ブラックコーヒー記念日
4月9日はブラックコーヒー記念日。
ゴージャスなドリンクがあまたあるスターバックスで、初めてプレーンなコーヒーを頼んだ日だ。しかも時間をつぶす目的ではなく、テイクアウトで。
コーヒーは昔から苦手だ。味も得意ではないし、何より飲んだ後50パーセントの確率で、頭痛をひくのがいただけない。
成人してからはカフェラテを好んで飲むようになっていたものの、ブラックコーヒーを自分から注文することなど少し前の私なら考えられなかった。
もちろん、いきなりこの行動に至ったわけではなく、前兆はある。
上司からいただいたコーヒーを思いがけなく美味しく感じたり、実家に帰った時に母が買ってきてくれるコーヒーが、それはそれは風味豊かで癖になったり、ガトーショコラのお共にコーヒーを試してみたり。それでも何の食べ合わせもなく、付き合いでもなく、自分からしかも美味しいものがあまたあるスタバで、ブラックコーヒーを頼んだのはその日が初めてだった。
2年と少し前に、「チャイティーラテが飲めるようになって」の というような趣旨の自分の変化に対するエッセイを書いたことがある。
令和5年の今では「ブラックコーヒーが飲めるようになって」というわけだ。
つまり、自分は絶えず変化している。20歳を少しすぎた頃、いずれ老化することをひどく恐ろしいと思っていた。27歳くらいまでの自分しかイメージできなかった。それが最近ではなんだかんだ35歳くらいまでは心も身体もそんなに変わらないのではないか、などと悠長に考えてしまっている。8年延命されたのだ。甘いだろうか。このように考えることになったのが最近の一番大きな変化だ。この変化は私の気持ちや考え方に大きな影響を及ぼしていると思う。
それから1番好きな季節を秋だと思っていたが、最近は今頃の夏に向かっていく前の季節が好きだ。物悲しく情緒あふれる日より、今はただひたすらにお日様の気持ちのいい日が良い。それだけで幸せだと思える。気持ちがいい、シンプルにその感覚が好きと言うのが今の私。複雑な感傷は求めていない。
仕事で思考することが増えたから、プライベートはなるべく感じることに時間を使いたいのか、このあたりのロジックは自分でももちろんわからない。
1年前の私はもう少し切羽詰まっていた気がする。もう20代もだいぶ過ぎてしまったとか、もっと力をつけなければとか、若いうちにやりたいことを全部やらなくてはとか。それこそゼロで死ぬことがモットーだったし。
とにかく今の私はすごくゆっくりな気分なのだ。仕事が忙しい時はプライベートをそこまで頑張らなくていいとか、何か癒しとかその時1番したいことだけすればいいとか(それがたとえ睡眠だとしても)そういう風に思っている。
よくも悪くも、コロナになってからというものの、心は穏やかで少しのんびりだ。だからかnoteを書こうという気持ちにも最近はならなかった。(noteは思考など何か書き留めたいと思った時に書くので、そう思わなかったら更新がないのだ。)
今日は久しぶりに脂がのったエッセイを書けると思って書いてみたが、ちょっとブランクがあるような仕上がり。残念。でも、いいや。
仕事もなんでも、ちょっと頑張りたいなってときだけ頑張る。それがたぶんしばらくの私のスタイルだ。