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『どうする家康』を10倍楽しく見るために

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これからますます盛り上がる大河ドラマ『どうする家康』をもっともっと楽しく見るために、徳川家康や織田信長に関する記事をまとめました。お城の情報や関連書籍のご紹介が満載です。以後も随…
記事はこれからも随時更新していきます。ある程度、記事の数がまとまったところで値上げする予定でいます…
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#名古屋おもてなし武将隊

【写真館442】関ケ原の足跡を

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【写真館392】天守礎石@名古屋城

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【写真館387】スタイルが良すぎる

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【写真館261】はざまから

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【写真館260】備えあれば憂いなし

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【写真館259】黙々と守る

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【写真館249】城の戦略

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【写真館248】バク宙の最中

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【写真館247】元祖、天下御免の傾奇者

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【写真館244】南蛮甲冑

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【信長公探訪記】ふたつの本能寺

天正10年(1582年)6月2日未明、京都本能寺において織田信長公は明智光秀による謀反に遭い、その未来を突然に断ち切られます。本能寺の変です。 7月の終わりに、大河ドラマ『どうする家康』でも1話をかけて描写されました。あの有名な台詞「是非もなし」や敦盛といった定番の劇的要素を入れずに描いたことで、かえって、より印象に残るドラマになっていたのではないでしょうか。 さて。 その現場となった「本能寺」は、現在、京都市中京区寺町通にあります。ですが、これは信長公逝去後、豊臣秀吉

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モノが語る説得力―『城から見た信長』

「織田信長」という人物について知りたいとき、まず見るべきは太田牛一著『信長公記』です。信長の傍らで、彼の事績をつぶさに見て書かれた書物ですから、信用できる度合いでいえば相当に高いでしょう。 ただし、たとえば太田自身の手によって清書されたときに、話が盛られたり、時代の権力者に忖度した記述になったりという部分が『信長公記』にも確かにあります。また、幾つも写本の代を重ねるうちに写し間違いや、あるいは、意図的な書き直しがある可能性も否定できません。 つまり、ことばによって書かれた

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■駆け回ったあの頃を―【信長公の城】①那古野城

信長公は生涯で、5つの城に居住しました。その始まりが「那古野城」です。今では徳川時代の面影を色濃く残す場所となりましたが、それでも、信長公のいた時代に思いを馳せるよすがとなるものもあります。 大河ドラマ『どうする家康』では、そろそろ本能寺の変が見えてきています。が、今回はそんな、信長公の始まりの場所の歴史や今を見ていこうと思います。 ・ ・ ・

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■絶景の果てにある孤独を―安土城探訪記③

さて、安土城探訪記の3回目です。 私あるあるで、2回目の記事を書いてから時間が空いたので、もう書かないかと思いましたが(笑)、何とか書く時間を取れました。 今日こそ天主閣跡まで辿り着きます(笑) この記事は、今月4日に安土城址へ旅したときの記録です。 大河ドラマでは、先週長篠の戦いが終わったので、もうすぐ築城が始まると思います。本能寺の変の2週間後に燃え落ちた安土城の現在、あるいは、そこから見える過去の姿をお届けします。 安土城址に行ったときのことを思い出すと、大河ド

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