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とろ日記(1月17日)


 
 今日は胃の調子が大丈夫そうだ。りんごも美味しく味わえている。病院行かなくても良さそう。やったー。
ふと、5、6年前の胃痛のことを考えた。やっぱり病院行っておこう。これが引き金になって前みたいになるのは嫌だし、今年の目標は健康第一だし。


医師からの確認事項で、便が出ているかの質問があった。「バナナのようなものが出ていますか?」と聞かれ、一瞬なんて言おうか悩んだ。
「はい」とも「いいえ」とも答えたくない問だ。でもまあ、バナナみたいなってのが、いちばん分かりやすい例えだとも思っている。なんていうか絶妙。



 今日もガラケーにもどしたくなっている。去年もそう思っていたから、気持ちは変わらないらしい。


 SNSでは芸能人の熱愛やテレビ局の会見が話題になっていた。気になる。気になるが、それに時間を費やしたとしても、わたしの場合「はい!変わります!」と今ここから人生が変化するわけではない。

分かっているんだけどなぁ。

……本を読もう。noteを書こう。そう思って、書きたいと思っているエピソードを確認することにした。「はははの話(わたしが祖母と母と暮らしていたときの話)」のことだ。
書きたい書かなきゃと言いつつ、全然進んでいない。焦る。
2019年の○月はわたしがこうだった、2020年の○月は祖母がこうだった。
時系列を見直していくと、あやふやで覚えていないことばかりだ。さらに焦る。今書いても、事実とは違うものになっている可能性も出てきた。でも、今書いておかないと。さらに事実と記憶との距離があいて、別物になってしまうだろう。今、書かないと。


母に確認したいことがあって電話をした。
母も、祖母との生活の時系列があやふやになってきている。2人で話していても、まことがどれだったかあやしい。でも、あのとき感じて今も残っている気持ちは本当のはずだ。ああ、早く書かないと。



「祖母がこうでこうで〜」と話していると、母が急に「あれっ!」と驚いた声を出した。
「どうしたの?」
「あれっ、今日って17日じゃない?」
「そうだよ」
「祖母の命日じゃない!?」


あ。

さっきから電話で1月17日に亡くなって〜、と話題にし、わたしも「1月17日亡くなる」というメモを見ながら話していたのに。今日が1月17日で、祖母が亡くなった日だという事柄が、うまく結びついていなかった。

「〇〇は震災の日に亡くなったんだね」
「そうだね」


祖母が亡くなったときは必死で怒涛で、震災があった日だと頭に入ってこなかった気がする。


今さら祖母が亡くなったのが震災の日だったということに気づいたことで、わたしは周りの情報も入ってくるようになれたんだ。時間は経っているんだ、とようやく自覚した気がした。



内陸部だったけれど、わたしも東日本大震災を経験した。いつか、あの日のことを書きたいと思う。



悲しいことも、辛いことも起きてほしくない。
みんな幸せになってほしい。
なのに、それがいちばん難しいなんて。
大人になって、よく思う。



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えりぱんなつこ
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