朝鮮半島・満洲史を追う(7)〜ここまでの筆者の印象
歴史的事実と、著者・自分の推測や考えをできる限り分けたい、と思って学習を進めてきました。ところが事実だけを並べてみても大きな流れが見えてきません。そこには当時の国や人を動かしたであろう思惑や思想をある程度想定しないと理解が進まないと痛感しています。そこで今回は筆者の考え・印象・推測等を交えながら流れを書いてみることにします。
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アヘン戦争、明治維新後、第二次大戦終戦に至るまでの流れを整理しますと
東アジアで日本が真っ先に開国・近代化したが清朝・李朝の近代化が遅れたのが戦争が続いた原因
江戸幕府はロシア船の来航を始めとする開国への圧力やアヘン戦争で危機感が募っていたところに米国からペリーが来航、開国・近代化へ舵を切ります。ロシアは日本の外交姿勢を尊重して長崎出島まで移動して交渉しようとしたりと紳士的だったようですが、最初の開国相手としては大砲をぶっ放した米国を選ぶことになりました。米国は内戦(南北戦争)のため東アジアの表舞台からは少し遠ざかりますが、最終的には日本を叩いて戦争をしない国にします。そこで米国が代わって朝鮮戦争やベトナム戦争で疲弊して行くことになります。日本は米国に酷い目に遭わされましたが日本を戦争ができないよう骨抜きにした結果、米国は遅れて酷い目に遭ったと言うことです。
話を戻します。
明治政府の安全保障の課題の1つが朝鮮半島の安定で、ここがロシアに取られると次に日本が危なくなるとの認識を持ち李朝に開国を促しますが強いところに付こうとする事大主義からかうまくいきません。
その結果、日清戦争になります。これが清朝没落のきっかけになって満洲から朝鮮半島が権力の空白地帯になり、不凍港を得たいロシアが進出してきます。戦後ロシアからの干渉(三国干渉)もあって李朝は日本より強いと見たロシアに付きます。
そして日露戦争になります。辛勝した日本は朝鮮半島(当時は大韓帝国)を併合し満洲国を建設しますが、結果的にはこれら一連の動きに米国が脅威を感じて開戦へと突き進んでしまうわけですね。
これ以降はまたごちゃごちゃしてくるので今日はここまで。
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