晴れなくても写真を撮っていたい
今年の夏は本当に晴れの日が少なくて、あっという間に夏が終わっちゃいましたね。今年は写真展の準備や自分のコミュニティを開いたおかげで、いつもより写真を撮る気満々だったのですが、なかなかお天気が味方してくれず、延期したり中止したことが幾度とありました。特に私のコミュニティ「三浦えりのアトリエ」の撮影会では天気が悪い日が続いちゃって、大変申し訳ない気持ちでいっぱいでした。毎回、「雨女ですいません…」って言ってます。
その中でも奇跡的に晴れた日や、雨マークが付いていて、アメッシュにも雨雲があるのに、雨が止んでくれて撮れた写真もあったりします。
それでも、ほんの数日で先週の大きな台風のときは自分の体調まで悪くなってしまって、そもそも撮影するのもしんどくなってしまってました。
今日も曇り予報だったのに、駅から出たら雨がパラついていて、打ち合わせのお相手と「雨なんて予報じゃなかったから傘持ってきてなかったよ〜」なんて愚痴をこぼしながらカフェに急いで入りました。
打ち合わせが終わって、相変わらずの曇り空で、晴れるんだか曇りなのか分からない不安定な天気を今年の夏はずっと見たなぁなんて感じながら、作業のためにいつもの図書館に向かっていました。
そこでふと思ったのが、もしそういう天気が不安定な世界が私の生活の中で当たり前のことだったら、自分は写真を撮っているのかな?ってことでした。
よく、「光が綺麗」とか「自然光で撮った写真が素敵」と褒められることが多くて、それはそれで嬉しいし励みになるし、自分の得意なことであり、撮影の特徴でもあるけど、それって世界の様子が変わったら写真を撮ることができなくなってしまうのかな?私。ってふと、思ったりしました。カメラを手放しちゃうのかなって。
実際になってみないと分からないことだけど、最近はなにかモノ(被写体)を撮ることより、コト(場面)を撮ることの方が好きで、ポートレートといってもその辺りを意識して撮ろうと挑戦してます。
そういう風に考えながら撮るようになってきたころから、あんまり天気のことは気にしないようになってきて、雨なら雨で曇りなら曇りで写真を撮りたいし、そことは関係ない「何か」を撮っていく人生でありたいし、雨続きのその世界のできごとやその世界で生きている人たちを撮りたいなぁって、今日の晴れるのだか雨が降るのだか良く分からない空を見ながら考えてました。まだ、その「何か」が分からない未熟者なので、その「何か」を明確に意思を持って、自分の目で見てシャッターを切れるときがくるのでしょうか。
だから、たぶん今はどんな天気だって写真を撮り続けるだろうし、そんな風に意識を引っ張っていってくれる「写真の神様」や周りの感謝すべき人たちのお陰でもあるんだろうなって思ったりします。
もしくは必死になって光があるところを探し回っているのかな。
そんなことを考えていたら、また「天気の子」を見たくなってきました。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。写真展が続けられるようにサポートしていただけるとありがたいです…!