダクトを他人事だと思って作っていれば、どこかに「これ分かってない人が作ってるな」感が滲み出てしまうものです。
仕事や趣味も、全て、自分事に出来るかどうかは重要なことです。他人事である限り、その人はほとんど成長できません。
もうおわかりかも知れませんが、指示待ち人間が嫌われる理由の1つは、「他人事にしている」からです。
自分事と自由と責任
では自分事にする場合どうなるのでしょうか?
たとえば誰かと一緒に行うような趣味やその他の活動ならば、その活動の場を自分事として自分たちで作り上げる、誰かに任せっきりにしないということが必要になります。アクティブメンバーに任せっきりだと、その人たちの負担が大きい、いつか潰れる可能性があるというものです。
仕事であれば、会社やプロジェクトなどが破綻しないようにする、会社の目的を達成するのはある程度自分事です。もちろんその人の職種やら何やらで、自分事にできる範囲が定まってしまいますが、少しでも自分事にもっていく方がよいでしょう。
ただ、これらはべき論というか、こうあるべきというものです。人間には自由意志があり、日本国内では自由がある程度保証されています。会社に殉じる義務も、趣味に殉じる義務もありません。自由意志の元選択する必要があります。
自由に自分事の範囲を決めることができます。ただ、その結果どうなるかはシミュレートした方がいいでしょう。
他人事にした結果、コミュニティは崩壊するかもしれませんし、プロジェクトで思わしい結果が出ないこともあります。
自分事にすると負担は増えるかもしれませんが、少しでもそこになじむことは出来るはずです。また、何かしら成長や貢献といったものもできるでしょう。
さて、そこに自分自身が価値を見いだすかがまさに自由意志です。シミュレートした結果、どれを選ぶかは当人が決めることです。他の誰も決めてくれる人はいません。もしいたらその人は間違いなく詐欺師です。カモにされているのですぐ自分で決められるようにしましょう。
自分が成長することや貢献すること、会社がミッションを達成することに興味関心、価値を見いだせないのであれば、そこから脱するという選択肢を考えてもいいのかもしれません。もちろんその場合、そこから脱して、次どうするのかは全て自己責任ではあります。
再び、前提について考える
ここで、再び前提の話に戻ります。
「答えが無い」という前提でした。
自分がどういう選択肢を選ぶか?はまさに答えの無い問題です。それぞれシミュレートして、自己責任においてどっちを選ぶかというものです。
会社組織で仕事をしている場合、上司は部下の仕事に対して責任を負うので、自分事として仕事をしている限り、まっとうな上司であればそれらの責任は、パーセンテージはともかく上司の責任になります。
ただ、実際のところ、上司は答えを持っているわけではありません。答えを持ってるなら全て終結しているはずです。もし「答えを持っている」ように見えるとしてもそれは「こうやればこうなるという予測」をもっているだけです。
上司に限りません。親、教師、国会議員、ありとあらゆる人は答えなんて持っていません。教師は答えを持っているように見えますが、教育の為に、答えが出るように、物事を限定・単純化した問題を作成しているから答えがあるだけです。
つまり、答えを持っていないのは自分だけではなく、他の人たちもそうなのです。選択肢を絞り込んでこうすると決めている人は、答えがあるように見えるかもしれませんが、それは決して答えがあるわけではないのです。
仕事とは何か
すごく大雑把にいうと、状況を判断し、その状況において、必要な役割が何かを考え、自分のできる範囲で役割をこなすことです。
その為にはまず、状況を判断するに足る情報を得る必要があります。ジャパニーズトラディッショナルカンパニーのように仕事ごっこが蔓延している環境では、「それはキミの知るべきことでは無い」みたいなものがいっぱいあるディストピアめいた何かかもしれませんが、そうでなければ、自分たちのプロジェクトなりに必要な情報を集めることはできるはずです。
※残念ながら組織および、組織を構成する人に左右されがちな話なので、「場合によりけり」という結論にしかなりませんが。
どういう役割が必要なのかは?チームリーダーじゃないと割り出せないかもしれませんし、そうじゃないかもしれません。
そういったことを考えようとすると、越権行為だと感じる仕事ごっこなリーダーもいるかもしれません。
いずれにせよ、自分がどういう状況に置かれているか常に分析しなければいけません。もしかしたら茹で上がろうとしているぬるま湯かもしれません。
その上で、どれだけ自分事にできるか?で指示待ち人間からは脱することができるでしょう。
※上司が指示待ち人間を求めていることもあるかもしれません。転職なりなんなりも選択肢であることは考えた方がいいこともあるでしょう。
まとめ
・ ものごとに答えがあるとは思わない方がいいでしょう
・ 価値観や常識、知識のすりあわせが必須です。知ることから始まります
・ 受け身の人(他人事の人)には大体いい未来は訪れません
・ 自分の選択についてシミュレートし、自由意志のもと行動しましょう
これらによって指示待ち人間という現象は激減すると筆者は考えています。よろしければ皆様のご意見・ご感想などもいただければと思います。