えりりん

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最近の記事

私の子育て間違ってないかも?長男編

前回の記事では 次男編をご紹介しました。 そして、今日は長男編。 わが家の長男は11歳。 最近、ついにあの言葉を言われたんですよ。 そう!! 「くそばばぁ!!」爆 この言葉言われたら 多くのママは カッチ―ンと頭にくるか 小さい頃はあんなに可愛かったのに~と、 ショックを受ける方も 多いのではないでしょうか。 私の場合は、 思わず笑ってしまったんです。 なぜって? それは、以前 尊敬する産婦人科の医師に 「くそばばぁって言われたら子育て大成功

    • 私の子育て間違ったかも?からの大逆転...次男編

      こんにちは♡ 産まれてきてくれてありがとう・産んでくれてありがとうの愛に包まれた安心で豊かな社会へ♡ 揺るがない親子の絆を結ぶ専門家♡ SORAマスターヒプノセラピストです。 私には8歳になる次男がいるのですが、 本当に私の話をきかないんです。 何かに集中している時はもちろん それ以外にも基本 言うことを聞きません。 ちょろちょろしているし ケガも多いし 10針縫うケガもしたことが ありました。 長男の時には感じなかった THE やんちゃはちゃめちゃ

      • 大好きな家族に言われると一番辛い言葉

        快晴の昼下がり。 体調のすぐれない母が眠る実家に足を運ぶ。 ハンドマッサージや動きの悪い足にオイルをつけて タッチケアをした。 感情表出の苦手な母が気持ちを表出できるよう 言葉がけをする。 頭痛と闘い 母が闘っている 黒くてギザギザのその物体 それは、 「死んでしまえ」 「役立たず」 と母を責め立てているよう。 そんな、黒いギザギザの物体を ピンクの光で包み込みその熱で溶かしていく そんなセラピーをした でも、スムーズにそんなイメージなど できないのがうつ病 死にた

        • 母のうつを受け入れるということ

          潜在意識の仕組みがわかり、母のうつが治ることを 信じれるようになりながらも、 「やはり30年も抱えてきた病を完治させることは 難しのか」 そう、ふとした時に現実へと引き戻される思考。 / 一番身近にいる家族は鏡のように 互いに潜在意識が反映されやすい。 だから、せめて私だけはぶれずに 母の完治を信じられる私でいたい。 私が信じなくては現実は変わらない。 \ そんな思いから、インナーチャイルドセッションを受けることに。 小学生の私は、母にひどいことを言った罪悪感が2つ残って

        私の子育て間違ってないかも?長男編

          信じてはまた引き戻されつつある現実

          ヒプノセラピーを学び母のうつが治ると信じられるようになった。 これは、私にとって本当にすごく大きなこと。 看護師としての知識や、心理カウンセラー・うつ病アドバイザーとなり 人々のカウンセリングをしていく中で、うつ病の早期発見・早期治療の大切さを心底感じてきた。 そして、闘病生活が長くなるに連れて完治しずらくなるということも。 母の病気の発症は私が小学2年生の時。 そんな知識はもっていなく 母の心配をすることしかできなかった。 母になにかしてあげたくても、せいぜい家事を手伝

          信じてはまた引き戻されつつある現実

          天職だと感じた瞬間

          私は乙女座なのですが「心配から人をケアをする性質」があると数日前に占星術で教えていただきすごく納得がいきました。困っている人をみたら助けたくなるし、本職の看護師やヒプノセラピーで誰かを癒すこともすごくやりがいがあります。 ただ、その役割を母がうつ病という形で与えてくれたことに結びつき、少ししんどい思いでいました。 数日前に見つけた過去の記憶。 それは、私が学童期の頃、うつの母のことを祖父や祖母、小姑たちが責めていたのですが、それは私の潜在意識だったということ。母を孤独に

          天職だと感じた瞬間

          超絶ドブスインナーチャイルドに出会う

          先日の衝撃的な気づき。 それは、私は大好きな優しいおじいちゃんを使って、母を叱らせていたことでした。 月に1度は遊びに来ていた祖父でしたが、家にくるなり母の寝室にいき「また、寝てるんか。しっかりしなきゃだめだぞ。」って声をかけていたのです。 又、父方の祖父母や小姑たちもまた、母を敵視したように「母さん弱くてダメだね」と私や姉、兄によく言っていました。それがすごく嫌でしたが、実は元気じゃない母のことが不満で寂しくてかまってほしい自分の潜在意識だったかもしれない…とふと思っ

          超絶ドブスインナーチャイルドに出会う

          母が変わりつつある

          数日前自宅を訪ねると、体調がとても悪そうだった母。 そろそろ再入院かな。私はそんな思いでここ数日を過ごしていた。 そんな中、朝の通勤時に車を運転しながら心の中で叫んだ。 「お母さん、もうそれ以上苦しまないで。 その辛さを1日でも変わってあげたいな。 もう充分がんばったよ。 いい加減に幸せになっていいんでいいんだよ。 生きているうち生まれてきて良かったと思えたらいいな。」 そんな強い叫びの声が心の中で鳴り響き、 気が付くと目に涙が溢れていた。 うつ病のお母さん本人だけではなく

          母が変わりつつある

          【私の潜在意識を変えて起こった奇跡の一歩✨✨】

          母が退院してから20日が経った頃、 用事があり実家に顔を出した。 玄関を開けるとすぐに、 「まだお昼ご飯たべてないでしょう? 食べていきな」 そんな、言葉をかけてくれた母。 私は一瞬、幼な心に戻った。 10日程前の母の日に実家を訪れた時に、 およそ6年ぶりに母の味噌汁を ごちそうになった。 最近の様子をきくと、 毎朝起きて、洗濯、散歩、朝食づくりを20日間 続けてきたという。 それも、4時半に起きて。 これには脱帽した。 その日、作ってくれたのはざるラーメン。 すっかり

          【私の潜在意識を変えて起こった奇跡の一歩✨✨】

          【一杯の味噌汁】

          母の日のプレゼントを持って実家を訪れた日。 ふと、ダイニングテーブルに目をやると寝坊した父のために 作った朝食が並べられていた。 その料理を見て、父の手料理と思っていたら・・・ 母が作ったと聞きとても驚いた。 母がこんなに色とりどりの朝食を作れたなんて 何年ぶりだろう うつになってから洗濯こそ続けてこられたけど 料理を作ることはなかなかできなかった母が 何種類もの料理を父のために作ったのだ。 それは朝4時半に起きて。 「お父さんのマネして作っただけだよ」

          【一杯の味噌汁】

          【遅れての母の日】

          今日、5月29日はフランスの母の日。 先日の母の日は、母はまだ入院中だったので、 今日遅れて母の日のプレゼントを渡しにいった。 プレゼントに渡したのは 淡い黄色とピンクの混ざった可愛いカーネーションと オレンジシフォンケーキ そのどちらも喜んでくれた母 何より、私に会いたかったと ニコニコの笑顔で迎えてくれたことが 嬉しかった 久しぶりに見た母の笑顔 この笑顔がずっと続くといいな 今日もまた 母のうつは必ず治る そう信じている

          【遅れての母の日】

          母を信じる気持ち

          母が退院してから1週間が経つけど、まだ顔を見に行っていない。 いつもなら、退院して3日以内には顔をみにいく私が、今回は行かないのが母のためであり、信じて待つことも愛情なんじゃないかと思っている。なんだか、子育てと同じだな。 これまでの私は、看護師の仕事と子育ての合間に時間を見つけて 母のために何かできたらと せっせか足を運び、ハンドマッサージをしながら 母の心の荷下ろしをしていた。 ここ数年は、だいたい2か月家にいて、体調が悪くなり、 2か月入院しての繰り返しだった。

          母を信じる気持ち

          ヒプノセラピストになるまでのストーリー☆彡

          はじめまして☆北海道在住のえりりんです。 看護師×タッチケアセラピスト×ヒプノセラピストをしています。 2児のママでもある私ですが、ヒプノセラピストになる決意をしたのは、 およそ1年前のこと。 なぜ、ヒプノセラピストになったのか・・・ それは・・・ / 30年来の母のうつを治すため \ 母がうつ病を発症したのは私が小学校2年生の頃なのですが、 それから母は、30年もその病と闘い続けています。 表面的には見えにくいこの心の病は 母自身だけではなく、家族みんなにも 我

          ヒプノセラピストになるまでのストーリー☆彡