■6月11日 あの頃に見た夢は
今日は朝から、今日更新分のnoteを必死に書いておりました。昨晩、いろいろ力尽き、noteにまで時間をまわせなかったのです。
でも、毎日更新していると、「書かないことのもたらす違和感」が気持ちのどこかに、それはそれはでかい態度でふんぞり返っておりまして。それをなだめるためには、しんどくても粛々と書いていかざるを得ないのでありました。
そして、なんとか書き終わり、更新してしまうと、もうそこで集中力は途切れ。そのまま、買ったまま放置していたコミックに埋没することに。
えぇ、この段階で明日の締切は終わっていません。
ですが、梅雨の低気圧と共に、私の血圧も低空飛行しておりましたので、体調もすぐれず。そのうえ、集中力がないと来ていますから、これはコミックに埋没するしかないわけです(なぜ)。
そして、そのまま夜になり(をい)。今日に限って『どうする家康』は長篠合戦で。テレビの前に座り、そのまま視聴。
山県正景さま@橋本さとしさんの散る姿に涙し。織田信長さま@岡田准一さんの武人っぷりに感服つかまつり。同じく、信長さまの狂気みある戦ぶりに慄き。殿に会いたいなぁとしみじみし(ん?)
端的に言えば、十二分に堪能したわけです。
そんなふうに、一日を楽しく過ごしてはいたのですが。知らない間に仕事をしてくれる小人さんたちは、今絶賛行方不明ですので(?)、この段階でも明日の締切仕事は現状維持=終わっておらず。
夜の10時になってから、やっとこさ仕事を始めたわけです。…泣くかと思った(((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
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昨日は、ほとんどコミックを読んで過ごしたのですが、幾つかnoteの記事も拝読しました。そのなかで印象に残ったのがこちらの記事です。
高井宏章さんの、『「子育て本」なんて、書けない。」です。内容は、まさにタイトル通りで、「子育て本」を書けばいいのにと勧められるけれど、書けないんだと、その理由を綴ったものです。
ふと思うのは。「『子育て本』なんて、書けない」と確信を持って伝えられるだけの個別性だったり、客観性だったりがあるからこそ、他所から見ていて、「すてきだな」と感じられるのではないかと。
私自身は、高井さんの、娘さんとの距離感があまりにもすてきで、ちょっと泣きそうになりました。
「三姉妹のファン」
最終的にはこの言葉に集約されるように思います。
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最近は、自分の育った環境の過酷さを表す言葉がいろいろ創られ、可視化されています。その潮流に乗っかると、私は紛うことなく「毒親育ち」です。しかも、わりと典型(笑)
もちろん、親だけに自分の抱える困難さの理由を押し付けるわけにはいきませんし、仮にも育ててくれた親を「毒」という強い形容で表すことに躊躇がないわけでもないです。
それでも、自分の根っこの部分をこれでもかと傷つけ倒してくれたのは事実ですし、そのおかげで、困難さは要らんほどランクアップしていましたから、便宜的に「毒親育ち」という言葉で説明するのがわかりやすいかなとは思っています。
そんな私から見ると、高井さん家のこの距離感は現実味を失いそうなほどすてきで。
何より、このnoteを読んでいると、幼かった頃欲したものがフツーのこととして書かれていて。だからこそ、私の幼い願いは真っ当なものであったのだと昇華されてくような気もして。
そんないろいろが刺激され、ランダムに想起されたからこそ、私は泣きそうになったのだと思います。
だから、と言うのでもないですが、このnoteをたくさんの方に読んで欲しいなと思います。子育てって、もう少し肩の力を抜いても大丈夫なんだよって伝えたい。
「子育ての手伝い」しかしてこなかった私が言うのも烏滸がましいですが。それでも、強く伝えたいなと思える、ほんわりあたたかなnoteでした。
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今日もここまで読んでくださり
ありがとうございます。
今日がいい日でありますように。
んじゃ、また。
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