命の値段
命に値段がつくのなら、あの時の私は間違いなく二束三文だった。
それくらい軽視されていたし、自分でもしていた。
私が世界を呪っても世界は変わらないが、私は変わってしまった。
今回のエントリーはとても胸糞悪くて重い話になります。他人に同情しやすい人は飛ばして下さい。
私は同情が欲しいわけではありません。あった事を書き留めておきたいだけです。
♢♢♢
何をしても怒鳴られ、殴られ、満足に眠る事も許されず、教室の雑巾以下の扱いを受けていたある日、また無茶を言われた。
最早何がきっかけだったのかも思い出せない。返事が遅れたから?そこに居たから?生きてたから?私は彼の機嫌を損ねた。
許して欲しければ誠意を見せろ。それが常套句になっていた。
その誠意というのは、その時彼が欲しい物だ。きっかけは何でもよかった。欲しい物を買わせる為の理由が欲しいだけなのだ。
ゲームや服を買わされ、私は限界までバイトを増やしていた。平日は学校と夜勤。休日は日勤と課題。
それでも足りない、売れる物は何でも売った。大切にしていた本もCDも。怖かったから。
その日は新しいテレビが欲しいと言われた。一週間後に手元に欲しいと。テレビ台も一緒に。どう安く見積もっても7万近くかかる。無理だった。
秋葉原のヨドバシの前、横断歩道を渡りながら、お金が無いから無理ですと泣きながら言った。
周りの目なんて気に出来なかった。とっくに限界だった。電話口の彼が鼻で笑った。
「お前みたいなみすぼらしい身体でも幾らかにはなるだろ。」
私は、彼が初めての男だった。男性が苦手で、その中で唯一話せたのが彼だった。
勿論知ってる。彼は知ってる。知ってて言っている。
本気ではなく、私から金を絞り出す為に言ったのだ。
目の前の景色がマーブル状に歪んだ。この時が1回目の強烈な解離だったと思う。水の中に潜った時のように、周りの音が聞こえづらくなった。
私は、絵を描いてそれを仕事にしたかった。彼は広告代理店に勤めていて、キャラ構の真似事を無償の代わりに学校優先でやってみないかと声を掛けてくれた。
現場は本物だから勉強になると、私は勿論二つ返事だった。
でも、段々と消耗されていった。無償どころか締切を急かされ、学校の方が疎かになっても意識が低いと責められた。
立て替えたお金が返ってこなくなった。物を買わされるようになった。殴られるようになった。身体は痣だらけだった。
それでも、何処かに愛があるのかもと思って耐えていた。
あ、もういいや。どうでも。みんな死んじゃえ。
出会い系で、お金をくれる人を探した。21歳のスレンダーな小娘はそれはそれは需要があった。
桜が咲いている時期だったけど、私の視界はグレーだった。
お客さんは酷い人ではなかった。きっと優しかった。
でも私は、ホテルのトイレで最期のお祈りをした。何でもいいからここから逃してください。地震がきたり車が突っ込んできたり火事でも何でもいい、誰か、誰か
何も起きる筈もなく、さっきと同じトイレットペーパーがこっちを見ていた。
その時確かに走馬灯を見たんだよ。死ぬ前に見るやつ。家族がみんな笑ってた。
後はよく覚えてない、やっぱり帰ろうとしてもお金が必要なんでしょって言われて諦めた。
お酒を飲んで、解離して、売った。
その人が最中に私に言った、「天使みたいだ」の一言が滑稽すぎて忘れられなかった。
お前らの世界の天使は金で身体を売るのか?
初めての売春は相場の倍以上を貰えたけど、私はそのお金で何を得たのだろう。
テレビを買って、もう殴られないと思った私が馬鹿だった。
無茶を言っても通ると学んだゴミクズは、2日後には次の物を欲しがった。10日で20万のゲーミングPC。その次は、その次は、その次は…
何故別れないのか不思議でしょ。別れたいって言ったんだよ、何度も。
でもその度にボコボコにされ、絵の仕事が出来ないように根回しすると脅され、妹は実家に居るんだよなと言われたら、何も出来ないよ。
私はもう、世の中を呪うだけの何かになっていた。
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