
Gundam GQuuuuuuX緑のおじさんとあのアホのBL「魔女の呼び声」
「だっておかしいでしょう。宇宙空間には音を媒介する空気がないはずなのに、幼い頃に観た宇宙海賊のムービーでは、戦艦の核パルスエンジンの轟音が、艦砲から発射されたビーム粒子の捻れる音が、モビルスーツの駆動音が鳴っていて。
生意気な子供だったので、何度も大人に理由を問うてしまって。しつこい、黙ってろと頬を叩かれたときに、これはフィクションなのだと気づかされました。
16歳で超大型輸送艦”ジュピトリスⅠ”のクルーにアサインされて、はじめて宇宙に出ました。グラナダから木星までの6億2900万キロメートルを時速約4万kmで割ると15725時間、片道に1年と290日間、それを往復しておよそ4年のオペレーションです。
ジュピトリスは全長2キロメートルほどの長大な輸送船で、外から見ると烏賊”スクイード”だの蛇”スネーク”だのと形容されることがありますが、実際に乗り込んだ実感からすると、そうですね、巨大な棺桶が近いかな。
もちろん艦首に巨大なヘリウム3の格納ドックを持っている以外は、大抵の輸送艦とディテールは変わりませんよ。居住ブロックがあって、個室にベッドがあって、食堂や演習場がある。4年の間同じ顔ぶれのクルーたちと、同じ空間の空気を吸って、二酸化炭素の再分解機構でそれらがクリーンになって、還ってきた誰かが吸ったあとの空気を、もう一度吸い込んで体に取り入れるんです。埃っぽい船内の、誰かが吸った空気を。
あとね、ジュピトリスはいくつか悩ましい制約があって、艦体が巨大なことと、航行速度の関係で、何があっても絶対に航路を変えることができないんです。見た目こそ船の形をしていて、ブリッジには立派な操舵輪がついているんですが、あれを回したって烏賊のスラスターは1ミリも動かないよう設計されているんです。気休めというか、設計者が耐えられなかったんじゃないでしょうか。操舵輪のないブリッジを作ってしまうこと、すなわち、大勢の人間を詰めこんだ棺桶を宇宙に射出してしまう構造が、あまりに露わになることを。航路の目の前にデブリ帯が広がっていようが、宇宙海賊の遺した機雷があろうが、絶対に航路は変えられないんです。いわばロケットのようなものですね。出発前に、幾度も公社からレクを受けて、木星船団公社のAIが弾き出した絶対安全な航路だと説明されました。そして誓約書にサインするんです。おかしな話でしょう。この宇宙世紀に、絶対安全だなどと形容される航路が存在すること。宇宙の塵になっても文句は言いませんという誓約書。どちらもナンセンスで。「宇宙は自由だ」「フロンティアへの箱舟だ」などと謳っていましたが、宇宙の棺桶の空気は薄くてね。果たしていかほどの自由があったでしょうか。
少佐もよくご存じでしょう。ノーマルスーツで宇宙空間に出たら、耳に入るのはスーツが軋む音、自分の呼気がヘルメットにぶつかって跳ね返る音、無線通信のホワイトノイズだけ。あとはずっと音がしないんです。物理法則の上では。
なのになぜか、声が聴こえる。クルーからの変わり映えしない業務連絡や、チェスの勝敗や、工房ブロックの機械音を、隔壁から排出されるエアーのこすれる音を、いつしか私の耳がオミットしていった代わりに、私の体内の感覚器が別の何かを拾っていたのだと理解することにしました。ガンマ線とか、太陽風とか…。
名前もつかない恒星と恒星を線でつないで神話のモチーフをあてはめたり、形容しがたい恐怖を魔女と呼んだり。そういった、まだ人類にとって科学的に説明がついてないだけの何かしらの表象を、私の脳が受け取った時、それが”声が聴こえる”と処理されたのでしょうか。度重なる検査とヒアリングでは、カンがよくなりすぎたと申し上げています。それだけに過ぎません。ジオン・ズムダイクン公の仰っていたような、人類の革新などとは到底…。」
「木星圏に、魔女はいたかな?」
「木星にあったのは…渦巻く暗黒です。地獄の底を手で掬って、地球圏へ持ち帰るだけ。確かに地獄と形容するに差し支えない、異様な光景ではありましたが、目の前の異様と恐怖に声を挙げたとて、誰にも聴こえはしないはずなんです。ただ…声が…」
「それが君の言う、魔女の呼び声だと」
シャアがゆっくりとグラスを傾け、前世紀のボルドーの左岸の赤が空気と混ざる。ブルはワインの揺れるグラスのへりを目で追った。その所作と、銀色の仮面越しに、品定めするかのような視線がブルの身体の上を這っていることが確かに感じ取れた。
しゃべりすぎた。慣れない自然由来のアルコールと、意図の読めない彼の視線に動揺しているのだろうか。誰にも心の底を見せまいと、誰の耳にも「つまらない苦労話」として処理してもらえるよう慎重に飾り付けた木星帰りの思い出話が、迂闊な方向に打ちあがった。
「宇宙の底には、確かに鳴っている音がある。それはまだ限られた人間にしか聴こえないそうだ。例えば私と、君のような─」
自らに向く視線に儀礼的な無関心を払ってはいたが、そんな思惑さえ空気に溶けて伝わっているかのような感覚。スペースノイド第2世代の孤児として育ったブルは、人との繋がりに何ら期待するものはなかった。それは宇宙に出ても同じだった。巨大な棺桶に詰めこまれ、地獄の底を掬う長旅に、自身の生に、何か特別な意味を見出せるほどおもしろいことは起こらなかった。
””木星帰りの一部クルーに感覚能力の増幅、いわゆるニュータイプの兆候アリ””
公社のレポートに目をつけたフラナガン機関のモルモットとしてあらゆる検査を受け、訓練され、ニュータイプのパイロット第1号としてのラベルを貼られ、ジオン公国の軍属に移された。そこにも、棺桶の内装と制服がカーキ・グリーンと小豆色に変わった以上の意味を見出すことはできなかった。
目の前の若い将校は、私に軍事ユニットとしての利用価値を見出し、政治の手駒に加えようとでもいうのだろうか。だとしても、また棺桶のカラーリングが変わるだけ…言葉を交わす前はそう思っていた。疑念がわいているのだ。木星行きの棺桶の中では決して生まれなかった、私の人生への疑義が。
「大尉には私のすべての秘密を伝えよう。私から、何を感じている?」
「…」
仮面ごしの視線は、今しがた言葉を吞み込んだその喉を突き刺している。緊張で肌から血の気が引いている。表情を崩すことはできない。輸送船の乾いた空気と埃で荒れた頬の地肌に冷や汗が伝った。口角の角度を他人に悟られまいと口髭を生やした。長い航路の途上で、いつしかブリッジから、宇宙の光を追うことををやめていた。
もしかしたら、少佐にも、私と同じ声が聴こえているのだろうか。もしかしたら、私と””同じ””魔女の声が聴こえる人間が私以外に存在し、今目の前に降り立ち、私に話しかけてきているとしたら?仮面の奥に潜む目を誰から隠して、それは何を見つめているというのか。
「旧い人類を呑み込む手伝いをしてくれないか。手始めに連邦を、次にサビ家を滅ぼす。棺桶から出てこい、シャリア・ブル」
魔女の呼び声が一層強く、頭の中で鳴っている。
飛び出していけ宇宙のかなた
目の前をぶち抜くプラズマ