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心に華子を住ませたい。

自分が成人女性だという認識はある。

けれどそれ以前に私は男であり女であり子供であり大人であると思っている。

周りの人を見ている限り、女の人は年を増すごとにどんどんたくましくなってしまう。

それはもちろん素晴らしいことだけれど、私は『落下する夕方』の華子のような儚さを、少女性をずっと持っていたいなと思っている。

いつ消えてしまうかわからない感じ。あの軽さと隙とナチュラルさをずっとまとっていたい。


生きることを目的にして生きたくない。役割に縛られたくない。全てにシビアになって心のケチにはなりたくない。世の中の荒波に揉まれて尖った強い人間にはなりたくない。攻撃は軽やかにかわして生きていきたい。

とは言ってもバランスが大事なんだとは思う。あまり浮世や欲望から離れていくとどんどん虚にとりつかれて本当に消えたくなってしまう。正確にいうと消えてもよいなと思ってしまうし消えてしまう。

だからバランス。しなやかでしたたかに生きていく。消えそうで消えない。曖昧で強固。やわらかな芯を持って今日を歩む。

明日昨日になる今日を踊りながら笑って生きていく。


ギャップのある人に惹かれる。複雑な人は魅力的だし私もそうでありたい。

華子のような奔放さと軽さと、私の根源でもある簡単には曲がりも折れもしない芯を併せ持っていたい。


話は変わって、最近は意味がなさそうであるようなエモくて透明な文章を書きたいと思っているのだけれど、どうしても自分が見える文章になってしまう。

私という人間の主張が強いなとすごく感じる。全くもって華子ではない。だから憧れるんだろうな。

あとで見返してあの頃気を張って生きてたんだろうな〜とか思うんだろうな。この文章たちは。


いつもありがとうございます🤍