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2021.03.29 桜の海を走った

 ここをひらいたのいつぶりだっけ、というのと、あとここへ日記を書いたのは、まるっと一年前なんだな、と日付を見てすこし驚いた。いや、書いていなかったのはもちろん知ってはいたものの、数字として目にするとあらためて突き付けられる。

 先日、積み重なっていたわたしのもやもやが良くない方向にうごき、ながく準備してきた新しい書き仕事が最後の最後で駄目になった。最初にもやもやを感じたときに勇気を出して、先方に疑問点を訊ねて、きちんと教えてもらえばよかった。書いた文章のモチーフをくれた友人にはこのボツをどう伝えよう。などなど2時間ほど病んだものの、書きもの仲間のとある友人とLINEでさんざん喋り(このとある友人とはたまにそういう、爆発したみたいに書きものについてLINEを交わしたり焼肉をしたりする日がある)、ひとまず気持ちが落ち着き、煙草を吸ってそのまま確か夜中の2時過ぎに寝た。

 起きたらまた病んでいるのではないか、と憂慮していたけれど、意外と起床後も落ち着きと妙なすっきり感は持続していた。変なの。と思いつつ、妙にすっきりしているのはきっと、抱えていたもやもやの一部を先方にわずかでも正直に伝えられたのと、とある友人のラブリーな会話のおかげ。

 妙なすっきり感につづき、妙な書きたい欲もうまれていて、さらに妙な感じがしていた。たぶん、ここ一年、わたしは書くことがたのしくなくなっていた。仕事が駄目になったと同時に、ひとつ、何か憑きものが落ちて、それと春がきたからげんきになった。重いもの、寒いもの、心のどこかでほんとうはやりたくなかったこと、たぶんそれらから少しだけ逃げられた。

 とある友人からアイデアをもらって、15枚規定の掌篇を書きはじめた。小説を書くなんていつぶりだかわからない。10ヶ月は書いていなかった。
 自分でも驚くほどのスピードと集中力で、初日の金曜日の晩は10枚ほど書いた。つづきはまたそのうち。

 3月29日のお昼ごはんは、昼職の先輩とカレー屋へ。なんと16年ものあいだ目の前を通り過ぎて入らずにいた店なのだ。とうとう入店した。バターチキンカレーとほうれん草とおいもの入ったトマトカレー、それと巨大な熱々チーズナン4枚。ドリンクはラッシィにした。

 手乗りチワワくらいの重量のあるチーズナン。甘くまろやかでぶじ完食。癖のある味が苦手なわたしにはとてもありがたい食べやすいカレー。満腹で仕事に戻る。

 17時に飛ぶように退勤、自転車をヒュンヒュン漕いで帰宅し、一時間半ほど休んでから(まだチーズナンが残って身体がよたよたしていたので)、ウェアに着替えてまた自転車をヒュンヒュン漕いで大阪城公園へ。桜の盛りのため、先週までとは打って変わった大賑わい。普段はランナーしかいないコースに屋台が立ち、シートがならび、自転車が群れをなし、老若男女の笑顔、笑顔、笑顔、声のざわめき。そのなかをグングン走る。朝吹真理子『流跡』の、花見のシーンを思い出すようなひといきれ。あのシーンが大好きだと何度でも思う。
 コースのラストは頭上ぜんぶが永遠のように桜色の海。どこまでいっても満開の海のなか無心で走りつづけてたら吸い込まれるかと思った。

 10km走る予定が、人出のため惜しくも7.3kmほどで撤退。距離は短かったけれど、走るのはやはり気持ちいい。寝るのと同じくらいの疲労回復になる。

 21時頃に帰宅。土砂降り雨で溜めていた、おとといからやりたかった洗濯を済ませる。家事のなかでは洗濯(干すのと取り込み)がいちばん苦手。

 23時頃からふと思いついてこの日記をつらつらと書きはじめた。短い備忘録にしようと思っていたのに、かなり長く書いてしまった。お腹にはチーズナンがまだ残っていたはずなのに、日付が変わるあたりで突然ストンと空腹になり、お湯を沸かして梅干しを2個の贅沢で、お湯漬けごはん。レンチンごはんは最後の一個だった。梅干しはものごころつく頃からの好物だったらしい。

 日付が変わって誕生日。
 お、誕生日になったな。と、思いつつ、食べ終えたお椀や箸をひとまとめにして立ち上がり、就寝。

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