〝笑顔にさせる〟人でも〝笑顔にできる〟人でもなく〝笑顔を生み出す〟ような人
「岸くんは、〝笑顔にさせる〟人でも、〝笑顔にできる〟人でもなく、〝笑顔を生み出す〟人なんじゃないかな」
「笑顔」がテーマである先日の少年倶楽部を見終え、私はふとそんなことを思った。
岸くんの周りは、いつだって笑顔に溢れている。彼らの微笑ましい話を聞いたり、何気ない一瞬を切り取った写真を眺めたりするたびに、私はついそんな景色を想像してしまう。
少年倶楽部のトークのなかで、神宮寺くんと永瀬くんが例に挙げてくれた楽屋でのエピソードもそうだった。彼の一挙手一投足で誰かが笑う。何でもないことで笑顔になる。いわゆる笑顔の連鎖みたいなものが、彼の周りには自然と生まれているような気がする。
ただ、恐らく岸くんという人は、無理やり誰か笑わせようとしたり、笑ってもらうことだけを望んだりするような人ではない。彼がそこにいるだけで、ほっとして笑顔になれる人がいる。おのずと笑顔が生まれていく。まさに、〝笑顔を生み出す〟人。岸くんと「笑顔」を結びつけるにあたって、そんな表現がいちばんしっくりくるのではないか、と私は考えるようになった。
たとえば、アイドルという職業柄、「人を喜ばせたい」を信条とすることは決して珍しいことではない。ハードではなくソフトな意味で、アイドルの役割というのはつまりそういうことであるし、過酷なアイドルの仕事を続けられる理由をそこに見出す人もグループ内外問わずたくさんいるだろう。
それでも彼に関しての「誰かに喜んでもらうこと」、あるいは「誰かに幸せになってもらうこと」にまつわる概念は、恐らくその次元とはまた別の、とても深い何かに基づいているように思う。
今でも思い出す、ジュニア時代に出演していたバラエティ番組「ガムシャラ」。ジャニーズJr.が何人かでグループを編成し、それぞれライブで披露するパフォーマンスがあった。そして、その練習に密着した特別番組が放送されていた。いったい何に向かうのか、いったい何のためにそこまで必死になるのか。そんなことは恐らく一ミリも考えていない、ただ無心で懸命に練習に励む若い男の子たちの姿がそこに映し出されていた。
その番組の終盤、ふいにこんなナレーションが流れてきた。
「彼らにとって、ジャニーズとは何か?」
驚いた。そんな質問を番組のラストに持ってくるとは、まるで思いも寄らなかった。理屈や道理や難しいことはすべて置き去りにして、いままさに〝ガムシャラ〟に走り抜けようとしている十代の彼らに向かって、そんな身も蓋もないことを尋ねるのか、と私のなかに何とも言えないじとっとした感情が一気に駆け巡った。
しかし、暖色じみた部屋のなか、さながらドキュメンタリー番組といった風にソファに岩橋くんと並んで腰を下ろした彼は、思慮深く迷うことも、はっきり断言することもなく、静かなトーンで口にした。
「人を幸せにするんじゃないですか。人を」
この言葉をはじめて聞いたとき、この人はなんて優しい人なんだろう、と思った。
「岸優太にとってのジャニーズ」を聞かれているのに、「人にとっての幸せ」と答える。言い換えれば、主語は「自分」ではなく顔も名前も知らない「誰か」であって、自分がどうであるかは二の次なのだ。まるで見ず知らずの「誰か」の心を当たり前のように真っ先に思い浮かべる人なのだな、と彼の存在をそこで改めて再認識した。
わざとらしさもなければ、いやらしさもない。偽善ではなく、畏まるわけでもなく、彼はただ無自覚に、無意識に、生まれながらにして身体に染みついた一種の〝癖〟のような感覚で、相手のことを想像してしまう人。
つまりはそんな「誰か」の幸せのために、ジャニーズのなかの岸くんは、汗をかき、涙を堪え、いろんなものを我慢してここまできた。「人にとっての幸せ」をイコールで結びつけるようにして、彼は「岸優太にとってのジャニーズ」を形成してきたのだとも言える。
「人を幸せにするんじゃないですか。人を」
それはまるで、カメラの向こうにいる自分よりいくつも年上の誰かを優しく諭すような、どこか達観したように穏やかで強いひとことだった。いつものごとく何度も小さく頷きながら呟く姿は、自分が吐き出したその言葉を、自分自身でもう一度味わうようにゆっくりと咀嚼しているみたいだった。
そこで私の脳裏によぎったのが、昨年単独で登場したSODAでの何気ないひとことだった。「きっと、ファンの方も僕が楽しんでいる姿が好きだと思うので」。聖者でもなければ偽善者でもない、23歳のアイドルの彼はただ自然体で等身大にそう語っていた。
「ファンの方たちに夢とか元気を与えられたり喜んでもらえるようになるためにも、まず自分がいろんな形で夢を叶えていきたい」
「ファンの方を『最近お仕事が少ないね』って不安にさせたくないので」
夢を叶えて元気になるのも、仕事が少なくて不安になるのも、本来なら主語は必ず自分であるはずなのに、彼はその主語に「ファン」を置く。自分のことはいつだって後回し。
つまり、これこそが彼の〝癖〟なのだ。自分の行動が誰かの「幸せ」につながることをきちんと理解しながら、その「幸せ」がやがて自分の「幸せ」に結ばれると信じている。
自分の「幸せ」は相手ありきであるが故、相手の「幸せ」に自分のすべてを委ねてきた岸くん。それはきっとファンに対しても、メンバーに対しても、仕事で関わるキャストやスタッフ、もちろん自分の身の回りの人に対しても、常に同じ想いを抱いているのだろう。誰に対してもフラットに、相手にとっての最善を願う。だからこそ、彼の周りには絶えずして笑顔が溢れているのだ。
いつだって相手を優先する、相手の気持ちをいちばんに思える優しい人。
自分のことは後回しで、誰かのための何かであればいいと自分の存在意義を唱える人。
岸くんは、自分にできるその「誰かのための何か」が「幸せ」であればいいな、とささやかに願っているような人だ。無理強いすることなく、あからさまにすることもなく、ただひそやかに願っている。こちらに気づかせないようなさりげない強さで、どうしたって抜けそうにない〝癖〟のような当然さで、そっと願ってくれている。
だからこそ私も、彼に見えない背中のほうからこっそりと、こう願わずにはいられない。
彼の存在が、ひとつでも多くの「笑顔」を生み出しますように。
そしてその「笑顔」が、巡り巡っていつか彼の「笑顔」にたどり着き、「幸せ」の連鎖が彼のもとでどうか永遠にとわに続きますように、と。
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