もしあなたが18世紀のカリブ海に暮らす船乗りに転生したら?あなたの働く商船が最近話題のバーソロミュー・ロバーツ海賊団に拿捕され、悲しくも海賊にさせられてしまったら!?
まず第一に頼るべきはこの人!筆者が個人的に「バーソロミュー海賊団の良心」と呼ぶ「ハリー・グラスビー航海長」です。
このnoteでは、Fate/Grand Orderに登場するバーソロミュー・ロバーツ推しの筆者が、史実の海賊団に所属していたクルーであるハリー・グラスビーとヴァレンタイン・アッシュプラントの紹介をいたします。注意ですが、あくまで史実の人物についての解説なので、この二人が型月世界に存在していたかは未確定です。
ちなみに私はブロマンス(男同士の友情)が、両メカクレの次くらいに大好き!ということで、グラスビーとロバーツ船長との関係だけでなく、グラスビーとアッシュプラントの友情にも注目していきたいと思います。
……先に述べておきますが、読み応えバツグン!もとい、引用モリモリマッチョマンの長文(約25000字)です。気長に読んでくださいね。
もくじ
ブラック・バートの策略
運命(フォーチュン)に囚われた不運な男 ハリー・グラスビー
航海士としての腕は船長以上
堅気の代表者
二人は似た者同士?
それでも海賊を辞めたいんだ!
ハリー・グラスビーの唯一の友人 ヴァレンタイン・アッシュプラント
脱走
北からツバメが飛んできて ~ バーソロミュー海賊団・最期の戦い
最大にして最後の海賊の没後 ~ 命を分かつ判決
おわりに
参考文献
ブラック・バートの策略
ハリー・グラスビー(Harry Glasby)は、ヤンキー(Yankee)すなわちアメリカ北部出身の船乗りで、既婚者です。苗字に表記揺れがあり、日本語訳によってグラズビィやジレスピーと書かれていますが、同一人物を指しています。
彼は、サミュエル・ケアリー(表記揺れでキャリー)船長率いる豪華船サミュエル号で、一等航海士をしていました。この船は1720年4月終わりごろにイギリス・ロンドンを出発し、11週間後の7月13日にカナダのニューファンドランド島沖で海賊の襲撃を受けました。彼らを襲った船の名はフォーチュン号。そして襲撃したのは、当時まさに悪名を轟かせつつあったバーソロミュー・ロバーツ海賊団でした。
バーソロミュー海賊団がサミュエル号を拿捕したのは、単なる偶然ではありません。彼らはここに商船が来ることを確信して、まさに網を張って待っていたのでした。その訳を知るためには当時の貿易と航海術について知る必要があります。
18世紀の当時は、ヨーロッパ・アフリカ・南北アメリカの大陸を跨いだ三角貿易が盛んでした。すなわち、アフリカから労働力として奴隷をアメリカ大陸に運び、アメリカ大陸でその労働力と広い土地を利用して農鉱業品を生産し、生産品を本国のあるヨーロッパに運んで資金に換え、再びアフリカ大陸で物資を調達して……というサイクルを繰り返していたわけです。
一方で当時の航海術は未熟で、日付と天体の位置から緯度は割り出せても、経度を正確に割り出すすべは持ち合わせていませんでした。噛み砕いていうと、南北はほぼ正確に分かるけれど、東西は船乗りの勘、もとい職人技任せだったのです。
そこで交易船は、港を出帆したら緯度を測りながら東あるいは西にまっすぐ進んで、陸地にぶつかったら地形を元に現在地を割り出し、あとは海岸線に沿って目的地に向かっていました。すなわち、大まかな航行ルートが決まっていたのです。
長年、商船の乗組員をしていたバーソロミュー船長は、こうした航路事情を熟知していました。そこで彼が目をつけたのが、北アメリカ大陸の東岸にあるニューファンドランド島です。世界地図を見れば一目瞭然ですが、この島はヨーロッパのほぼ真西に位置し、しかも北アメリカ大陸の最東端にあります。いわば欧州からやってくる船舶にとって、北アメリカ大陸への玄関口でした。
バーソロミューは1720年の夏の始めに島の南東にあるトレパシーという漁港を占領しました。以降4ヶ月間に渡り、彼はそこを拠点として沖合を通過する商船を見つけ次第捕えていたのです。三角貿易の破壊者がコノヤロー。
こうしてグラスビーが乗っていたサミュエル号もまた、数ヶ月に渡る航海の末、陸地を目の前にして海賊の手に落ちてしまったのです。
運命(フォーチュン)に囚われた不運な男 ハリー・グラスビー
とはいえ、この襲撃を喜んだクルーも少なからずいたでしょう。その理由はバーソロミュー自身が述べた通り、当時の船乗りのあまりよろしくない就労環境と懐事情にありました。
海賊はひとたび捕まれば絞首刑になってしまいます。一方で、堅気の数十倍儲かる仕事でもありました。そこで「無理強いさせられた」というテイで志願する者が後を立ちませんでした。バーソロミューも志願者のみを部下に加えると語っていたそうです。
後年では、海上生活をしたことがない人々までバーソロミューの傘下に加わりたがったそうです。さすがに海での暮らしに慣れていない者は断ったものの、船乗りならばお情けで仲間にするほどバーソロミュー海賊団は大人気でした。
ただグラスビーのときは別でした。彼はけして海賊になりたくなかったのにもかかわらず、海賊にさせられてしまったのです。
このとき操舵長を務めていたトマス・アンスティスは後にバーソロミューの元を離反し、果ては海賊を辞めたいと願う部下に寝込みを襲われ、銃殺されています。海賊ってロクな終わり方しませんね。
航海士としての腕は船長以上
グラスビーが海賊にさせられてしまった訳は、高機能の技能を身につけた船乗りは数が少なく、頭数さえ揃えばいい一般船員とは異なり、代替が効かなかったことにあるのかもしれません。
グラスビーは嫌々渋々海賊になったため、なかなか同僚とは打ち解けず、無口でした。ただ、職人かたぎな性格だったのも相まって、船舶に関しては一家言あったそうです。実際、彼の知識と技術は確かで、40歳手前の老獪な航海士であったバーソロミューをしのぐほどでもありました。
時期は不明ですが、ハリー・グラスビーは早々に航海長に任命され、海賊団が壊滅するまで一味が所有する船舶の主たる管理者を続けていました。後年、増大する部下に手を焼き、徐々に仲間たちと打ち解けなくなっていったバーソロミュー船長ですら、グラスビーには助言を頼んでいたほどです。
船長がポカをして海の真ん中で遭難しかけたときも、グラスビーと協力してこの窮地を脱しています。
堅気の代表者
それだけではなく、グラスビーは海賊団の堅気の代表者として署名をする機会もありました。商船の船長たちは、海賊に襲われたときはやむなく積み荷を譲り渡すのですが、その後になんの補償もないと単なる損なだけでなく、売り買いする商品を失ったことによって食いっぱぐれてしまいます。くわえて本国にいる船の持ち主や投資家に、海賊に襲われたと嘘をついて積み荷をくすねたのではないかと疑われるかもしれません。
そのため、商船の船長は海賊被害を受けたという証拠を欲しました。そこでバーソロミューは(略奪を終えて逃がそうとしている)商船の船長に事情を記した「領収書」をしたため、さらに直々に署名をしました。彼はかなり気前よくこれをしたためていたそうです。この男ノリノリである。
そして内容に虚偽がないことを保証することために、海賊団のなかでも一般人枠の人物が連名をしました。そこに記されていたのがハリー・グラスビーの名だったのです。実際の「領収書」は次のような内容で、これが書かれた時期はバーソロミューが亡くなる約1ヶ月前です(海賊列伝の記載にズレがあるため、年月日は1年前の日付になっています)。
二人は似た者同士?
筆者は海賊団の部下のなかでも特にグラスビーが推せる!と考えています。なぜなら、バーソロミューの部下でありながら、バーソロミュー自身と似通った点を多く持っているからです。ここでバーソロミューが海賊になった経緯について軽く説明しておきましょう。
バーソロミュー・ロバーツ(本名:ジョン・ロバーツ)は元々、プラム船長が率いるプリンセス・オブ・ロンドン号という奴隷船で、二等航海士をしていました。この船は、ロンドンを発った後、アナマボ(現・ガーナ共和国のアノマボ)に着きました(※1)。
グラスビーが海賊になったときから遡ること約1年前の1719年6月6日(※2)、プリンセス号は他2隻の商船(※3)と共にハウエル・デイヴィス海賊団に拿捕されてしまいます。
ハウエルもまた、バーソロミューと同じく無理に手下を増やそうとはしなかったそうですが、そのときは新しい船に乗り換えたばかり。操船のための人手を欲していました。そのため商船の船員たちを自分の部下にしてしまったのです。
バーソロミューを含めた数人のプリンセス号の船員たちは、海賊になるのが嫌で最後まで抵抗しました。しかし痛い目に会い、結局は意気消沈しながらも海賊稼業に足を踏み出すこととなったのです。
ところがその後、バーソロミューは当確を表しました。元より優れた航海技術を持っていた彼は、帆装や針路について進んでアドバイスをし、荒くれ者たちの信頼を勝ち取っていきます。
バーソロミューが海賊になってから6週間後、アナマボの南東にあるプリンシペ島で、船長ハウエル・デイヴィスが亡くなりました。こうして新たなる船長に選出されたのが、バーソロミュー・ロバーツだったのです。
船が拿捕されたことをきっかけに、嫌々海賊になった優秀な船乗りという点で、ロバーツとグラスビーは一致しています。共通点はそれだけではありません。グラスビーは禁酒家でもありました。
バーソロミュー海賊団の掟には禁酒に関するものがあります。
つまるところ、夜は酒飲むな、さっさと寝ろという掟を施行したものの、ほとんど誰も守らなかったわけです。
似た境遇で同じ道を歩き始めた、真面目で優秀で掟もちゃんと守るクルー……。ロバーツ船長にとって、グラスビーはこのうえなく好ましい人物に見えたのではないでしょうか?しかしながらグラスビーは頼れる反面バーソロミューひいては海賊団全体にとって悩みの種でもありました。
それでも海賊を辞めたいんだ!
バーソロミューは海賊になりたくないという船乗りにこんなことを言っています。
しかしグラスビーは良心の呵責があったからか、はたまた故郷で妻が待っていたからか、徹頭徹尾、心底海賊を辞めたくて仕方がなかったようです。彼が無口だったのも「悪い奴らとは話なんてしたくない!」という気持ちの表れからかもしれません。バーソロミューに対しても、丁寧とはいえ塩対応です。そのせいか、海賊仲間とは打ち解けず揉めることもしばしば。
そのとき、殴った相手に横から殴りかかったのが、バーソロミュー海賊団の幹部のひとり、ヴァレンタイン・アッシュプラントでした。
ハリー・グラスビーの唯一の友人 ヴァレンタイン・アッシュプラント
ヴァレンタイン・アッシュプラント(Valentine Ashplant)は、少数民族生まれのロンドン出身者です。彼が海賊団に加わったのは、まだハウエルが存命だったころの1719年(※4)。
バーソロミューとどちらが早く加入したかは(私の手元の資料だと)不明ですが、少なくともハウエルの没後、新船長選出のときには、すでに海賊団の幹部になっていました。声がデカく、性格は短気な喧嘩屋。生粋の海賊といった風です。
先ほどの喧嘩でも、その片鱗を覗かせています。
しかし(多少)打ち解けられる相手ができたものの、グラズビーの決心は揺らがなかったようです……。
脱走
1720年秋、涼しくなってきたのを契機にしてバーソロミュー海賊団はニューファンドランド島の基地を手放して、カリブ海へと南下を始めました(まるで渡り鳥のように)。
そしてグラスビーが海賊となってから約5ヶ月後の1720年11月、西インド諸島(※5)で一味がお楽しみの最中だったときのことです。グラスビーは他2人のクルーと共に脱走を試みました。……ところが、その企みはすぐさま感づかれ、彼らは捕まってしまいます。
海賊にとって脱走はとても重い罪。最悪の場合「無人島置き去りの刑」となります(※6)。もちろん悪くても銃殺です。
海賊団で揉め事があると、軽微な内容なら副リーダーである操舵長(クォーターマスター)が裁定します。しかし今回は脱走という大事です。そこで幹部連中が招集され、彼らを判事とした海賊裁判が開廷しました(※7)。
そこで助け舟を出したのが、判事のひとりをしていたアッシュプラントでした。
熱ーーーい!アッシュプラント、どうしてそんなにグラスビーのことが好きなん?
さて、彼の説得を聞き入れたのか(はたまたグラスビーの船乗りとしての腕前を買ったのか)、判事たち全員がアッシュプラントの意見に従い、グラスビーに対して無罪を言い渡しました。
こうしてハリー・グラスビーは死を免れたのです。ただし残りの2人は……。
それからというもの、グラスビーには監視の目がつくようになりました。それでも彼は時間をおいて2度目の脱走を図ります。1721年2月のことでした。
ところが原生林を2~3日彷徨ったものの、失敗に終わってしまいます。問い詰められたグラスビーたちは、脱走したという事実をうやむやにして難を逃れました。
グラスビーが海賊になって1年経ったころには、すでに彼が善良であるという噂が海賊団の外にも漏れ出ていました。オンスロー号に乗っていたエリザベス・トレングローヴ夫人は、船が海賊団に拿捕された後、彼女をちやほやするクルーを介して、ジレスピーとコンタクトを取ろうとしました。ところが……。
このように、グラスビーはすっかり乗組員から疑われています。かといって足抜けも許されない様子です(肩身狭いね!)。
せっかくの頼りになりそうな船員だったのに。あな、お労わしや、バーソロミュー船長……。前船長のハウエル・デイヴィスの下で海賊稼業の良さに目覚めた自分とは違い、グラスビーは全然乗り気になってくれません。
それどころか、彼は略奪で得た分け前を似た境遇のクルーにほとんどあげてしまいます。さらに略奪を受けて立ち去ろうとしている商船マーシー号のロールズ船長に、とあるお願いをしたほどです。
グラスビー、マジでイイ奴だなぁ……。家族想いの愛妻家に違いない。
北からツバメが飛んできて ~ バーソロミュー海賊団・最期の戦い
およそ3年に渡り、バーソロミュー海賊団は大陸を跨いで暴れまわっていました。そのせいで交易船は略奪に怯えて港に引きこもるほど。……しかし、そんな彼らもついに年貢の納め時がやってきます。
1722年2月5日、海軍船スワロー号がロペ岬(現ガボン共和国・ロペス岬)にてバーソロミュー海賊団を発見します。
時刻は早朝。海賊たちはみんな浜辺でのんびりとしており、こちらに船が向かってきているのを見ても、ポルトガル籍の商船か何かだと考えていたのでしょう。特に警戒する様子はありませんでした。
一方、スワロー号の船長チャロナー・オウグルは、急いで船を回れ右させたのです。海賊団のいる岬へたどり着くためには、風上にのぼりながら、たくさんの砂州を縫って、船を座礁させないように進まなければならなかったからです。要するに分が悪いから一度海に出るべきだと判断したのです。
そうして引き返そうとしている船を見て、バーソロミューは「今追いかけるべきだ」と考えました。略奪のチャンスを逃すわけにはいきませんから。しかし、旗船のロイヤル・フォーチュン号はまさに喫水線掃除中で浜に上がっており、船体を起こすまでにもう一日必要です。ということで、代わりに出撃したのがジェームズ・スカーム船長率いるレンジャー号であり、そこに乗船したひとりがアッシュプラントでした。グラスビーは居残り組です。
レンジャーの出発からおよそ30分後、追いかけっこをしていた二隻はお互いの射程距離に入りました。レンジャー号の乗組員たちはいつものように略奪の準備を……。その瞬間、スワロー号は旋回し、海賊船と横並びになると砲門を開いて、片舷斉射を放ったのです。レンジャー号は混乱に陥りました。相手が武装した軍艦だとは露とも思っていなかったからです。
レンジャー号は交戦を続けましたが、同日午後2時ごろ、ついに行き脚を失い動けなくなってしまいます。そうして午後3時、レンジャー号は慈悲を乞う、すなわち降伏をしました。スワロー号のオウグル船長は砲撃中止を命じます。
ちょうどそのころ、レンジャー号では海賊たちが最後の抵抗をしていました。
戦いによってレンジャー号は激しく損傷していました。軍のなかではこのまま海上で焼いてしまおうかという意見も出されましたが、ひとまず囚人たちを乗せる牢獄船として使われることになりました。かつて船倉に奴隷を積み込んだように、今度はそこに海賊たちが詰め込まれたのです。
かくしてレンジャー号は、海軍に捕らえられてしまいました。しかし陸に残った面々はその事実にまったく気づいていません。レンジャー号がなかなか帰ってこないことに疑問符を浮かべるものの、スカーム船長が長く追跡したうえで略奪を試みたのだろうというのが大方の意見でした。ついにロイヤル・フォーチュン号は傾船修理を終え、航海に最適な状態になっていました。あとはレンジャー号の帰りを待つばかりです。
そして海軍が海賊団を発見してから5日後の2月10日。早朝のまだ霧が深い時間帯に、スワロー号は再びロペ岬を訪れました。そのときバーソロミュー船長は客人を迎えてキャビンで朝食をとっていました。そこへ元水兵の部下が駆け込んできます。彼はスワロー号の脱艦者であったため、迫りくる船の正体が分かったのです。
バーソロミューは毒づきつつも、急ぎ戦闘準備をさせようとしました。しかし皆、酔い潰れて眠りこけています。幹部たち総出でみんなを(文字通り)叩き起こしている間に、バーソロミューはその元水兵に相手の帆走性能について尋ね、作戦を立てました。
午前10時半、ロイヤル・フォーチュン号は錨索を放して出航。そして11時、海軍艦スワロー号と会敵しました。スワロー号とのすれ違いざまに片舷射撃を受けたものの、バーソロミューにとってこれは想定内。そのまま風に乗り、スワロー号が旋回でもたついている隙に海軍から逃げおおせる気でした。そういう作戦でした。
がしかし、スワロー号の旋回砲に怖気づいた部下が針路を誤り、フォーチュン号は風を掴めなくなり停滞。そうしているうちに船は再び、スワロー号からの砲撃を受けてしまいます。
その弾の一つがバーソロミュー船長の喉を貫通。彼は即死して甲板に倒れ伏しました。──ロペ岬は、プリンシペ島の南東に位置しています。バーソロミュー・ロバーツは、奇しくも前船長ハウエル・デイヴィスが亡くなった始まりの地のほど近くで命を終えたのです。
頭(かしら)を失い、メインマストの折れた船の上で海賊団はすっかり意気消沈。マグネス操舵長は海軍への降伏を宣言しました。結局、この交戦で亡くなった海賊はわずか3名だったそうです。
最大にして最後の海賊の没後 ~ 命を分かつ判決
その後、海軍によって護送された海賊たちは全員、ケープ・オブ・コーストにある城砦に集められました。裁判を受けるためです。先も述べた通り、海賊は儲かる反面、掴まれば待つのは絞首台の太縄です。
とはいえ、イギリス本国から遠く離れたアフリカでの裁判だったのもあり、バーソロミュー海賊団の面々に対する裁判はかなり有情だったとも言えます。なぜなら、すべてのメンバーが死刑に処されたわけではなく、無罪放免になったり、有罪とされても(絞首刑ではなく)王立アフリカ会社での7年間の労務に課せられた者もいたりしたからです。とはいえ、この「労務」もロクなものではありません。彼らが送られる(ガーナにある)黄金海岸の鉱山は、病気が蔓延し、食事も満足に得られないようなところでした。到底、7年も生き延びられるような環境ではありません。
1722年3月28日、裁判は先に捕まったレンジャー号の乗組員から始まりました。争点となったのは次の3つです。
海賊になりたいと志願したか?(すなわち強制されていないか?)
略奪に自ら加わったか?
略奪品の分け前をもらったか?
この3点のうち1つでも満たした者を有罪とすると裁判官たちは設定し、海賊たちに尋問したのです。それだけではありません。略奪を受けた被害者の証言がなければ、告発は不成立です。しかしながら長きに渡り大暴れした海賊団でしたから、証言台に立つ人には事欠かなかったようです。
アッシュプラントは、船長が死去する約1か月前に略奪をしたキング・ソロモン号のジョー・トラハーン(表記揺れでテラハーン)船長から有罪証言を受けました(※8)。その証言の対象となった他の面々と共に「ロバーツ船長に命じられてやった」と反論したものの、裁判長のマンゴ・ハードマンはこう言いました。
アッシュプラントらはこれに反論できず、有罪判決を受けました。かつて海賊団の判事として人を裁いたように、今度は彼らが裁かれる側になったのです。
この裁判で死刑判決を受けたのは約50名。アッシュプラントは他の囚人たちと共に絞首台に送られました。そこはコースト砦の門外にあり、台のある岩の上からは海を見渡すことができます。
アッシュプラントを含む最初に吊るされた6名は、海賊団きっての悪名高き者たちでした。けれど彼らは、聴衆に囲まれ、垂れ下がる死を目の前にしても、海賊らしい堂々とした態度を崩しません。
一方、グラスビーの裁判にもさまざまな人たちが証言者に立ちました。
え~!?びっくりするくらい、みんな優し~い!ということ、グラスビーは数々の証人からの擁護を受けることとなりました。さらに彼自身もロイヤル・フォーチュン号が投降した後、海軍に協力的でした。
そしてグラスビー本人も答弁において、次のように述べています。
最終的に、彼は裁判官の全会一致をもって無罪放免となりました。一等航海士ハリー・グラスビーは一度は海賊に身をやつしたものの、運命のくびきから逃れて自由を得たのです。
グラスビーのその後については定かではありません。しかしながら、元の航海士生活に戻ったことは、想像に難くありません。彼の航海技術なら引く手あまたで、何より故郷には家族も待っているのですから──。
おわりに
いかがだったでしょうか?(定型文)
凄腕で善良、だけど海賊をさせられているグラスビーと、生粋の海賊でありながらも彼を庇って何かと絡みに行ってそうなアッシュプラントの二人は!
ハウエル船長⇔ロバーツとの関係のリフレインでありながら、いまひとつ上手くいかないロバーツ船長⇔グラスビーの関係性。それにグラスビーは海賊になってもなお、善性を失っていません。
そしてハウエル船長が生き続けていた場合のロバーツifっぽい立ち位置も、私の激推しポイントです。自分には塩対応だけれど、グラスビーとアッシュプラントが仲良さそうにしている様子に、バーソロミューも何か思うところがあったに違いない!と私は睨んでいます。
しいて欠点をあげるなら、グラスビーは中盤に加入する強キャラポジションなので、バーソロミュー・ロバーツのシンボルである「ダイヤモンドが埋めこまれた十字架」を手に入れるところや、ニューファンドランド島の占領という派手なイベントには参加していないことでしょうか?そこを除けば、最後に生存するところも含めて、非常に主人公適正が高い人物だと思います(※9)。
バーソロミュー生存ルートがあるなら、グラスビーと一緒に海賊団から脱走するしかないでしょ!?それで逃げた後で二人でアメリカに行くんだ!バーソロミューは海賊稼業で稼いだお金で悠々隠居生活をして……。でも、バーソロミューは覚悟ガンギマリで海賊になっているからそれは絶対ないかぁ。はあ。
さてさて、ここまで約25000字をご覧いただき、ありがとうございました。励みになりますので、「いいね」や「すき!」を押していただければ幸いです。それと、諸々のソースがあったら、是非いただきたいです!
参考文献
オーブリー・バール著/大森洋子訳 カリブの大海賊—バーソロミュー・ロバーツ
チャールズ・ジョンソン著/朝比奈一郎訳 海賊列伝(上)
ピーター・T・リーソン著/山形浩生訳 海賊の経済学—見えざるフックの秘密
クリントン・V・ブラック/カリブ海の海賊たち