王手って必要らしい
私は老人施設で働いている。
ユニットには日頃将棋を楽しまれている入居者様が3人いるが、入居者のMさんが最近めっきりと将棋をしなくなってしまった。
なぜかと聞くと、「……オレ、弱いから」と言う。
なるほど…と思った。
確かに毎回毎回負け試合ばかりじゃ楽しむどころかストレスが溜まってしまうだろう。
そこで私はいい作戦を思いついた。
私が将棋を覚えてMさんと対戦したらどうだろうか…と。
初心者の私はすごく弱いから、きっとMさんは私に勝てるはず。気持ち良くなったMさんの将棋習慣は復活するという寸法だ。
早速私は将棋の駒の動き方を勉強した。
先生はSwitchのゲームソフトだ。
それなりにルールを知った私は、早速Mさんと将棋の対戦をしてみた。
ところがどうしたことだろう。負けを覚悟で始めたつもりが、意外に私も熱くなり、勝ちたい!! という欲求が抑えられなくなってしまったのだ。
試合は長丁場となった。
だんだんと集中力が無くなってきた私は、さっさとこの試合を終わらせてしまおうと、角行さんを遠くから仕掛けておいた。
そして私は初将棋で勝ってしまったのだ。
「よっしゃ勝ったー!!」
と喜ぶ私にMさんは、
「……王手って言わないと」
控えめにそう言うと、苦笑いをした。
「なにそれ、王手って言わなきゃならないんですか? 」と、私は驚いてしまった。
「王手は言わなならんよ~」
「でも王手なんて言ったらバレちゃうし……」
オトナ気なくMさんは「王手」の掛け声を大切にするタイプのようだった。
だけど王将を取ったのは紛れもなくこの私。角行さんがいい仕事をしてくれたのだ。
私たちの会話を聞いていた同僚が、
「王手言わんのはダメだよ。反則負けだな」
と、笑いながらMさんの肩を持ち出したのだ。
なんだよなんだよ。王手!って叫ぶのは将棋界の掟なのか? それ、ホントに公式の掟なのか?
私は納得が行かなかった。
だってそうでしょ?
相手方に『仕掛けられてますよ』なんて親切に教えてあげるだなんて、アホの所業にしか思えない。
それに相手方に失礼なんじゃないのかな?
「王手!」なんてドヤ顔で言おうものなら、
「知ってるわ!」って、プライドを傷つけたりしないのかな?
私、そんなに相手方を見くびってはいけないと思うんだ。
王手なんて言わずとも、そんなのは知ってるものとして進めていくのが相手をリスペクトしている証。
それが私の抱く将棋の美学なんだけど……。って、頑張って説明してみたけれど、違うみたい。
王手を言わないのは卑怯者なんだって……。
でも、どうしても負けたくなかったから、
「私、王手って言うこと知らなかったので、今日は引き分けってことにしましょう? ……ね?」
と言い、反則負けは免れた。
次の試合では「王手!」と正々堂々と叫び、気持ち良く勝ちに行きたいと企んでいる。
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