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「守りたい」ひとの抱える花束がどうか色とりどりであるように

「守るのが好きで、人を。守りたがっちゃうんですよね」


昨年の「RIDE ON TIME」という密着ドキュメンタリー番組の第一夜。彼は幼い頃から見てきた景色をぼんやりと眺めながら、おぼろげなようすでそんなことを呟いた。

彼は常に「守りたい」の欲求がつよいひとだ。その対象は、男でも女でも、小さな子どもでもおじいちゃんおばあちゃんに対しても変わらない。身近なひとも、オタクどもも、じぶんに関わるひとはみんな。どんな対象であれ、自分が守れるものは常に守っていたい、そういう考え方をするひとだ。

紫耀くんの根底にある「守りたい」のつよい欲求は、彼の生い立ちやこれまでの経験などいろんなことをルーツとして、わたしたちには計り知れないようなストーリーが彼のなかにはきっとあって、まったくもって根深い思想なのだろうなと想像する。
ただ、彼の「守りたい」は間違いなく本心のはずなのに、そこに見返りや、押し付けがましさや、高いところからの圧といったものはまるでない。ましてや周囲からの好奇の視線や陰口めいた言葉に動じるようなそぶりもまったく感じられないから、すごくフラットに彼の言葉を受け入れられてしまう。
それがあまりに自然なので、時々はっとして「いやいや、普通に受け入れちゃダメ、これってすごいこと、これってなかなかできないことだよ!」と洗脳されかけた自分に平手打ちでビンタをかます。それくらいに彼の立ち振舞いが自然体なので、ついつい錯覚してしまうのだ。

紫耀くんの「守りたい」をわたしなりにひも解こうとすると、彼は、お日様のしたで無邪気な笑顔を浮かべ、両手をいっぱいに広げて待ってくれているようなイメージだ。
身ひとつで、無防備なままで、「そのまま飛び込んできていいよ!」ってくしゃくしゃの笑顔で言ってくれる。だから、こちらもつい警戒せずに彼の腕のなかへと飛び込んでいきたくなる。身を委ねてしまいたくなる。

そういうふうに手放しで、何もかもを受け入れるようなスタンスで、彼は、いつもじぶんの大切なものすべてを「守りたい」と言っている。

たとえば、彼の過去をよく知らないので想像でしか語れないことだけれど、昔の紫耀くんは「守りたい」がどこか前のめりで、きっと欲が深すぎて、腕のなかいっぱいに守りたいものを抱え込んでいたんじゃないかな、という気がする。あくまで想像ですけど(まだ言う)。
あふれそうになったものを必死に抱きとめて、こぼれそうになったら拾い上げて、もう落ちないようにってまたぎゅっと強く抱え直して。ソロプレイヤーでがんばって、誰にも頼らずに、いっぱいいっぱいになっているような。

でも、それがいま、大きな手を広げられるぶんだけ精一杯に広げて、包み込むように大事なものを守っている紫耀くんがいる。落ちたよって誰かが拾い上げてくれたら「ありがとう」って素直に受け入れられるような、「これだけおれがもつよ」って他のメンバーが言ってくれたら「じゃあよろしく」って素直に託すことができるような、だれかに支えられながら守っている紫耀くんがそこにいる。ここまでの間にも彼にしか知り得ないストーリーがあって、やっとたどり着いた姿なのだと思う。
そんな彼を夢見心地で眺めながら、きっといっぱいいっぱいになっていた頃よりも紫耀くんは成長できたんじゃないかな、なんて感慨深くなってしまうこともある。

どんなときもまっすぐで、等身大の言葉で、飾らないじぶんの想いをわたしたちに発信してくれる紫耀くん。そんな彼がしきりに口にする「守りたい」を、わたしたちだって守りたい、守ってあげたいと切に願う。

紫耀くんが「守りたい」と腕のなかにぎゅっと抱えたものを、わたしたちも守りたいから。
紫耀くんが「守りたい」ためにないがしろにする自分自身のことを、わたしたちこそ守ってあげたいから。

彼の大きな身体の上から腕を重ねて抱きしめてあげたいし、落としてしまいそうになったのならすかさず拾ってあげたい。きっと世界中の誰よりも「守りたい」がつよい紫耀くんへ、もしもなにか伝えられるとするならば、「がんばってぜんぶ抱きしめなくていいからね」ってこと。
いつも守ってくれてありがとう、だからたまには少し腕の力を抜いて、じぶんのことも守ってあげてほしい。そんなことを、この過保護な母親みたいな心の底から願ってやまないのですよアラサーオタクは。

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