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妊娠6ヶ月での死産(流産)

11/18、赤ちゃんを21週で死産(流産)しました。
正直、どうしてこうなったのかもわかりません。

11/18の朝は下着が血で赤くなり、外来に予約外で8時半くらいから座って待っていました。
お腹が痛く、膀胱炎?と思っていましたが、座ってられなくなりベッドで寝ながら待ちましたがお腹が差し込むように頻繁に痛くなる。
看護師さんにもそのことは伝えて、出血してることは伝えましたが予約外だからと言われて12時前まで待ち続けました。
しかし、あまりにもお腹が痛くてベッドの周りのものを掴んでしまい、その拍子にナースコールを押してしまって、「本当に我慢するのが辛いです」と言うと外来の診察室に次に入れてもらえました。

診察室に入ると経膣エコーをすると言われ、服を脱いで血を撒き散らしながらエコーされ、その後、また服を着てお腹のエコーをしました。

そして先生が裏で他の先生とケータイで話をし始め、破水してて、病棟にあげると言うことを話してるのはわかりました。

そして、先生から「これから緊急入院をします。それで上で(上の階に産科病棟があるので)詳しく診ましょう。」と言われました。

私は嫌な予感はしつつも、職場に午後休も下さいと連絡しなきゃと思い、「今日旦那も来てるんです。旦那を呼んでもいいですか?」と言ったら先生はすぐに「いいですよ」と言って旦那を診察室の外に呼びにいってくれました。通常は産婦人科外来のエリアの待合室は、付き添いも認められていませんので少し離れたところに旦那はいたのだと思います。

そして旦那に先生は緊急入院になったことを伝えてくれ、私も会社に連絡して欲しいと旦那にお願いしました。
ストレッチャーで診察室の外に出ると、妊婦さんたちが診察室前の長い待ち時間の中でお腹を撫でたり、母子手帳を手元に持ちながら待ってるのがわかりました。私は自分が妊婦として良くない状況であることは薄々感じ、待合室の妊婦さんたちに自分の惨めな姿を見られたくなく、痛みで、のたうち回りながらも妊婦さんたちから背を向けました。

そしてそのままストレッチャーで病棟にあがり、分娩台に乗せられました。よくわからないまま服を着替えさせられ、点滴やら採血、血圧をみんなが取っていきます。そして1人の先生が私にゆっくりと話をしてきました。
「赤ちゃんが子宮から出てきちゃっててね、でもまだこの週数だと今の医学でも産んでも助けてあげられないし、かと言って子宮に戻してあげることもできないんです。」と言われました。

私は何も言葉が出ず、先生の顔をじっと見つめ、あ、この先生は前回の流産でもお世話になった先生で、ここの産科であたった中では1番信頼してる先生だと認識し、この先生がいうなら本当なのだ、あぁ赤ちゃんダメなんだと思いました。

先生は何も言わない私に「とりあえず中見てみますね」と言われ、そうしている間にも差し込むような痛みが頻繁に襲い分娩台の淵を握っていました。

そしてその先生は「うんちするみたいに、いきめるかな?」と言われ、自分なりにやってみるうちに痛みの波がまた治っていきました。

そして先生が「じゃあちょっと旦那さんに説明してくるからね。次、痛みがきたら教えてね。」と言われて私が頷くと手術室の外に出て行きました。

旦那はその時まで、赤ちゃんも、もしかしたら私にも何かあるかもしれないと思って、心中穏やかではなかったそうです。確かに後から聞くとそうだよなぁと思いました。

一方で私は分娩台で、あぁこのずっと今日ある差し込むような痛みはきっと陣痛なんだろうとその時ようやく理解しました。不思議なことに今までの行動は確かによく陣痛がきた妊婦さんがやってた行動そのものだったと思いました。
そして先生が戻ってきてからは痛みが来るたびに痛みがきたことを伝え、先生から「グーっと力を入れていきんで」などと言われる繰り返し。

そうしてる間も他にもいろんな先生や看護師さんなどが採血やら点滴、エコーなどをしようとして、腕をあまり動かせないので上半身をのけぞらせたりしながら、いろんな方法でいきんでいました。

そして熱い何かがパーッと私から出ていったのがわかり、先生が「無事に出ましたよ」と言われました。あぁ産声も聞こえない、無事に産まれましたよじゃないんだとボンヤリと思いました。

ただそこからも大変で胎盤がもろく一気に出てこなかったのでそれを出すのも痛かったです。

そしてようやく全てが終わった時、私は無という感情しかなく、涙も出ませんでした。
旦那が入ってきて分娩台の横に座って泣いているのがわかりました。

何か旦那と話したりしましたが、もう感情が何もわきませんでした。

2人で話していると、看護師さんがきて「赤ちゃんに会われますか?」と言われて、会うことで私はパニックに自分がならないかと不安でしたが「会いたい」と伝えると看護師さんは「ちょっと赤ちゃん綺麗に洗ったりしてきますね」と言って準備してくれました。

そして暫くするとかわいい小さな服を着せた赤ちゃんをつれてきて、私の腕のところへ乗せてくれました。娘でした。こんなに小さいけど、娘の形はしっかり赤ちゃんで、指の一本一本でさえ、小さいながらにきちんとありました。
そのとき、私はようやく、涙が出てきました。看護師さんはそれ以降、私たち夫婦をパパ、ママと言うようになり、あぁこんな形でも親なのだと思いました。そして赤ちゃんと一緒に3人で写真をとってもらいました。

しばらくすると先生からお話があって何でこうなったかは正直わからないと言われました。もしかしたら私の持病の影響もあるかもしれないし、流産しやすい体質なのかもしれないし、高熱が出てるからその影響もあるかもしれない、こればかりはわからないといった趣旨のことを言われました。
ただ、私はこのまま暫く入院で、MFICUに入院をすることになり、退院は未定ということだけがわかりました。

でも今思うと一般面会禁止、立ち会い出産も生まれる時だけ許可と決められた病院で旦那となるべく一緒にその日は居させてくれたのは私の今回の出来事が私にとってそれなりの出来事になると病院側は認識してくれているのだと理解しました。そしてそれが心細い私の安心させてくれる要素ではありました。

でもその後は1人で定期的に泣いて、寝られないので夜や明け方に赤ちゃんに会わせてもらったりしては妊婦だったときのことを思い出してまた泣くの繰り返し。

ささやかな妊娠中の思い出しかなく、何かしてあげられることはないんだろうかと思います。きちんと産んであげられなくてごめんね、こんなにしっかり育ってるのにねと娘を触りながら思います。

一方でそんな私とは違い、旦那は私がいつ退院するかもわからないので入院セットの準備はもちろん、様々な手続きをやってもらわなければいけません。不妊治療して、妊娠して、流産もして、また移植をし、妊娠してようやく安定期まできたのに今度は死産で、旦那は死産届を書いて、自分の子供のお葬儀の手配もしなくてはダメなのです。

私は産後休業に入れますが旦那にはそんなものはなく、大変だけどやってもらわなくてはダメなのです。旦那は立場は違えど唯一の私以外の悲しく涙する当事者で、ごめんねと感謝の気持ちです。

こんなに大変な思いをしてるのに離婚したいとは思わないよと言ってくれて逃げ出したりしないでいてくれます。

今後のことを考える余裕はまだないけれど、退院してもこれからも悲しみの日々が暫く続くことを予感しています。

心拍確認後の流産も5%とか言ってたのに経験して、12週以降22週未満の流産も1.5%とかいうのにあたってしまった。どうしてだろう、私がもっと注意深くマタニティ生活を送っていたら違かったのか、あんなに前回の健診のエコーでは動いていた赤ちゃんはいつどうやって命を終えたのだろう、苦しかったのかと想像せずにはいられません。


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