話す機会が無かった娘の話
ご覧いただきありがとうございます。ひで@エロバンジェリストでございます。(エロバンジェリストって何?というのは今回は脇に置いておきます。)
こう見えて、妻と息子2人の4人暮らしです。
普段エロいことしか考えていませんし、ツイッターもインスタもエロ方面の内容。そんな僕ですが、初めてnoteに書くことを何にしようかと考えていましたが、やはり普段言う機会が全然無い話が良いかなと思った次第です。
とは言え、全世界に公開するようなことでも無いですし、一部有料にさせていただきました。何人の方に読んでいただけるかわかりませんが、興味を持っていただけましたらポチっとしていただければと。
これから子供が欲しいと思っている方、出産予定の方には、不安しか増えないので、ひょっとしたら読まない方が良いかも知れません。逆に、子供が生まれて大変だなぁと思っている方には、こういうこともあるんだと、気持ちを切り替えるきっかけになるかも知れません。
前置きが長くなりましたが、これは今は亡き長女の話です。
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【目次】
1.結婚
2.出産
3.診断
4.介護
5.出産その2
6.出産その3
7.別れ
8.いま
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1.結婚
僕は、1996年に大学を卒業し、某企業に入社し北海道の拠点に配属になりました。一浪していたので23歳のとき。
女っ気のあまりない社会人生活を送るなか、ある時入社同期の男子A君がバイクで転倒し脚を骨折。入院することになりました。
A君は入院中世話してくれた看護師Bさんと仲良くなり、付き合うことに。
そして間もなく、Bさんのツテで合コンが開かれることになりました!!素晴らしい!!
しかしその日(1997年2月某日)は、北海道は天候が悪く猛吹雪。女子は次々とキャンセルになりましたが、男子勢は全員出席。結局女子はBさんとHさんの2人。対してA君以外は全員彼女無しの男子10人との会になりました。バランス悪っ(笑)
で、僕はその後Hさんと10日後くらいに再開したのですが「触れたときにこの人の子供が欲しいと思った。」というありがたい思い込み!?のお蔭で結婚することに。出会って2か月足らずの4月頭に入籍しました。
結婚式も考えていなかったのですが、それでは示しがつかん、というHさんの両親の意向を素直に受け入れ、その年の11月に式を挙げました。
はい。それ以降は、もう子作りです。(笑)
程なく妊娠し、長野オリンピックの年、1998年10月に子供が生まれることになりました。
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