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軍人墓地と大伯父の墓石

私の地元には「軍人墓地」と呼ばれている場所があり、戦役や軍事作戦で亡くなったこの町出身者の英霊が祀られている。
大伯父のお墓は、檀家となっている寺院墓地に一基、そしてこの軍人墓地(同じ町内)にも一基ある。
そのため、子供の頃、親戚総出でお墓参りをする際には、寺院墓地へ行き、軍人墓地へ行くという流れだった。

「大伯父にはお墓が2つある」

このことは、子供の頃からとても不思議だった。大伯父について知りたいと思うきっかけはこれだったのだと思う。

◇軍人墓地の墓石

軍人墓地。正面奥には「忠魂碑」と刻まれた慰霊碑がある。

軍人墓地への参道

砂利深い参道や手押し井戸ポンプは
幼少期の遊び場だった

軍人墓地にある大伯父の墓石

墓碑は以下のとおり
墓石正面:「故陸軍大尉 馬場利夫之墓」
右側面:「昭和十九年四月七日 於 ビルマ戦死 行年二十五年才」

軍人墓地は自宅から近いので、子供の頃は参道へ良く遊びに行っていたが、
「墓石が並ぶエリアでは遊んではいけない」と大人達に言われていたので、亡くなった方々を起こさないよう、そおっと墓石を観察して回っていたのを思い出す。

◇寺院墓地の墓石

家のお墓の隣に建っている

墓石正面には「忠謇院敢譽利生居士」
右側面には「昭和捨九年四月七日 印度國境ニテ戦死ス
故 陸軍大尉 馬場利夫 当二十七?才」
左側面には 曽祖父が建立したことが刻まれている

◇二基お墓がある理由

軍人墓地と寺院墓地それぞれにお墓があるのは、墓地の管理者が違うためだ。
  ◯軍人墓地:町の遺族会
  ◯寺院墓地:菩提寺(檀家制度による)
戦後、多くの遺族は遺族会に所属し、遺族の費用で軍人墓地にお墓を建て、一方で家族として供養するためのお墓を寺院墓地に建てた。私の家も、大伯父の父(私の曽祖父)がそのようにしたということになる。

◇取材があり軍人墓地へお参り

12月13日、この軍人墓地で京都新聞社さんの取材をしていただくため、大伯父の墓石へお参りした。

白菊と、大姪からの親しみを込めてピンクのトルコ桔梗を

墓石、かなり墓碑が読みにくくなってきているので、一度本格的に汚れを落として綺麗にお掃除しよう。

◇先祖の戦争経験を伝える二基のお墓

大伯父についての話は、家族からほとんど聞くことはできなかったけれど、田舎ということもあってか、曽祖父がお墓を2基建ててくれていたので、私が大伯父へ興味を持ち、こうして自分で調べるまでになった。
お墓や石碑などの碑は、太古から、事象や人物への敬意や情報、メッセージを後世に伝えるための役割を持っていた。
曽祖父の世代から護られてきたお墓は、私にとっては確実にその役割を果たしてくれた。そのため私は、お墓が形のある間は、誰でも墓碑を読めるようにお掃除を続けようと思っている。そして、情報を伝える方法が多様化した現在、大伯父のこうした情報を次の世代に「確実に渡していく」新しい方法も考えたいと思っている。

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