見出し画像

バーソロミュー海賊団の良心ハリー・グラスビーと、その友人ヴァレンタイン・アッシュプラントの紹介

もしあなたが18世紀のカリブ海に暮らす船乗りに転生したら?あなたの働く商船が最近話題のバーソロミュー・ロバーツ海賊団に拿捕され、悲しくも海賊にさせられてしまったら!?

まず第一に頼るべきはこの人!筆者が個人的に「バーソロミュー海賊団の良心」と呼ぶ「ハリー・グラスビー航海長」です。

このnoteでは、Fate/Grand Orderに登場するバーソロミュー・ロバーツ推しの筆者が、史実の海賊団に所属していたクルーであるハリー・グラスビーとヴァレンタイン・アッシュプラントの紹介をいたします。注意ですが、あくまで史実の人物についての解説なので、この二人が型月世界に存在していたかは未確定です。

ちなみに私はブロマンス(男同士の友情)が、両メカクレの次くらいに大好き!ということで、グラスビーとロバーツ船長との関係だけでなく、グラスビーとアッシュプラントの友情にも注目していきたいと思います。


……先に述べておきますが、読み応えバツグン!もとい、引用モリモリマッチョマンの長文(約25000字)です。気長に読んでくださいね。



もくじ

  1.  ブラック・バートの策略

  2.  運命(フォーチュン)に囚われた不運な男 ハリー・グラスビー

  3.  航海士としての腕は船長以上

  4.  堅気の代表者

  5.  二人は似た者同士?

  6.  それでも海賊を辞めたいんだ!

  7.  ハリー・グラスビーの唯一の友人 ヴァレンタイン・アッシュプラント

  8.  脱走

  9.  北からツバメが飛んできて ~ バーソロミュー海賊団・最期の戦い

  10.  最大にして最後の海賊の没後 ~ 命を分かつ判決

  11.  おわりに

  12.  参考文献



ブラック・バートの策略

ハリー・グラスビー(Harry Glasby)は、ヤンキー(Yankee)すなわちアメリカ北部出身の船乗りで、既婚者です。苗字に表記揺れがあり、日本語訳によってグラズビィやジレスピーと書かれていますが、同一人物を指しています。

彼は、サミュエル・ケアリー(表記揺れでキャリー)船長率いる豪華船サミュエル号で、一等航海士をしていました。この船は1720年4月終わりごろにイギリス・ロンドンを出発し、11週間後の7月13日にカナダのニューファンドランド島沖で海賊の襲撃を受けました。彼らを襲った船の名はフォーチュン号。そして襲撃したのは、当時まさに悪名を轟かせつつあったバーソロミュー・ロバーツ海賊団でした。

キャプテン・ジョンスンは著書『海賊全史』のなかでこの場面を活写している。「サミュエル号は豪華船で、数人の客を乗せていた。彼らは、金を見つけようとする海賊たちにひどく乱暴に扱われ、なんでもあきらめて手渡さなかったら殺すぞと、一瞬ごとに脅された。海賊たちは館口を引き破り、復讐の神の一団のように船艙へなだれこみ、ハチェットや斬りこみ刀で梱も収納容器も箱も一つ残らず壊して、手が入るようにした。荷を甲板に上げると、不要な物はまた船艙に放りこむ代わりに、船べりから海へ放り投げた。こうしているあいだずっと悪態を吐き、ののしり、まるで人間というより悪鬼だった。帆、大砲、火薬、索具類、合わせて八千ポンドから九千ポンドにもなる選りすぐりの物品を彼らは持ち去った。そして、キャリー船長にこう言った──おれたちは恩赦は受けねえ。国王と議会の恩赦なんぞ、くそっくらえだ。キッド(一七〇一年に死刑になった私掠船乗りウィリアム・キッド)やブラディシュ(一七〇一年に絞首刑になったマサチューセッツの海賊)の手下らみてえに、ホープ岬に行って、吊され、日ざらしにされるのもご免だ。だけどな、もし負けたときにゃ、火薬にピストルで火をつけて、みんなでいっしょに楽しく地獄行きよ」

カリブの大海賊—バーソロミュー・ロバーツ P190-191


バーソロミュー海賊団がサミュエル号を拿捕したのは、単なる偶然ではありません。彼らはここに商船が来ることを確信して、まさに網を張って待っていたのでした。その訳を知るためには当時の貿易と航海術について知る必要があります。

18世紀の当時は、ヨーロッパ・アフリカ・南北アメリカの大陸を跨いだ三角貿易が盛んでした。すなわち、アフリカから労働力として奴隷をアメリカ大陸に運び、アメリカ大陸でその労働力と広い土地を利用して農鉱業品を生産し、生産品を本国のあるヨーロッパに運んで資金に換え、再びアフリカ大陸で物資を調達して……というサイクルを繰り返していたわけです。

一方で当時の航海術は未熟で、日付と天体の位置から緯度は割り出せても、経度を正確に割り出すすべは持ち合わせていませんでした。噛み砕いていうと、南北はほぼ正確に分かるけれど、東西は船乗りの勘、もとい職人技任せだったのです。

一七世紀と一八世紀ほとんどの海賊が活躍していた時代には、正確な経度を測る経線儀さえ発明されていなかった。かわりに海賊たちが使った航行術は、「推測航法(deadreckoning)」なる代物だ。こいつはその名の通りの代物だ(訳注──英語の語感だと「当てずっぽう」に近い感じになる)。で、この推測航法のためには、まず自分のいる場所の緯度が必要だ。

これですっかり絶望してしまうとアレだから、緯度の計測なら助けてくれる道具はあったと書いておこう。これは「バックスタフ」とか「デイヴィス四分儀」と呼ばれたもので、(中略)これで太陽が水平線からどのくらい高くまで上がるかが測れるので、それを一日ごとに赤道で太陽がどのくらいの傾きを持つか印刷した表と照らし合わせて、船の緯度が決まる。

緯度が測れたら、前に緯度を測ったところからの航行速度と方角をもとに、経度がだいたいわかる。これをやるには、「チップログ」と呼ばれる木の板に縄をつけて船の横に投げ込み、「ペグボード」なるもので、速度や方角の変化を記録する。このやり方は粗雑だけれど、簡単なものではない。また海賊船の航行には、各地の海の潮流や風向きを詳しく知り、風圧についても適切に理解している必要があった。海賊行為は、一八世紀初期の海洋活動すべてと同様に、科学というよりは職人芸だったのだ。

海賊の経済学—見えざるフックの秘密 P107-108


そこで交易船は、港を出帆したら緯度を測りながら東あるいは西にまっすぐ進んで、陸地にぶつかったら地形を元に現在地を割り出し、あとは海岸線に沿って目的地に向かっていました。すなわち、大まかな航行ルートが決まっていたのです。

長年、商船の乗組員をしていたバーソロミュー船長は、こうした航路事情を熟知していました。そこで彼が目をつけたのが、北アメリカ大陸の東岸にあるニューファンドランド島です。世界地図を見れば一目瞭然ですが、この島はヨーロッパのほぼ真西に位置し、しかも北アメリカ大陸の最東端にあります。いわば欧州からやってくる船舶にとって、北アメリカ大陸への玄関口でした。

ピンの位置がカナダのニューファンドランド島にあるトレパシー港


バーソロミューは1720年の夏の始めに島の南東にあるトレパシーという漁港を占領しました。以降4ヶ月間に渡り、彼はそこを拠点として沖合を通過する商船を見つけ次第捕えていたのです。三角貿易の破壊者がコノヤロー。

こうしてグラスビーが乗っていたサミュエル号もまた、数ヶ月に渡る航海の末、陸地を目の前にして海賊の手に落ちてしまったのです。



運命(フォーチュン)に囚われた不運な男 ハリー・グラスビー

とはいえ、この襲撃を喜んだクルーも少なからずいたでしょう。その理由はバーソロミュー自身が述べた通り、当時の船乗りのあまりよろしくない就労環境と懐事情にありました。

バーソロミュー・ロバーツはのちに皮肉っぽくこう言った──無理やり海賊仲間にされたとき、“空涙”を流したが、すぐに気持ちが変わった、と。「まっとうな仕事じゃ、食い物はとぼしく、給料は低く、仕事はきつい。こっちじゃ、飽きるほど食って、楽しく、気楽で、自由で、力がある。それに、こっちじゃ、とりっぱぐれがない。運にまかせてやって失敗したって、せいぜい、しかめっ面されるだけ。そう、楽しく短い人生、それがおれの主義だ」。まっとうな船では奴隷同然だった海賊たちの多くは、いまやこれを自分の哲学としていた。

カリブの大海賊—バーソロミュー・ロバーツ P58

そして多くの海賊は、豊かにしてくれる大当たりを探す中で、飢え死にしかけたりしている。それでも、商船の船乗りとして得られる、定期的とはいえまちがいなく低い稼ぎに比べれば、一回の海賊遠征が成功すれば、船乗りは引退できるほど豊かになった。

(中略)

小心なせいか遵法意識が強すぎたせいか、海賊稼業に残念ながら乗り出せなかった船乗りにとっては、商船は相対的に金銭的な支払いも少ない上に、不快どころか悲惨な労働条件が伴うのだった。

海賊の経済学—見えざるフックの秘密 P89

陽気な水兵さんジョリー・ジャック・ター」という世間のイメージは、一八世紀前半の船員たちのほんとうの生活にはほとんどあてはまらない。彼らの生活は、人為および自然の危険にさらされていた。陸上にあっては、誘拐周施業者クリング水兵強制募集隊プレス・ギャングにつかまるおそれがたえずあった。また海に出れば、航海につきものの危険のほかに、水夫ジャックの生活では疫病や事故は日常茶飯事であった。彼らは船長の鉄の手のもとに呻吟しんぎんし、これは海軍の場合も商船の場合もかわりなかった。食事はひどく、それがあるうちはまだしも、長航海でなくなると、手あたりしだいになんでも食べなければならなくなる。ただ仕事をさせるだけのために働かされ、あげくのはてにほんのわずかの給料をもらう。それも、船長に、あり金残らずはたいたとか、給料もらえるだけ長生きしたんだからがまんしろ、などと言われてである。

カリブ海の海賊たち P30

また、海賊の報酬構造が非常にフラットだということにご注目。ロバーツ船長の船では「船長とクォーターマスターは獲物の取り分二人分を受け取る。主甲板長と砲手は一人半分、他の士官は一人と四分の一」で、その他全員は一人分だ。つまり海賊一味の中で、分け前最大の者ですら、最小の者の二倍しかもらっていない。

(中略)

これは商船の報酬構造とは対照的だ。商船では、船長は平和時には、一般水夫の四倍から五倍の報酬をもらっていた。

海賊の経済学—見えざるフックの秘密 P89


海賊はひとたび捕まれば絞首刑になってしまいます。一方で、堅気の数十倍儲かる仕事でもありました。そこで「無理強いさせられた」というテイで志願する者が後を立ちませんでした。バーソロミューも志願者のみを部下に加えると語っていたそうです。

海賊たちは、協力を維持したり、争いを鎮めたりなどするのに、政府には頼れなかった。自分でやるしかなかった。それを実現するために、私的に構築した憲法を使った。海賊たちは、自分の船を律する条項に全員一致で同意した。これで、掠奪のために協力するのを邪魔しかねない、紛争や意見の不一致を防止できた。さて、海賊は船員を脅してむりやり条項に同意させることはできたかもしれない。でも、それは自発的な同意ではないから、他の海賊たちと同じように船の法を受け入れたわけじゃない。船上での協力を確保するための全員一致が劣化するから、強制徴用はこうした条項の果たす役割を根本的に否定しかねない。海賊船長バート・ロバーツはこれをよく理解していたようだ。「強制徴用はこの統治を阻害し、いずれ破壊しかねない」とロバーツは述べている。

海賊の経済学—見えざるフックの秘密 P89


後年では、海上生活をしたことがない人々までバーソロミューの傘下に加わりたがったそうです。さすがに海での暮らしに慣れていない者は断ったものの、船乗りならばお情けで仲間にするほどバーソロミュー海賊団は大人気でした。

一部の船員は、襲った海賊たちに自発的に加わったどころではない。是非とも仲間に入れてくれと懇願した。たとえばバーソロミュー・ロバーツの一味が兵員輸送船オンスロウ号を捕まえたとき、海賊の人数をはるかに上まわる熱心な志願者が大挙して押し寄せた。ある目撃者が述べるように、無理強いなどするまでもなく「受け入れたい人数をはるかに上回る応募」があったという。別の目撃者によれば、オンスロウ号の志願者のほとんどについて「海賊たちは非常に低い評価しかせず、そやつらが懇願するので受け入れてやったが、それは単なるお情けからのことだった」。

船員を手当たり次第に強制徴用するどころか、一部の海賊は一味の選抜を非常に厳しく行った。たとえばネッド・ロウは、既婚者を一味には加えなかった。「妻子などという強力な魅力の影響下にある人物など受け入れない、仕事中に里心がついて船を離れ、故郷の家族の元に戻りたくなりかねないからである」。バーソロミュー・ロバーツは陸者おかものは認めず「仲間には船員しか入れなかった」。

海賊の経済学—見えざるフックの秘密 P177


ただグラスビーのときは別でした。彼はけして海賊になりたくなかったのにもかかわらず、海賊にさせられてしまったのです。

サミュエル号の乗組員たちは火薬四十樽をグッド・フォーチュン号へ運ばせられた。いちばん重いカノン砲が二門、持ち去られた。バーソロミュー・ロバーツが美しい服をまとって船にやってきた。ダマスク織りの上着にサッシュ、礼装用佩刀、両手には宝石のちりばめられた指輪をきらめかせて。彼はキャリー船長の乗組員たちに仲間になるよう誘った。海賊たちがピストルを水平に構えて脅すふりをすると、何人かがロバーツのほうへ行き、キャリー船長に向かって、自分たちは強制されたと証人になってくれるよう懇願した。サミュエル号の士官、ハリー・ジレスピーは船艙に隠れていたが、アンスティス操舵長に見つかった。アンスティスは荒っぽく彼を舷側へ引きずっていって、海へ突き落とした。ジレスピーは船上に引きあげられると、不服従の罪だと脅された。おそらくほんとうに強制されて海賊になったのは、この北部人一人だけだろう。

カリブの大海賊—バーソロミュー・ロバーツ P191

連行されるのを恐れて身を潜めていたが、ついに一味に発見され、したたか殴られたうえ海にほうり込まれた。七日後、海賊の掟に署名するのを拒絶すると今度は剣で傷つけられ、虐待された。このことがあって後、彼は一味に取り入るような態度をとったが、それはただ自分の身を守るためだった。

海賊列伝(上) P374


このとき操舵長を務めていたトマス・アンスティスは後にバーソロミューの元を離反し、果ては海賊を辞めたいと願う部下に寝込みを襲われ、銃殺されています。海賊ってロクな終わり方しませんね。



航海士としての腕は船長以上

グラスビーが海賊にさせられてしまった訳は、高機能の技能を身につけた船乗りは数が少なく、頭数さえ揃えばいい一般船員とは異なり、代替が効かなかったことにあるのかもしれません。

一般の商船船員を強制して仲間に加える費用は、その便益を上回ることが多かったけれど、一部の高技能船員となると話はちがった。商船と同様に海賊船も、高技能船員を必要とした。でも低技能の船員とちがって、高技能職はなかなかいない。さらに低技能船員は、船上での仕事の面でおおむね簡単に置き換え可能だし、個人としては海賊船全体の成功にとってことさら重要ではなかったけれど、高技能船員は容易には置き換えられず、その人がいないと他の船員もまともに機能できなかった。

だからといって、海賊が常に高技能船員を強制徴用したというわけじゃない。ときには高技能船員だって、海賊に加わりたいと志願した。でもこうした要因のため、高技能船員はむりやり仲間にする便益がずっと高かったし、だから志願者があまりいないと、海賊が高技能者を無理強いする頻度も高まった。

高技能船員は、通常の海賊一味の中で数は少なかった。でもその技能のため、重要な位置を占めていた。でもそういう高技能って何だろうか? 海賊船長トマス・ハワードの一味は「すべての大工、桶樽屋、武器職人、外科医、音楽家をむりやり乗船させた」という。これを見ると海賊たちがいちばんよく無理強いした、高技能船員がどんなものかわかる。

海賊の経済学—見えざるフックの秘密 P177-178


グラスビーは嫌々渋々海賊になったため、なかなか同僚とは打ち解けず、無口でした。ただ、職人かたぎな性格だったのも相まって、船舶に関しては一家言あったそうです。実際、彼の知識と技術は確かで、40歳手前の老獪な航海士であったバーソロミューをしのぐほどでもありました。

ロバーツはサミュエル号の士官ハリー・ジレスピーが優秀な航海長であることに気づいた。むっつりとして愛想は悪いが、海賊がいままで持ってきたどんな乗組員よりも有能な船乗りだった。彼は典型的な北部人で、陰気で、無口だが、船のことで手抜きを見つけると、ずけずけと言う職人気質の男だった。グッド・フォーチュン号の帆を調整させたのも彼だった。トップスルをもっと有効に働かせるために、ヤードを下げさせることもした。彼のアドバイスのおかげで、ロバーツのフラッグ・シップはその大きさ、重さにもかかわらず、ラ・パリシーの快速スループ船にほとんど負けないぐらい速くなった。潮流や海岸、船に吹く風に関するジレスピーの完璧な知識は、アメリカの植民地を通りすぎていく海賊船の、航海日数を減らしてくれた。

カリブの大海賊—バーソロミュー・ロバーツ P195


時期は不明ですが、ハリー・グラスビーは早々に航海長に任命され、海賊団が壊滅するまで一味が所有する船舶の主たる管理者を続けていました。後年、増大する部下に手を焼き、徐々に仲間たちと打ち解けなくなっていったバーソロミュー船長ですら、グラスビーには助言を頼んでいたほどです。

彼は海賊船長としての役割を果たすなかで、鍛錬されていた。堅気の航海士をしていた数年間は彼に経験を与えたが、海賊の数ヶ月は彼に用心深さと疑う心を与えた。彼はジレスピー以外にはめったに助言を求めなかった。自分が戦利品をもたらすからこそ掟を受けいれる男たちの、不注意と怠惰と残忍さを受けいれた。彼らから逃れることはできない。ひと財産作ってウェールズに引退するか、アメリカに移住するようなチャンスなどない。

カリブの大海賊—バーソロミュー・ロバーツ P227-228


船長がポカをして海の真ん中で遭難しかけたときも、グラスビーと協力してこの窮地を脱しています。



堅気の代表者

それだけではなく、グラスビーは海賊団の堅気の代表者として署名をする機会もありました。商船の船長たちは、海賊に襲われたときはやむなく積み荷を譲り渡すのですが、その後になんの補償もないと単なる損なだけでなく、売り買いする商品を失ったことによって食いっぱぐれてしまいます。くわえて本国にいる船の持ち主や投資家に、海賊に襲われたと嘘をついて積み荷をくすねたのではないかと疑われるかもしれません。

そのため、商船の船長は海賊被害を受けたという証拠を欲しました。そこでバーソロミューは(略奪を終えて逃がそうとしている)商船の船長に事情を記した「領収書」をしたため、さらに直々に署名をしました。彼はかなり気前よくこれをしたためていたそうです。この男ノリノリである。

船長たちはロバーツに泣きついて、イギリス本国に帰ったときに、船主に見せられるように領収書を書いてくれと頼んだ。ロバーツは機嫌よく同意して、しかも、自分の誠意を示すために、堅気の人間のサインが役に立つだろうということで、自分自身のサインの横に添えたのだ。この書類をロンドンの商人たちがどう考えたか、想像するしかない。

カリブの大海賊—バーソロミュー・ロバーツ P288


そして内容に虚偽がないことを保証することために、海賊団のなかでも一般人枠の人物が連名をしました。そこに記されていたのがハリー・グラスビーの名だったのです。実際の「領収書」は次のような内容で、これが書かれた時期はバーソロミューが亡くなる約1ヶ月前です(海賊列伝の記載にズレがあるため、年月日は1年前の日付になっています)。

われらジェントルマン・オヴ・フォーチュン(海賊)一同は、ディットウィット船長の「ハーディ」号の保釈金として金粉八ポンドを受領したので、ここに本船を釈放する。

証人 バーソロミュー・ロバーツ
   ハリー・ジレスピー
一七二一年一月十三日 

海賊列伝(上) P320-321



二人は似た者同士?

筆者は海賊団の部下のなかでも特にグラスビーが推せる!と考えています。なぜなら、バーソロミューの部下でありながら、バーソロミュー自身と似通った点を多く持っているからです。ここでバーソロミューが海賊になった経緯について軽く説明しておきましょう。

バーソロミュー・ロバーツ(本名:ジョン・ロバーツ)は元々、プラム船長が率いるプリンセス・オブ・ロンドン号という奴隷船で、二等航海士をしていました。この船は、ロンドンを発った後、アナマボ(現・ガーナ共和国のアノマボ)に着きました(※1)。

グラスビーが海賊になったときから遡ること約1年前の1719年6月6日(※2)、プリンセス号は他2隻の商船(※3)と共にハウエル・デイヴィス海賊団に拿捕されてしまいます。

ハウエルもまた、バーソロミューと同じく無理に手下を増やそうとはしなかったそうですが、そのときは新しい船に乗り換えたばかり。操船のための人手を欲していました。そのため商船の船員たちを自分の部下にしてしまったのです。

バーソロミューを含めた数人のプリンセス号の船員たちは、海賊になるのが嫌で最後まで抵抗しました。しかし痛い目に会い、結局は意気消沈しながらも海賊稼業に足を踏み出すこととなったのです。

彼らのなかでいちばん海賊になるのを嫌がったのは、ジェームズ・セイルという男で、彼はこっそりと元の自分の船に戻ったが、見つかってしまい、ロイヤル・ジェームズ号に連れもどされた。決断のつかない彼はなんとかプリンセス・オブ・ロンドン号へ逃げこんだ。おなじように海賊になるのを嫌がる男たちといっしょに彼も狩り出され、海賊船のマストに縛りつけられて、ムチをくらった。最後の抵抗集団はプリンセス号の者たちだった。そのなかには、掌砲長のブラッドショーやスティーヴンソン二等航海士、ジェサップもいた。彼らはひどく落胆して、海賊になりたくないと大声で叫んで抵抗した。バーソロミュー・ロバーツもそのなかにいた。

カリブの大海賊—バーソロミュー・ロバーツ P85


ところがその後、バーソロミューは当確を表しました。元より優れた航海技術を持っていた彼は、帆装や針路について進んでアドバイスをし、荒くれ者たちの信頼を勝ち取っていきます。

デイヴィスはアナマブ城砦から六百マイル東南東にあるポルトガルの島、プリンシペ島へ行きたいと思っていた。噂では、その島には莫大な富があるというのだ。彼は航海術についてバーソロミュー・ロバーツから専門的な助言を求めた。ロバーツは意気消沈していたが、船乗りの運命主義に従って新しい生活を受けいれ、帆装やこの海岸沿いで取るべき最適の針路について、進んでアドバイスした。

カリブの大海賊—バーソロミュー・ロバーツ P85


バーソロミューが海賊になってから6週間後、アナマボの南東にあるプリンシペ島で、船長ハウエル・デイヴィスが亡くなりました。こうして新たなる船長に選出されたのが、バーソロミュー・ロバーツだったのです。

ロペ岬へ向かって走っていたその夜、全員が甲板に集まった。新しい船長が必要だった。メイン・マストのところに、強いパンチの入った湯気の立つ鍋が運ばれた。いちばんそばにすわっているのは“閣下”たちだ──アンスティス、アッシュプラント、デニス、ケネディ、ムーディ、フィリップス、サットン。船長にいちばんの適任者はだれか、推薦するのは彼らだ。決定するのは乗組員たちである。ケネディが推薦された。ヘンリー・デニスかトマス・アンスティスの名前をあげた者たちもいる。すると、デニス自身が話しだした。船長という称号を偉そうにだれが持っているかなんてことは重要じゃねえ。おれたちの利益にみあうように、投票で船長に任命したりクビにしたりする最終的な権限は、おれたちにあるんだからな。

「その権限を持つのはおれたちだ。もしも船長が掟を無視するほど傲慢だったら、ああ、そいつを引きずり下ろすんだ!死んだ船長のあとを継ぐやつには警告になる、傲慢な振る舞いはどんなものだろうと、致命的な結末をもたらすってな。だがな、これはおれのアドバイスだが、さあ、素面のうちに、勇敢で航海術に長けた男を選ぼうじゃねえか。この海賊共和国を守り、危険や不安定な自然界の嵐、無秩序のもたらす命取りの結果からおれたちを守ってくれるのは船長の勇気と分別だ。そういう男としておれはロバーツを推す。仲間たちよ!どんな点から考えても、彼はおまえらの敬意と支持に値する男だ、おれはそう思う」

ウォーッと、賛同の声が沸き起こった。プリンシペ砦の攻撃に関してロバーツがいろいろアドバイスしたことを、デニス自身がロバーツにしばしば意見を求めたことを、海賊たちは忘れはしなかった。

(中略)

海賊の仲間になってまだ六週間にしかならないが、いまやロバーツは彼らの船長だ。彼の演説は外交的に見てそれほどうまくはなかった。「彼はこの名誉を受けて、こういった──『おれは泥水に手を突っこんでしまった、海賊になるしかないなら、平より指揮官の方がいい』」。

カリブの大海賊—バーソロミュー・ロバーツ P91-92


船が拿捕されたことをきっかけに、嫌々海賊になった優秀な船乗りという点で、ロバーツとグラスビーは一致しています。共通点はそれだけではありません。グラスビーは禁酒家でもありました。

いまや、ラム酒と砂糖はあり余るほどあり、酒は湯水のように飲めた。節酒しようなどと考えるものはいなかった。それどころか、しらふでいれば仲間に対して陰謀を企てているのではないかと疑われ、酒を飲まないような男は悪党だとみなされるのであった。「ロイヤル・フォーチュン」号の船長に選ばれたハリー・グラスビーの場合がそうである。(中略)彼は口数が少なく酒も飲まなかったのでよく疑いをかけられた。

カリブの大海賊—バーソロミュー・ロバーツ P302


バーソロミュー海賊団の掟には禁酒に関するものがあります。

四、八時をもって消灯時間とする。消灯時間を過ぎての飲酒は、露天甲板で行うこと(ロバーツ自身は謹厳な男であったから、これによって乗組員が酒びたりになることを阻止できると考えたのである。しかし一味の不節制をやめさせようとする彼のあらゆる努力は結局効果がなかった。)

海賊列伝(上) P287


つまるところ、夜は酒飲むな、さっさと寝ろという掟を施行したものの、ほとんど誰も守らなかったわけです。


似た境遇で同じ道を歩き始めた、真面目で優秀で掟もちゃんと守るクルー……。ロバーツ船長にとって、グラスビーはこのうえなく好ましい人物に見えたのではないでしょうか?しかしながらグラスビーは頼れる反面バーソロミューひいては海賊団全体にとって悩みの種でもありました。


※1:海賊列伝(P272)では、プリンセス号がロンドンを発ったのが1719年11月、ギニアのアナマボに着いたのが翌1720年2月となっており、そこでハウエル海賊団と遭遇したと記載されている。

しかしそれだと6週間後のハウエルの死去が同年4月ごろ、トレパシー港の占領が6月末、サミュエル号の拿捕が7月半ばとなり、大西洋横断やスペイン船団からの略奪、悪魔島での5週間近くの放蕩など、全体的にスケジュールが忙しすぎることになる。

なので「カリブの大海賊—バーソロミュー・ロバーツ」(P77)のほうを採用して、1719年6月6日にデイヴィス海賊団と遭遇したと記載した。そもそも当時からアナマボはガーナに属しているので、この部分は誤訳かもしれないし、原著者のチャールズ氏が誤って書いた可能性もある。先の請求書の記載もそうだが、1つ年を間違えているのではないかと筆者は考えている。けど、原著の初版は1724年(バーソロミューの死去の2年後)だから仕方ないよね!

※2:アノマボの約20km西には、ケープ・オブ・コーストという砦があり、ここは海軍の根城となっている。バーソロミュー海賊団壊滅後、生き残ったクルーが裁判を受けた場所もここだ。海軍のお膝元の目と鼻の先で略奪をするなんて、ハウエルは大胆だなぁ。

※3:プリンセス・オブ・ロンドン号と一緒にいた船の名前は、「海賊列伝」だと、ホール船長のピンク船「ヒンク号」とフ“”ン船長のスループ船「モリス号」となっている。

一方、「カリブの大海賊—バーソロミュー・ロバーツ」では、船長の名前がホールとフ“”ンというところはほぼ一致しているが、船の名前が「ロイヤル・ハインド号」と「モリス号」になっているため、内容が食い違っている。

どちらが正しいかは、読者の皆さんにお任せします。



それでも海賊を辞めたいんだ!

バーソロミューは海賊になりたくないという船乗りにこんなことを言っています。

ロバーツはもともと奴隷船の船乗りだったが、ハウエル・デイヴィス船長がギニア沖でその奴隷船を捕らえたとき、むりやり海賊に加わらされた。「当初、ロバーツはこうした暮らしを非常に嫌っており、適切な機会さえあればまちがいなく逃げ出したことだろう。だが後にこの人物は主義を変え」、そしてデイヴィスの死後には船長職に選出され、それを受け入れた。ロバーツは、むりやりつれてこられたベンジャミン・パーに対し、自分の転向の話をして元気づけようとした。パーは「涙ながらにロバーツに懇願して……釈放してくれと頼んだが、これに対してロバーツは、自分も捕まった当初は同様に無駄な涙を流したものよ」、でもいまやそんな段階は乗り越えたと語った。バーもいずれそうなる、という含みだ。

海賊の経済学—見えざるフックの秘密 P180

当初は無理強いされて海賊に加わった者が、しばらく海賊稼業を経験するとその新しい職場が気に入って、志願者として一味に加わることもあった。ある一八世紀の評論家が述べるように「もともといかに正直であり、海賊に加わったのがいかに意図や同意に反することであったにせよ、海賊に仕えるようになってから心底悪漢になってしまうことがあり得るのはまちがいないことである」。

捕らわれたある商船船長は、部下二人が海賊攻撃者に「最初は無理強いされた」。「が」、とかれは続ける。「その後に海賊になってしまったとしか思えない」。同じく、海賊の囚人ハリー・グラスビーはロバート・クロウの裁判で、クロウが「最初は強制された」にしても、「その後他の連中と同じように、獲物に乗船したときには盗み掠奪するようになった」。

海賊の経済学—見えざるフックの秘密 P179


しかしグラスビーは良心の呵責があったからか、はたまた故郷で妻が待っていたからか、徹頭徹尾、心底海賊を辞めたくて仕方がなかったようです。彼が無口だったのも「悪い奴らとは話なんてしたくない!」という気持ちの表れからかもしれません。バーソロミューに対しても、丁寧とはいえ塩対応です。そのせいか、海賊仲間とは打ち解けず揉めることもしばしば。

ジレスピーがヴァレンタイン・アッシュプラント以外のだれとも話をしないのは目立つことだった。(中略)ジレスビーは、ロバーツ船長に対しては丁寧だがごく短くしか言葉を交わさない。アンスティス操舵長には、命令に対して了解したという以外はなにも言わない。そのほかの者たちはすべて無視しているが、強制的に海賊にされた何人かには同情していた。一度、ジレスビーがあまりにも無関心なのに一人が腹をたてて、強く殴った。思いがけないことに、ジレスピーは気絶しかけて甲板に倒れた。

カリブの大海賊—バーソロミュー・ロバーツ P196-197


そのとき、殴った相手に横から殴りかかったのが、バーソロミュー海賊団の幹部のひとり、ヴァレンタイン・アッシュプラントでした。



ハリー・グラスビーの唯一の友人 ヴァレンタイン・アッシュプラント

ヴァレンタイン・アッシュプラント(Valentine Ashplant)は、少数民族生まれのロンドン出身者です。彼が海賊団に加わったのは、まだハウエルが存命だったころの1719年(※4)。

バーソロミューとどちらが早く加入したかは(私の手元の資料だと)不明ですが、少なくともハウエルの没後、新船長選出のときには、すでに海賊団の幹部になっていました。声がデカく、性格は短気な喧嘩屋。生粋の海賊といった風です。

アッシュプラントは“閣下”たちのなかでいちばん大声で粗野な男で、ジレスビーのような北部人ではなく、少数民族出身のロンドンっ子だった。

カリブの大海賊—バーソロミュー・ロバーツ P197


先ほどの喧嘩でも、その片鱗を覗かせています。

すると、アッシュプラントが男に躍りかかって、激しく首をつかみ、絞め殺しそうになったので、とうとうほかの者たちがアッシュプラントを引き離した。それ以後、ジレスピーが人を寄せつけない態度でいても、だれも彼を傷つけようとはしなかった。筋肉隆々で短気な喧嘩屋アッシュプラントは、相手にすべき男ではないからだ。

カリブの大海賊—バーソロミュー・ロバーツ P197


しかし(多少)打ち解けられる相手ができたものの、グラズビーの決心は揺らがなかったようです……。


※4:アッシュプラントの加入年については「海賊列伝(上)」P345の裁判記録に記載がある。ただ、少なくともハウエルが海賊になったタイミングにはいなさそう。



脱走

1720年秋、涼しくなってきたのを契機にしてバーソロミュー海賊団はニューファンドランド島の基地を手放して、カリブ海へと南下を始めました(まるで渡り鳥のように)。

そしてグラスビーが海賊となってから約5ヶ月後の1720年11月、西インド諸島(※5)で一味がお楽しみの最中だったときのことです。グラスビーは他2人のクルーと共に脱走を試みました。……ところが、その企みはすぐさま感づかれ、彼らは捕まってしまいます。

彼はスパニオラ島滞在中、他の二人の仲間とともに隙をみて無断脱走した。彼は口数が少なく酒も飲まなかったのでよく疑いをかけられた。だからグラスビーたちが脱走した後、すぐ一味は、彼のいないことに気付いた。直ちに捜索隊が出され、翌日、三人とも船に連れ戻された。彼らの行為は重大犯罪であって、即刻裁判に付された。

カリブの大海賊—バーソロミュー・ロバーツ P302


海賊にとって脱走はとても重い罪。最悪の場合「無人島置き去りの刑マルーニング」となります(※6)。もちろん悪くても銃殺です。

海賊団で揉め事があると、軽微な内容なら副リーダーである操舵長(クォーターマスター)が裁定します。しかし今回は脱走という大事おおごとです。そこで幹部連中が招集され、彼らを判事とした海賊裁判が開廷しました(※7)。

全乗組員がロイヤル・フォーチュン号の船尾に集まった。判事たちが選ばれて、航海長と二人の男に対する罪状が読みあげられた。だれもジレスピーが助かるという望みは抱かなかった。彼はなにも否定しないで、パンチボールとパイプを手にした判事たちの前に立っている。彼に対する罪状が確認された。逃亡者たちは、島の反対側にある町へ行きたいと思って、丘を登っているところを捕まったのだ。そんなことをしたら、海賊船隊は仕掛けられた罠へ向かって進んでいくことになっただろう。罪状は脱走だった。

判事たちは小声で言い合っている。「無人島置き去り」と聞こえた。「射殺」。

カリブの大海賊—バーソロミュー・ロバーツ P219-220


そこで助け舟を出したのが、判事のひとりをしていたアッシュプラントでした。

とつぜん、アッシュプラントが飛びあがって、パイプを甲板に叩きつけた。パイプは壊れて、陶器片が飛びちった。「絶対に、ジレスピーは死なない。死ぬなんてことがあるもんか」。判事たちはアッシュプラントを取りまいて、激しく言いたてた。アッシュプラントは判事たちを無視した。

「くそっ、みんな」と、彼はののしった。「おれはあんたたちとおんなじで、善良な人間だ。おれの人生でだれかを見棄てたりしたら、おれの魂なんて地獄へ堕ちてしまえ。ジレスビーはこんな不運なことになっちまったが、まっとうな人間だ。おれはこいつが好きだ、好きじゃなかったら、おれなんてくそっくらえだ。おれはこいつに生きて、自分のやったことの埋め合わせをしてもらいてえ、だが、死ななきゃならねえんだったら、くそ、おれもいっしょに死ぬ」

キャプテン・チャールズ・ジョンスンはこの続きを著書のなかで書いている。「そこで、アッシュプラントはピストルを二挺、引き抜いて、それをベンチにすわっていた学のある判事たちに渡した。

カリブの大海賊—バーソロミュー・ロバーツ P220

熱ーーーい!アッシュプラント、どうしてそんなにグラスビーのことが好きなん?

さて、彼の説得を聞き入れたのか(はたまたグラスビーの船乗りとしての腕前を買ったのか)、判事たち全員がアッシュプラントの意見に従い、グラスビーに対して無罪を言い渡しました。


彼らはアッシュプラントの言い分は充分に支持できると認め、ジレスピーは無罪とするのが妥当と考えた。そこで、彼らはアッシュプラントの意見に味方し、それが掟にかなうとした」。

カリブの大海賊—バーソロミュー・ロバーツ P220

こうしてハリー・グラスビーは死を免れたのです。ただし残りの2人は……。


しかし残りの二人の被告に対しては、被告自ら乗組員全員のうちから四人の死刑執行人を自由に選んでよいというのが最大の減刑措置だった。哀れな男たちは、直ちにマストに縛り付けられ、海賊どもの判決どおり銃殺刑に処せられた。

海賊列伝(上) P304

ジレスピーは下の甲板へ連れていかれた。彼は監視なしでは二度と上陸は許されないだろう。抵抗するのをあきらめて海賊稼業に身を捧げるようにならないうちは、ロバーツ船長の密かな信頼を楽しむことはできず、命令を下される身のままだろう。

カリブの大海賊—バーソロミュー・ロバーツ P220


それからというもの、グラスビーには監視の目がつくようになりました。それでも彼は時間をおいて2度目の脱走を図ります。1721年2月のことでした。

イスパニョーラ島である朝早く、みんなが寝ているあいだに、ジレスピー航海長とほかに十人の男たちが逃げだした。彼らは湿地帯を渡るのは足場が悪いので避けて、樹木の生い茂る丘へ向かった。彼らには小さな携帯用のコンパスしかなく、原野のなかでじきに道に迷ってしまった。あてもなく曲がったり、じぐざぐに歩いたりしているうちに、海岸へ、海賊たちのもとへ戻ってしまった。

カリブの大海賊—バーソロミュー・ロバーツ P233


ところが原生林を2~3日彷徨ったものの、失敗に終わってしまいます。問い詰められたグラスビーたちは、脱走したという事実をうやむやにして難を逃れました。

ジレスピーは逃げようとしたのではない、と言い張った。仲間たちがそれを支持した。ジレスピーはいつも船上で熱心に働いていた、と一人が指摘した。拿捕船になんども最初に斬りこんだのはジレスピーだった、と別の男が糾弾する者たちへ言って思い出させた。三番目の男は、もしこの連中が逃げたのなら、どうして船へ戻ってきたんだと訊いた。結局、無罪だと申し立てたことが本人たちを死から救った。

カリブの大海賊—バーソロミュー・ロバーツ P233-234


グラスビーが海賊になって1年経ったころには、すでに彼が善良であるという噂が海賊団の外にも漏れ出ていました。オンスロー号に乗っていたエリザベス・トレングローヴ夫人は、船が海賊団に拿捕された後、彼女をちやほやするクルーを介して、ジレスピーとコンタクトを取ろうとしました。ところが……。

グラスビーが良心的な男だと聞いたので、彼女は「オンスロー」号で掠奪に余念がなかった海賊の操舵手に、グラスビーに会えないだろうかと聞いてみた。すると彼は「だめだ。奴は一度脱走しようとしやがったから、俺たちは用心して奴を船から出さねえようにしているのさ」と答えたという。

海賊列伝(上) P372


このように、グラスビーはすっかり乗組員から疑われています。かといって足抜けも許されない様子です(肩身狭いね!)。

せっかくの頼りになりそうな船員だったのに。あな、お労わしや、バーソロミュー船長……。前船長のハウエル・デイヴィスの下で海賊稼業の良さに目覚めた自分とは違い、グラスビーは全然乗り気になってくれません。

それどころか、彼は略奪で得た分け前を似た境遇のクルーにほとんどあげてしまいます。さらに略奪を受けて立ち去ろうとしている商船マーシー号のロールズ船長に、とあるお願いをしたほどです。

三隻の拿捕船が解放されたとき、ジレスピー航海長は自分の家族に届けてくれと、モイドール金貨をロールズ船長にこっそりと託した。彼は何度も逃亡を繰りかえした自分への海賊たちの不信感を少なくするために、略奪品の分け前を受けとることに同意して、それを妻と子供のために貯めていたのだ。

カリブの大海賊—バーソロミュー・ロバーツ P281


グラスビー、マジでイイ奴だなぁ……。家族想いの愛妻家に違いない。


※5:グラスビーたちが最初に脱走した島は、「海賊列伝」だとヒスパニオラ島、「カリブの大海賊—バーソロミュー・ロバーツ」だとドミニカ島となっている。どちらもカリブ海の一角にある西インド諸島の島であることは共通しているが、ここでも書籍による食い違いがある。

時期に関しては1720年10月25日にマルティニーク島にいると「カリブの大海賊—バーソロミュー・ロバーツ(P215)」に記載があるため、その少し後ということで11月とした。

※6:無人島置き去りの刑とは、草木も生えていないような丸禿の小島に銃とわずかな飲み水、場合によっては少量の食べ物と共に罪人を置いていくという刑だ。別名「島の総督への任命」。場合によっては満潮時は海に飲まれるような「砂州」としか呼べない場所に置いていくこともあったそう。要はじわじわ死にます。Die or die。すぐに亡くなる銃殺のほうがマシ程度の差しかない。

※7:原則として海賊団において船長は外交・戦闘担当、副リーダーである操舵長は内政担当という明確な役割分担がされていた。そのため、船長であるバーソロミューが、この裁判に判事側として列席していたかは不明。



北からツバメが飛んできて ~ バーソロミュー海賊団・最期の戦い

およそ3年に渡り、バーソロミュー海賊団は大陸を跨いで暴れまわっていました。そのせいで交易船は略奪に怯えて港に引きこもるほど。……しかし、そんな彼らもついに年貢の納め時がやってきます。

1722年2月5日、海軍船スワロー号がロペ岬(現ガボン共和国・ロペス岬)にてバーソロミュー海賊団を発見します。

時刻は早朝。海賊たちはみんな浜辺でのんびりとしており、こちらに船が向かってきているのを見ても、ポルトガル籍の商船か何かだと考えていたのでしょう。特に警戒する様子はありませんでした。

一方、スワロー号の船長チャロナー・オウグルは、急いで船を回れ右させたのです。海賊団のいる岬へたどり着くためには、風上にのぼりながら、たくさんの砂州を縫って、船を座礁させないように進まなければならなかったからです。要するに分が悪いから一度海に出るべきだと判断したのです。

そうして引き返そうとしている船を見て、バーソロミューは「今追いかけるべきだ」と考えました。略奪のチャンスを逃すわけにはいきませんから。しかし、旗船のロイヤル・フォーチュン号はまさに喫水線掃除中で浜に上がっており、船体を起こすまでにもう一日必要です。ということで、代わりに出撃したのがジェームズ・スカーム船長率いるレンジャー号であり、そこに乗船したひとりがアッシュプラントでした。グラスビーは居残り組です。

レンジャーの出発からおよそ30分後、追いかけっこをしていた二隻はお互いの射程距離に入りました。レンジャー号の乗組員たちはいつものように略奪の準備を……。その瞬間、スワロー号は旋回し、海賊船と横並びになると砲門を開いて、片舷斉射を放ったのです。レンジャー号は混乱に陥りました。相手が武装した軍艦だとは露とも思っていなかったからです。

レンジャー号は交戦を続けましたが、同日午後2時ごろ、ついに行き脚を失い動けなくなってしまいます。そうして午後3時、レンジャー号は慈悲を乞う、すなわち降伏をしました。スワロー号のオウグル船長は砲撃中止を命じます。

ちょうどそのころ、レンジャー号では海賊たちが最後の抵抗をしていました。

甲板ではアッシュプラントが海賊旗を持ちあげては、海へ放りこんだ。軍艦スワロー号のマストの中程に掲げられて嘲笑されるのを防ごうとしたのだ。強制的に海賊にさせられた男たちは興奮して、口々に解放されるぞと言い合った。もっと長く海賊仲間だった者たちは不安に駆られ、裁判にかけられると悟った。裁判ではたぶん、長年にわたって義務的に海賊行為をやってきたなかの、たった一つの、だが、忘れがたい行為を復讐心に燃える商船船長が思い出して、それで有罪判決が下されるかもしれない。筋金入りの海賊たちはロペ岬へ連行されるように願った。ロバーツ船長が助けてくれるからだ。

カリブの大海賊—バーソロミュー・ロバーツ P301-302


戦いによってレンジャー号は激しく損傷していました。軍のなかではこのまま海上で焼いてしまおうかという意見も出されましたが、ひとまず囚人たちを乗せる牢獄船として使われることになりました。かつて船倉に奴隷を積み込んだように、今度はそこに海賊たちが詰め込まれたのです。

かくしてレンジャー号は、海軍に捕らえられてしまいました。しかし陸に残った面々はその事実にまったく気づいていません。レンジャー号がなかなか帰ってこないことに疑問符を浮かべるものの、スカーム船長が長く追跡したうえで略奪を試みたのだろうというのが大方の意見でした。ついにロイヤル・フォーチュン号は傾船修理を終え、航海に最適な状態になっていました。あとはレンジャー号の帰りを待つばかりです。

そして海軍が海賊団を発見してから5日後の2月10日。早朝のまだ霧が深い時間帯に、スワロー号は再びロペ岬を訪れました。そのときバーソロミュー船長は客人を迎えてキャビンで朝食をとっていました。そこへ元水兵の部下が駆け込んできます。彼はスワロー号の脱艦者であったため、迫りくる船の正体が分かったのです。

バーソロミューは毒づきつつも、急ぎ戦闘準備をさせようとしました。しかし皆、酔い潰れて眠りこけています。幹部たち総出でみんなを(文字通り)叩き起こしている間に、バーソロミューはその元水兵に相手の帆走性能について尋ね、作戦を立てました。


午前10時半、ロイヤル・フォーチュン号は錨索を放して出航。そして11時、海軍艦スワロー号と会敵しました。スワロー号とのすれ違いざまに片舷射撃を受けたものの、バーソロミューにとってこれは想定内。そのまま風に乗り、スワロー号が旋回でもたついている隙に海軍から逃げおおせる気でした。そういう作戦でした。

がしかし、スワロー号の旋回砲に怖気づいた部下が針路を誤り、フォーチュン号は風を掴めなくなり停滞。そうしているうちに船は再び、スワロー号からの砲撃を受けてしまいます。

その弾の一つがバーソロミュー船長の喉を貫通。彼は即死して甲板に倒れ伏しました。──ロペ岬は、プリンシペ島の南東に位置しています。バーソロミュー・ロバーツは、奇しくも前船長ハウエル・デイヴィスが亡くなった始まりの地のほど近くで命を終えたのです。

緑の位置がプリンシペ島で、黄色の位置がロペス岬

マグネス操舵長がやってきたとき、バーソロミュー・ロバーツ船長はすでに事切れていた。すすり泣くスティーヴンソンに助けられて、マグネスは船長の死体を抱きあげると、舷側から海に落とした。もし戦闘で殺されたときにはそうしてくれと、船長がよく言っていたように……。

カリブの大海賊—バーソロミュー・ロバーツ P309


頭(かしら)を失い、メインマストの折れた船の上で海賊団はすっかり意気消沈。マグネス操舵長は海軍への降伏を宣言しました。結局、この交戦で亡くなった海賊はわずか3名だったそうです。



最大にして最後の海賊の没後 ~ 命を分かつ判決

その後、海軍によって護送された海賊たちは全員、ケープ・オブ・コーストにある城砦に集められました。裁判を受けるためです。先も述べた通り、海賊は儲かる反面、掴まれば待つのは絞首台の太縄です。

とはいえ、イギリス本国から遠く離れたアフリカでの裁判だったのもあり、バーソロミュー海賊団の面々に対する裁判はかなり有情だったとも言えます。なぜなら、すべてのメンバーが死刑に処されたわけではなく、無罪放免になったり、有罪とされても(絞首刑ではなく)王立アフリカ会社での7年間の労務に課せられた者もいたりしたからです。とはいえ、この「労務」もロクなものではありません。彼らが送られる(ガーナにある)黄金海岸の鉱山は、病気が蔓延し、食事も満足に得られないようなところでした。到底、7年も生き延びられるような環境ではありません。


1722年3月28日、裁判は先に捕まったレンジャー号の乗組員から始まりました。争点となったのは次の3つです。

  1. 海賊になりたいと志願したか?(すなわち強制されていないか?)

  2. 略奪に自ら加わったか?

  3. 略奪品の分け前をもらったか?

この3点のうち1つでも満たした者を有罪とすると裁判官たちは設定し、海賊たちに尋問したのです。それだけではありません。略奪を受けた被害者の証言がなければ、告発は不成立です。しかしながら長きに渡り大暴れした海賊団でしたから、証言台に立つ人には事欠かなかったようです。

アッシュプラントは、船長が死去する約1か月前に略奪をしたキング・ソロモン号のジョー・トラハーン(表記揺れでテラハーン)船長から有罪証言を受けました(※8)。その証言の対象となった他の面々と共に「ロバーツ船長に命じられてやった」と反論したものの、裁判長のマンゴ・ハードマンはこう言いました。

「では、それは認めるとしよう」と、彼は答えた。「それでも、これはきみたち自身がやったことだ。きみたち自身が選んだ上官からの命令でやったのだからな。どうしてまっとうな気持ちの持ち主が、毎日、自分に嫌な仕事を命じるような船長や操舵長に一票を投じるだろうか」

カリブの大海賊—バーソロミュー・ロバーツ P322


アッシュプラントらはこれに反論できず、有罪判決を受けました。かつて海賊団の判事として人を裁いたように、今度は彼らが裁かれる側になったのです。

この裁判で死刑判決を受けたのは約50名。アッシュプラントは他の囚人たちと共に絞首台に送られました。そこはコースト砦の門外にあり、台のある岩の上からは海を見渡すことができます。

アッシュプラントを含む最初に吊るされた6名は、海賊団きっての悪名高き者たちでした。けれど彼らは、聴衆に囲まれ、垂れ下がる死を目の前にしても、海賊らしい堂々とした態度を崩しません。

最初に刑の執行に呼び出されたのはマグネス、ムーディ、シンプソン、サットン、アシュプラント、およびハーディの六名だった。彼らは全員古参の海賊で名うての悪党だった。足枷を外し、絞首索をかけるために全員牢の外へ出されたとき、気落ちした様子のものは一人もいなかった。ただ一人、サットンは弱々しい声で話していたが、これは二、三日前獄中で赤痢にかかったためだった。船医だった一人の紳士が親切にも教戒師の役を申し出て、彼らの罪の深さと懺悔が必要なことを、力の及ぶ限り説いた。そして、裁きを認めなければならないと諭した。しかし彼らはこのような言葉には耳もくれず、水を飲ませろと要求するものや、衛兵に帽子をかぶせてくれと頼むものまでいた。この紳士がなおも返答を求めると、彼らは口々に法廷がきびしすぎると叫び、裁判官全員が自分たちと同じ目にあえばいいとさえ罵った。そして「俺たちはついてねえ。ほかの奴らがもっとひでえことをやりながら無罪になっているのによ、俺たちが吊されるなんてな」と言った。

彼が被告らの心を宥めようとして、全世界に対する慈愛の心を持って死につくように説き、このような無益な会話をやめさせようとして彼らの生国、年齢等を尋ねると、あるものは「そんなことおめえに何の関係がある。俺たちは法律のおかげでこんな目にあったんだぜ。神なんかに何も話すことはねえよ」と答えた。そして、犯した罪を反省する涙ひとつ見せず絞首台まで歩いていった。

チャールズ・ジョンソン著/朝比奈一郎訳 海賊列伝(上) P403-404

彼らは吊された。死体が降ろされると、タールに漬けられて、鉄枠のなかに入れられる死体もあった。その死体は近くの丘に立つさらし柱に運ばれ、鎖で吊された。波に洗われ、朝の風に柱は軋み、鉄枠は甲高い音をたてた。そこで絞首刑になったバンスはこう言って勇敢に死んだ。「おれは岩の上に立つ航路標識になって、針路を誤って危険に陥った船乗りたちに警告してやるんだ」

「たぶん、あんた、“あいつら”を見たことがあるだろうな」と、ロバート・ルイス・スティーヴンソンは『宝島』のなかで書いている。「鎖で吊されているのを。まわりを鳥が飛んで、潮が満ちて沈んでいく死体を、船乗りたちが指さしている……そして、まわっていくと、鎖の音が聞こえて、ほかのブイに着くんだ」。一七一六年から一七二六年のあいだに四百人から五百人の海賊が絞首刑になったが、この海賊たちはそのひとグループにすぎない。

カリブの大海賊—バーソロミュー・ロバーツ P331



一方、グラスビーの裁判にもさまざまな人たちが証言者に立ちました。

ロイヤル・フォーチュン号の航海長ハリー・ジレスピーが裁判官たちの前に引きだされると、海賊に強制徴募された数人の船乗りたちが以下のように証言した──ジレスピーはいつも捕虜たちに親切だった。彼は海賊船にいるのが嫌なようだった。海賊に捕らえられたとき、海賊になることを拒否したので、ムチ打たれ、危うく溺れ死にさせられるところだった、と。

カリブの大海賊—バーソロミュー・ロバーツ P323

被告ハリー・グラスビーに対する証人として、ロバーツの船に捕らわれていた幾人かの人びとが出廷した。彼らの証言は次のとおりである。「キング・ソロモン」号の船長ジョー・トラハーンの証言によれば、彼が海賊船に捕らえられていた間、被告は船のマスターをしていた。だが、部下は勝手気儘にふるまい、指揮官に似つかわしくなかった。そして証人に対して、こういう凶暴な連中を統べるのはまったく厄介なことで、こんな生活は飽き飽きしたとこぼし、海賊稼業をひどく嫌っている様子だった。

カラバーで海賊の捕虜だったジョー・ウィングフィールドも、被告は指揮官だったが、一味のだれよりも親切だったと証言した。証人が王立アフリカ会社の代理人として乗り組んでいたブリガンティーン船を焼き払うことを一味が決定したとき、それを留めたのが被告であった。そして、自分の仲間が行なってきた数々の悪行を悲しみ、避けるすべもなく自分の意に染まないことやってきたのだと証人に話した。証人はさらに、一味が外科医のハミルトンという男を捕らえ、海賊の掟に署名するよう迫ったとき、グラスビーはそれに反対しやめさせたと証言した。また、別の外科医ハンターという男も、グラスビーの懇請と説得により、掟に署名せずにすんだ。

(中略)

エドワード・クリスプ、トレングローブ船長、そしてシャープ船長も次のように証言した。すなわち、彼らや、その他不幸にして海賊に捕らえられた人びとは、主にグラスビーのおかげでひどい目に遭わずにすんだ。彼は、一味が証人たちの船を掠奪するとき、ここには不要のものしかないと言って、なるべく多くの積荷を残しておくように計らった。

ジェームズ・ホワイトは楽士だったが、「スワロー」号との戦闘の際海賊船の船尾にいた。彼は、交戦中被告が大砲の近くで働いていたり、あるいは弾込めや発射の命令を下すのを一度も目撃していないと証言した。そして、ロバーツに命ぜられるまま、帆の操作に従っていたという。さらに証人は、のぼせあがった連中が船ごと自爆しようと火の付いた導火線を手に弾薬庫へ走り下りてゆくのを、腹心の部下をつかって押し止めさせたのが被告グラスビーにほかならないと言った。

軍艦の副官アイザック・サンの証言はこうである。戦利品を軍艦のボートに積むため海賊船へきてみると、一味はひどくとり乱し、仲間割れの状態だった。あるものは船ごと自爆してしまおうと言ったし、別のものは罪を軽減してもらうことを考えてかそれに反対した。サンはグラスビーの人となりを聞いていたから、彼に相談した。彼ならできる限りの手を尽して、自爆を阻止してくれるだろうと考えたのである。サンの意に違わず、被告は自分の腹心の部下を使って、ジェームズ・フィリップスから火の付いた導火線を奪い取ったのである。フィリップスは「全員地獄に送ってやるぜ」と叫びながら、弾薬庫にかけ降りてゆくところだった。証人はまた、ロバーツが戦いに倒れた後、戦闘旗を降ろすように命じたのは被告だったと言った。こうして、証人は海賊一味のうち最も凶悪な連中がだれだったかを暴露して、被告の行為と信念とが一味のそれとどんなにかけ離れたものであったかを示した。

海賊列伝(上) P371-373


え~!?びっくりするくらい、みんな優し~い!ということ、グラスビーは数々の証人からの擁護を受けることとなりました。さらに彼自身もロイヤル・フォーチュン号が投降した後、海軍に協力的でした。

ロイヤル・フォーチュン号から海賊と強制的に海賊にされた男たちが連行された。スワロー号は二月十二日、リトル・レンジャー号を拿捕するためにロペ岬に戻った。ロイヤル・フォーチュン号からはすでに二千ポンド余りの砂金が回収されていた。ジレスピーがオウグル船長に、リトル・レンジャ一号にもおなじぐらいの金貨と宝石が保管されていると教えたのだった。

カリブの大海賊—バーソロミュー・ロバーツ P310-311


そしてグラスビー本人も答弁において、次のように述べています。

さらに「サミュエル号」のケアリー船長と船客四人は、彼は無理やり海賊に連れ去られたとの宣誓供述書を作成した。被告はこれを提出することができなかったが、さまざまな証言から法廷はそれを信じていただきたい、と懇願した。

以上のことから、法廷は被告の行為は本意ではなかったことが立証されたとした。また自分の身の危険を顧みず捕虜たちを親切に扱った。被告は掠奪において武力を行使する立場になかった。また被告は最大の危険を冒して、二度までも脱出を試みた。かくしてハリー・グラスビーは無罪放免となった。

海賊列伝(上) P375


最終的に、彼は裁判官の全会一致をもって無罪放免となりました。一等航海士ハリー・グラスビーは一度は海賊に身をやつしたものの、運命のくびきから逃れて自由を得たのです。

グラスビーのその後については定かではありません。しかしながら、元の航海士生活に戻ったことは、想像に難くありません。彼の航海技術なら引く手あまたで、何より故郷には家族も待っているのですから──。


※8:キング・ソロモン号の略奪は、1722年1月6日にアポロニア岬で行われた。アポロニア岬はアフリカのケープ・オブ・コーストの西、スリーポインツ岬のさらに西側にある。「カリブの大海賊—バーソロミュー・ロバーツ」P285に略奪の日付、P45に地図に関する記載がある。



おわりに

いかがだったでしょうか?(定型文)

凄腕で善良、だけど海賊をさせられているグラスビーと、生粋の海賊でありながらも彼を庇って何かと絡みに行ってそうなアッシュプラントの二人は!

ハウエル船長⇔ロバーツとの関係のリフレインでありながら、いまひとつ上手くいかないロバーツ船長⇔グラスビーの関係性。それにグラスビーは海賊になってもなお、善性を失っていません。

そしてハウエル船長が生き続けていた場合のロバーツifっぽい立ち位置も、私の激推しポイントです。自分には塩対応だけれど、グラスビーとアッシュプラントが仲良さそうにしている様子に、バーソロミューも何か思うところがあったに違いない!と私は睨んでいます。

しいて欠点をあげるなら、グラスビーは中盤に加入する強キャラポジションなので、バーソロミュー・ロバーツのシンボルである「ダイヤモンドが埋めこまれた十字架」を手に入れるところや、ニューファンドランド島の占領という派手なイベントには参加していないことでしょうか?そこを除けば、最後に生存するところも含めて、非常に主人公適正が高い人物だと思います(※9)。

バーソロミュー生存ルートがあるなら、グラスビーと一緒に海賊団から脱走するしかないでしょ!?それで逃げた後で二人でアメリカに行くんだ!バーソロミューは海賊稼業で稼いだお金で悠々隠居生活をして……。でも、バーソロミューは覚悟ガンギマリで海賊になっているからそれは絶対ないかぁ。はあ。

さてさて、ここまで約25000字をご覧いただき、ありがとうございました。励みになりますので、「いいね」や「すき!」を押していただければ幸いです。それと、諸々のソースがあったら、是非いただきたいです!


※9:このnoteを書くにあたり、英語版のWikipediaを眺めていたところ、ハリー・グラスビーが主人公の小説がすでに存在していた。洋書だったので、ひとまずあらすじをGoogle翻訳しただけなのだが、そのひとつによるとグラスビーはボストン出身で、海賊団加入時は21歳だったらしい。バーソロミュー(当時38歳)の約半分の歳の超若手じゃないっすか!その年齢で一等航海士というのは本当に腕の立つ船乗りだったに違いない。ただ、手元の資料では裁判で死刑になった者たち以外年齢が分からず、それホント~?となったため、ここにメモとして記しておくに留める。


参考文献

  • オーブリー・バール著/大森洋子訳 カリブの大海賊—バーソロミュー・ロバーツ

  • チャールズ・ジョンソン著/朝比奈一郎訳 海賊列伝(上)

  • ピーター・T・リーソン著/山形浩生訳 海賊の経済学—見えざるフックの秘密

  • クリントン・V・ブラック/カリブ海の海賊たち


いいなと思ったら応援しよう!