【番外】祖父の軍籍簿(旧海軍)
大伯父 馬場利夫には弟が4人いて、そのうち長弟と次弟も戦争に行っている(共に帰還)。
その長弟が私の祖父である。祖父は私が小学生の頃に亡くなっており、戦争について聞くことはまったくできなかった。両親や親戚から聞いたことがあるのは、旧海軍で広島の呉で設計などの仕事をしていたというようなことだった。
どんな軍人生活をしていたのか詳しく知りたくて、祖父の軍籍簿も取り寄せてみることにした。
◇旧海軍の軍籍簿は厚生労働省へ
旧海軍の軍籍簿は厚生労働省が管理をしているため、申請方法が大伯父(旧海軍)の時と異なる。
□旧陸海軍から引き継がれた資料の写し等の申請について
(厚生労働省公式サイトより)
上記サイトを参考に、下記を送付した。
◯「旧軍人軍属の個人情報開示請求書」
(書式は上記サイトよりダウンロード)
◯申請者の身元確認証のコピー(運転免許証)
◯戸籍謄本(私と大伯父の遺族関係が確認できるもの)
◯申請者の住民票の写し
◇軍籍簿の内容
近年、厚生労働省への申請急増で、資料が手元に届くまで2、3ヶ月かかるといわれていたが、実際に私も10月初めに申請したが、届いたのは年末だった。
送付資料1:奉職履歴
17年9月 桐生高等工業学校機械科卒業
※21歳
17.9.30 海軍造兵見習尉官を命ず(二年現役)
海軍省
17.9.30 青島方面特別根拠地隊附を命ず
海軍省
17.11.1 昭和十七年勅令第六??號海軍武官官階改正
に依り海軍技術見習尉官となる
18.1.15 呉鎮守府附を命ず
海軍省
〃 第十一海軍航空廠(しょう)長の命を承け
服務すべし
司令長官
1.15 發動機部長の命を承け服務すべし
十一空廠
3.12 熱性症に依り二十一日間 廣(ひろ)海軍
共済会病院に引入療養
4.2 尚二十一日間
4.17 軽快出勤
18.6.1 任海軍技術少尉
内閣
〃 補第十一海軍航空廠發動機部副部員
海軍省
18.8.31 結核性腹膜炎に依り廣海軍共済会病院に
引入療養
18.9.21 尚二十一日間
18.10.12 尚二十一日間
18.10.19 軽快出勤
18. 9.15 敍正八位
宮内省
19.5.1 任海軍技術中尉
内閣
19.6.15 敍従七位 [叙位確認済]
宮内省
19.9.1 補南西方面海軍航空廠副部員
海軍省
19.9.26 海軍将校相当官現役期間特例第五條
竝(ならび)に海軍武官服役令
第三條第一項第?號に依り当分の間服役
期間を延長す
19.11.15 横須賀鎮守府附 被仰付(おおせつけられ)
海軍省
20.1.15 海軍航空技術廠長の命を承け服務すべし
司令長官
20.6.1 任海軍技術大尉
内閣
20.6.20 補第一海軍技術廠噴進部部員兼發動機部部員
海軍省
20.9.6 敍正七位 [叙位確認済]
内閣省
20.9.1 豫備役被仰付
海軍省
21.6.15 昭和二十一年勅令第三二二號海軍将校分限令廢止
送付資料2:功績調査票
祖父、群馬の大学を卒業後、青島→呉→横須賀と配属先を変わりながら、最終的には技術大尉となっていた。途中何度も病気で療養していた記録を見ると、身体が丈夫な方ではなかったのか、晩年癌に苦しんだ祖父が偲ばれる。