また春に
就業中、掃き出しの窓から外へと出てみた。
蒸し暑い日が続き、連日夕方にはゲリラ豪雨が来ていた。
もしかすると今日もいきなり降りだすのかもしれない。干したシーツはそれまでに乾くだろうか。その前に降られても困る。
私は青く晴れた空を見上げた。
今の所、雨が降るような気配は全くない。
ここ最近の天気は難しいから、私は空を疑いがちだった。とは言っても、午前中にはゲリラ豪雨は来ないだろうと予想した。
この強い日差しなら、昼までにはシーツは乾くだろう。それから取り込んでも大丈夫そうに思えた。
ふと視線を感じて足元を見ると、だらしなく茎を伸ばしたタンポポと、ハゲかけた綿毛が何本か生えていた。
一株に三本程生えたその株は、背丈が伸びに伸びて、しおれかかり暑そうだった。
厳しい日差しに今にも干からびてしまいそうな雰囲気でそこにいる。
『まだそこにいたの。あなたもなかなかにシブトイのね……』
アスファルトの隙間から生えたタンポポは、何かを訴えるかのように私を見上げている。
『……おねがい。お水をちょうだい』
私は冷めた目で彼らを見下ろした。
葉っぱの部分は幾重にも広がっていてとてもだらしが無い。
アスファルトとコンクリートの隙間から根性で生えたタンポポは、7月の厳しい気温にもかろうじて根性で咲き続けているようだった。
手入れのなっていない雑草の花が、伸びすぎた茎に黄色い可憐な花をつけようが、ほわほわとした可愛らしい白い綿毛に変化させようとも、その時の私には目を惹くような美しさは感じられなかった。
『……お水をちょうだいな』
もしもこの雑草の花の株に妖精が宿っているとしたなら、今は痩せこけ背を縮ませた老人の姿をしていそうだ。
背中にある羽もパリパリに乾燥し、羽ばたきたくとも難しい。
半年前に彼らを見た時は、厳しい寒さの中でも活気があり、肌ツヤの良い妖精を連想させたのに。よほど今年の夏はタンポポにとっても辛い気候なのかもしれない。
『お水……、お水をちょうだいな……』
彼らに視線を向ける度、そう切実に訴えられているように思えた。
『雑草の花に水をあげるだなんて人が笑うわ。 甘ったれるんじゃないわよ!』
私は干からびそうなたんぽぽに冷たい言葉を浴びせた。
わざわざコンクリートの隙間を狙って、もしくはアスファルトを突き破って生えてきた貴方たちは、この程度の暑さにくたばるなんてありえないでしょ?
……そう思いたかったのだ。
去年の暑い夏も、寒い冬も、私の心に何かしら傷跡を残してきた雑草の花、タンポポ。
私は彼らは強いんだって、思いたかったのかもしれない。
踏まれても無視されても綺麗だと感動されなくとも、自分がここに咲きたいから咲く。そんな彼らに感動したり。
時には厳しい冬でも綿毛を飛ばしてハゲ頭になり、何度も何度も種を増やそうと繰り返す彼らを恐ろしく思ったり。
彼らに対する恐れと感動は、少なからず私の中に、彼らに対する尊敬の念があるからなのかもしれない。でなかったら私のような人間が、いちいちコンクリートの隙間から生える雑草の花について、こんなにも真剣に考えることは無いはずだ。
夕方にはゲリラ豪雨が来た。
シーツはお日様の匂いがするほどに気持ちよく乾いていたし、雨が降って良かったと心から思った。
8月になった。
タンポポのことなんてすっかりと忘れていた私は、突然のにわか雨に洗濯物を取り込む際、何気にタンポポのあった場所に視線をやった。
彼らは株ごと無くなっていた。
いつの間に無くなったのか。
毎日ここへと来るのに、私は今さら無いことに気づいたのだ。
本格的な夏の暑さにやられたとしても、葉ぐらいは残っていても不思議じゃない。
アスファルトとコンクリートの隙間には、彼らがいたという証すら残さず綺麗になっていたのだ。
後から用務員さんに聞くと、
「雑草は全部刈り取ったよ」
と、良い行いをしたかのように誇らしげに教えてくれた。
施設の敷地内、全ての雑草とたんぽぽは綺麗に無くなり、スッキリとなっていた。
私は考えさせられた。
そこに生えている花が、もしも胡蝶蘭やカサブランカや薔薇だとしても、用務員さんは同じように刈り取っていたのだろうか。そして私もどうだったのだろう。
用務員のおじさん達は少しも悪くは無い。おじさん達は、みっともない雑草と思える植物を刈り取っただけの事。全うに仕事をしただけの話だ。
『ねえ、あなたたち、根こそぎ持ってかれたの……?』
洗濯物を干しながら、有ったはずの彼らを見下ろした。
ここで花を咲かせていたなんて、私の記憶が間違いだったのかと思わせるスッキリとしたその場所に、物足りなさを覚えた。
時は流れて季節は変わる。
この先も移りゆく季節に期待して、
『また春に』
地中の雑草の花の根に送った。