届くことのないラブレターを君に
神宮寺勇太くん。きみは全くもってピエロみたいな人だな、と私はよく思う。
本人はピエロ恐怖症らしい。それなのに誕生日祝いの一言めからこんな喩えで申し訳ない。もしも彼がこんな祝福を聞いたらきっと卒倒するし全力で嫌がるだろうけれど、決してこれは否定的な意味じゃない。掬いきれないほど溢れて止まない彼への愛と尊敬の意味を込めて、私はあえてこんな書き出しではじめてみたのです。
神宮寺くんを「ああ、好きだな」と私が心を震わせるのは、決まって彼の奥ゆかしい「優しさ」を垣間見た時だ。
彼はこれみよがしな「優しさ」は決して表に出さない。自分の優しさをひけらかさない。アイドルとして、トップスターとして、光り輝く存在として脚光を浴びる事は好きだし大歓迎だろうけれど、その為の要素としてはまるで不必要な「優しさ」について着目される事は、決して好きではない人なのだろうな、と想像する。
だからこそふいに突然現れる。静かに佇んでいる。でも、そこかしこに確かに存在している。誰にも真似できない彼の「優しさ」は。
たとえば、私が真っ先に彼の「優しさ」に思い付くのは、誰かが不快になるワードは絶対に口にする事はない、という事だ。絶対に避けていく。それについての回避能力はたいへん高性能。コメントひとつに対する配慮の矛先がとてつもなく広範囲なので、彼はいったいどれほど精密なアンテナを持しているのだろう、とも思ってついため息がこぼれる。
それが個人でなく集団の場になってもそうだ。彼は見て見ぬふりをせずに避けようとする。その避け方も「よくないよ、やめよう!」といかにも風に遮るわけではなく、あくまで自然に、何気なく、そのワードの話題を逸らしていく。時にはふざけて。時には自分を汚れ役に仕立てながら。
不快に感じたほう、ワードを知らず知らずに口に出していたほう、どちらも傷つかないし嫌な気分にならない。
彼はいつだって全方向にアンテナを張り、誰もが気持ちよくなれるように空間を収束させてくれる。そのすべを知っているし、だからと言って前に進み出ようともしないから、彼がいる空間はいつも安寧に保たれる。そんなふうに思う。
彼の「優しさ」は、私の中で冒頭のピエロにも重なる。彼はいろんな仮面を持っている。悪い意味ではなくいい意味で。それこそ彼の奥ゆかしい「優しさ」が、彼に次々といろんな仮面を被せているような気がする。
話を進める人がいなければ、リーダーになって話を進める。
話す人がたくさんいれば、一歩下がって何も言わずに話を聞く。
突っ込む人がいなければ、突っ込む。
ぼける人がいなければ、ぼける。
困った人がいたらすぐに助けるし、言葉に詰まって何も言えなくなったらアシストする。
ふざけた人が必要であれば、これでもかというほど全力でふざけまくる。
持ち合わせたいろんな仮面を、トランプのカードを切るみたいに自由自在に、その場に応じて付け替える。簡単そうで、なかなかできることじゃない。いろんな仮面を持ちたくても、なかなか揃えられるものでもない。
いつか光一くんが彼を「器用」と評したのは、そういう仮面の着脱を、軽やかにこなしてしまうしなやかさがあるからかもしれない、と思った。そのとき語ってくれた舞台における技術だけではなく、彼のなかに備わった、そういう本質みたいなものをとらえて「器用」という言葉に落とし込んだのではないだろうか。そんな事をふと思った。
つまりはいつだって彼は道化になる準備をしていて、引かれたカードが何であろうと、彼は演じきってしまう。やらされているとか、やりたいとか、そういう次元の話ではなく、たぶん〝やる〟として当然で、そこに対して好きとか嫌いとかそういう感覚は一切ないのだろうと思う。
カードが引かれたらやる。それがジャックでも、キングでも。ハートのAでも、ジョーカーだったとしても。
こうして彼の奥ゆかしい「優しさ」に出合うたび、私は彼にゆっくりと恋に落ちていく。恋という言葉が当てはまるのかなんなのかわからない、そんな不思議な感情に包まれる。なんだか神聖なもの。それでいて、すごくすごく穏やかなもの。
彼がいるから不思議と大丈夫だな、と思える。安心できる。ほっとする。岸くんにしても、玄ちゃんにしても、紫耀くん、廉ちゃん、海ちゃんにしても、誰かのそばに彼がいるなら、寄り添ってくれるなら、「ああ、じゃあ安心だね」ってすんなり腑に落ちる。
私みたいなやつからこうしてどれだけ重荷を与えられようと、きっと神宮寺くんなら潰れない、という変な確信がある。何を担保にそんなことを言いきるんだ!と石を投げられそうだけど、彼なら大丈夫、間違いない。そんな重荷にすらも、笑顔でファンサービスしてくれるような人だと思うから。
海ちゃんが時々岸くんのことを「神社」と表現するけれど、もしかするとそれと同じような感覚なのかもしれない。私にとって、お守りみたいな存在。こんなに素晴らしい人いない。心から思う。あっという間に恋みたいな感覚が全身を駆け巡って、穏やかな気持ちになって、安心させてくれるから、本当にいつもありがとうの言葉しか出てこない。
本当にいつもありがとう。
そんな神宮寺くんが、ついに22歳になった。どんなふうに迎えたんだろう。ファンよりも誰よりもメンバーのつながりを本人たちが大切にしているグループだから、本当は六人でお祝いしていてほしいけれど、もしそれが難しくても、家族や、友人や、その他もろもろ、神宮寺くんにとって大切な人と大切な瞬間を迎えていてくれたらいいな、と思う。
どうか22歳の彼に、幸せがいっぱいあふれますように。
六人で歩む光の道しるべが、彼の目の前にちゃんとできていますように。
これからも神宮寺くんの奥ゆかしい「優しさ」をこっそり見つけながら、愛と尊敬にあふれた気持ちで見守っていくので。離れないので。だからきみは安心して、いつまでもピエロみたいな人でいてください。
でも、ふとした瞬間に何の仮面もつけていないきみが、無邪気に年相応に笑っている姿を見て胸がいっぱいになることがあるよ。そんな瞬間もたまらなく好きだよ!愛してる!お誕生日おめでとう!!
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