ザッツエンターテイメント! 祝アマランスラウンジ20周年!
VIVA! これぞアマランスラウンジ!
品川プリンスホテルにあるClub EXという会場でアマランス20周年パーティが開催されました。久々の豪華で艶やか、これでもかと言うほどの煌びやかなステージに私も華を添えさせていただきました。
赤い壁で覆われ、その上赤い円形ステージは、まるでアマランスをそのまま大きくしたような会場でした。
久々に、広いステージでショーができた事、う〜ん、ヨーロッパ以来!
体も心も大変喜んでいました。
そして出演者の皆さんのゴージャスさったら!平山みきさん、横山剣さん、野宮真貴さん、酒井法子さん、JazzのAkikoさん、井出麻里子さん、と相当たる顔ぶれ!そしてDJはコモエスタ八重樫さん、須永辰雄さん、伊藤陽一郎さん、私のアマランスのパーティ’’エロチカバンブーのチョットだけよ’’の右腕Bambi。
そしてアマランスフォリーズの綺麗な踊り子たちとドラァグクィーン達。そして思い切りお洒落に手抜きはなしヨのアマランスを愛するお客さん達。この夢の共演はアマランスのマダムレジーヌ、リーさんの世界が見事に実現された一夜となりました。
アマランスの出会いはアマランスが出来たての頃でした。これがその時のフライヤー!ひょんなきっかけで出演することになりました。最初はドラァグクィーンがショーをする代官山で初めての
お店としてはじまったのだけれど、あるクィーンが出演をキャンセルしたため、急遽ジャスミン(上のバラを持った真ん中のクィーン)から、バーレスクをやっているエロチカがいいのでは?と紹介して頂いたのがきっかけでした。今となればキャンセルしてくれてありがとう!と言いたいです。
2002年の12月14日のフライヤー。その頃、バーレスクダンサーは東京では私ひとりでした。そこにまだ駆け出しだったキャバレッタを連れて行き、いつの間にかバーレスクが見れる東京初のお店となったわけです。お客さんの、目も肥えていますので、誰でも出れるお店ではないものの、鍛えられ素晴らしい踊り子が羽ばたきました。
アマランスのDJ達がかける選りすぐりの音楽で、私たちは自然と体が動きだす。まるで踊らされる魔法。踊り子、ドラァグクィーンと、酔いどれ天使達。東京や海外からのツワモノが自然と集まりました。恋に敗れて涙を隠し踊る女子や、その晩のアバンチュールに熱い視線で語りかける建築家、明け方近くにやってくる音楽家、人生をポルノで表現する監督、綺麗な和装美女を連れてくる伝説の画伯、私がLAで恋に恋して、恋に敗れたシンガーとかね、色々な人がその晩を一緒に作っていました。
お日様がそろそろ登り始める朝の4時にかかるショスタコービッチのワルツで踊るのはジャスミン。そうしてその夜はお開きになるでした。化粧が剥げて溶けた私たちはグリッターまみれの床にドレスの裾をひきづりながら帰路に着いた、そんな日々でした。
並木族なんて言葉も生まれました。あの頃あの界隈には『青い部屋』、『ソフト』、『アマランス』と朝までハシゴできるお店があったの。
そのアマランスと共に歩いてきた20年。この20年、いろいろあった!アマランスに出演した翌年アメリカでいきなりミスエキゾチックワールドの王冠を掻っ攫い、いきなりアメリカNo.ワンのバーレスクダンサーになって、LAに移住。そこで結婚、出産。帰国してレジーヌをMCに東京ティーズバーレスクを開催。その後ベルリンへ移住。海外から帰国すればアマランスでショーをやらせて頂いた。ベルリンでどん底人生を味わい、一昨年は本を出版しました。アメリカまでの人生やアマランスについても本にも書いていますので興味おある方は読んでみて下さいませ。そして昨年日本に移住し今はアマランスの眼と鼻の先に住んでいます。
さて、これから先どんな人生が待っているのでしょう。20周年を機に新たな夜が復活したのではないでしょうか?
改めてレジーヌ、りーさん、ありがとうございました。そして20周年に関わった全ての皆様、これからもよろしくね!レジーヌとりーさんについては改めて文章にしたいと思います。