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周波数音楽を創作するときの感覚の話し。

私は曲創りを数年やっているけども、一曲が完成した瞬間にいつも同じ感覚に包まれる。それは、「これでいいかなあ」と、、、自分ではぼんやりとした感覚で、「よし!これでOK!バッチリだ!」とはならずに「完成」としていることが多く感じる。ㅤ

で、昨日そんな自分に気づきがあった。最近では、約2週間ごとの新月満月ミュージックレターでの配信曲が主な曲創りになっているが、配信時間に間に合わせるためのある程度の妥協?も必要になってくる。
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恐らく、もともとこの「妥協」ができない職人気質?であるため、こういう意識が込み上がるのだと思うけど、必要な妥協?を学ぶための創作作業なのかなあ。とも、今書きながら感じている。


さて、そんな私の気づきとは、、、創作の時、テーマからイメージを引っ張り出しメロディを綴っていくが、そこで左脳の創ろうとする意識が入ると、たちまち行き詰まってしまう。そしてさらに創ろうとすると、全然違うところからのエネルギーが幅をきかせてくる?伝わりづらいかもしれないが、変にこねくり回したイビツな形?を連想するようなイメージで、時間に引っ張られるとそれが余計に強くなる感じ。ㅤ


そこで、目を閉じ自分の意識を脇に置いて、私の場合、頭の右側の空間というか、スペースみたいなものにアクセスすると、頭の中に鍵盤が現れる。その鍵盤と私の指が連動している感覚で、目を閉じたまま「この辺?」って、頭の鍵盤の大体の位置を探りながら実際の鍵盤に触れ一音を鳴らしてみる。

そうすると、それに反応した私の耳がその続きの音を繋げていく。徐々に私の中の閃き細胞が反応し始めて、と同時に私はコンダクターとして、その全体をまとめ上げていく。

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さて、ここまではいつもの私の創作時に起こることなんだけど、今日の本題は、「これでいいかなあ」という妥協に関してで、実はこの創作方法がいわゆる自分の感覚ではないと感じている?ㅤㅤ

私はもともと左脳派人間のようで、これは自分でも正直意外だったが、脳波測定ではしっかりそれが出ているようだ。その左脳派人間が私以外の別の感覚で曲の創作に関与しているとしたら…ㅤㅤ

左脳派人間はあまりいい気がしないのかもしれない。ああ。これこそが左脳派特有の理屈っぽさだね。書いててつくづく感じるわ(笑)

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私の中の左脳の感覚が、え?これでいいの?もうちょっと色んなパターンも考えてみたら?そんな声が聞こえる。左脳君からすれば、私が妥協することで自分は無視られてる気分なのだろう。

ただ、ミュージックレターで配信する曲のご感想メールや、メッセージで頂く言葉は、「感動した!」「鳥肌が立った!」「涙が出た」など、嬉しい言葉を頂き、曲創りに関していうと、結局この閃き細胞たちの働きにより「結果オーライ!」と、なっているようである。また、実はその言葉を頂き私の中でやっと「完結」に至るというのが正直なところ。
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で、ここで誤解のないように、私の中の左脳君がいじけ虫になっているという話ではなく、結局、高次の存在への信頼から生まれるエネルギーと直結することで、皆が同じスペースを共有できるというのか、、、私たち一人一人が宇宙の一部であるとか、心の安心感につながるとか、、、。ㅤㅤ
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目に見えないエネルギーから生まれる安心のスペース。それが、周波数音楽であるなら、これからもあなたの心のスペースを私の音楽で満たし、安心をお届けできるように、私の中の左脳君と話しをつけときます。(笑)


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ここまで読んで頂きありがとうございます。
長々と失礼しましたm(_ _)mㅤㅤㅤㅤ

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あーとくりえーと
周波数音楽作家&セラピスト
erisu小田

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