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『上総御宿』の前で   ー横須賀美術館 谷内六郎展


 外光が明るく差し込んでくる。屋根の上は気持ちよい秋晴れが広がっているはずだ。そのせいか、こんな都会から離れた海辺の美術館なのに、いつもの日曜日より、訪れる人が多い。ご夫婦らしき二人連れ、あるいは家族連れが通り過ぎていく。最近、何かの美術番組で特集でもされたのかもしれない。
今年の3月だっただろうか?確か記念館の改修工事が始まる前だった。客が一人だけという日があった。男がたった一人で鑑賞していた。彼はずいぶん贅沢な時間を過ごしたことになる。

 さっきから長いこと立ち止まって、じっと見入っている女性がいる。髪は黒いが、だいぶ前に人生の折り返し地点を過ぎたように見える。紺色の綿のスカートにあわせた白いニットからのぞく、色白の首に数本の筋が浮き出て年齢を感じさせる。
 おや、女性の右の目から涙が一筋おちた。続いて左の目からも。女性は静かに目を閉じた。絵の中に流れる歌や音に耳を傾けている。

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 あれは、5歳になった夏だっただろうか?こんな感じの漁村の民宿に家族で泊ったことがある。明け方に波の音で目が覚めた。国道の向こうの静かな波音が聞こえ、その日の昼間の興奮を思い出して眠れなくなったものだ。

 昼寝のあと、両親と3歳上の姉と一緒に砂浜に行った。砂浜は、小さな湾の奥まったところにあり、左手には岩場の向こうに松をちょろちょろ生やした小高い丘が見える。浜には、5、6艇の漁船が、打ち上げられたまぐろのように並んでいた。
「きみちゃん、向こうのブイまで行ってみよう。」
姉の誘いに、浮き輪をつけて泳ぎ出した。少し前にいる父と姉に追いつこうと、手足をバタバタさせて、必死で水をかく。一瞬身体が沈んだと思ったが、次は前より軽くなっている。前方の父がこっちを見て、笑って手をたたいている。
「追いついた!」
父の腕に捕まった時、浮き輪がいつの間にか外れていたのに気が付いた。
「きみこ、泳げたじゃないか!」
そういって、いつまでも私の頭を撫でていた。

夕方、長い浜辺を宿に向かって4人で歩きながら、母が口ずさんでいたのが浜辺の歌だった。上ったばかりの満月が波を照らし、月に続く銀色の梯子がゆらゆら海面で揺れていた。

今年、父が亡くなり、すぐに母も亡くなり、もうすぐ生家を出てゆかなくてはならない。大きな波が幾度も襲い掛かるように混乱が続き、昔の記憶は不安や当惑の下に埋もれてしまっていた。今、海底の暗がりに一筋の光が差し込むように、あの時の砂浜の風景がぼんやりと浮上した。両親が姉と私を挟み、一直線に並んで砂浜を歩いている。それが永遠に続くように感じていた。母が口ずさむ声が今も聞こえる。

 あした浜辺にさまよえば
 昔のことぞ 偲ばるる
 風の音よ 雲のさまよ
 寄する波も 貝の色も

 ゆふべ浜辺をもとほれば
 昔の人ぞ 偲ばるる
 寄する波よ かへす波よ
 月の色も、星のかげも

 時々、何かから逃げるように絵の前に立つ人、何かにすがるような目で絵を見つめる人がいる。彼女もその一人である。たいていそういう人の心の中は、からからに乾燥している。鉢植えの花も、表面の水が乾いただけなら、水を与えれば元気を取り戻すが、鉢の中の土がひび割れるほど乾燥しきると、苦し紛れに鉢底の穴から根っこをのばし、水分を探し求める。水源にたどり着ければ、もう一度息を吹き返すが、かなわなければ枯れてしまう。
 気持ちがかさついてきたら、また絵を見に来ればいい。私はいつでもここにいるのだから。

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