わたしの再確認
映画『合葬』を観て3日経つが、時折頭をよぎる。
瀬戸康史が湯呑みを覗いているシーンや、柳楽優弥と門脇麦の夜のシーン。横たわっている岡山天音など。彰義隊という言葉も浮かんでくる。
わたしは詳しくないが、新選組とか白虎隊とか、一時代の限られた時間に活躍していた武士や若者たちに心囚われがちである。(大奥とかも興味がある)
死を覚悟して戦い、散っていった人々がいたことを思うと、こう、心臓がギュッと掴まれるような感覚がする。
映画を見てから、原作の漫画も読んだ。
『合葬』を思い出すたびに「映画より漫画の評判がいいみたいだけれど…。わたしは映画も良かったなぁ、好きだなぁ」という自分の気持ちを、くっきりと確認できた。
周りの評価も気になるけれど、自分の好き嫌いは大事にしたほうがいいよなぁって。
今日も相変わらず二度寝をし、夢をみた。
わたしが『合葬』の感想記録として書いた「レビューが悪くとも、わたしは好き」という記事に対して「気持ち悪い」とか「なんでそんなこと言うんだ」みたいな否定のコメントが13こついている内容だった。13という数字も、うまいこと不吉さを表している。
書くのってこわい。
夢の中のわたしは心臓をどきどきさせ、書くことのこわさをやっと実感しているところだった。
起きてからも、少しの間思っていた。
書くのって、こわいかも。
というのも、寝る直前に見ていたものに影響を受けたのだと思う。
noteで開催されたコンテスト(わたしは未参加なので部外者ではあるが)に関する記事をたまたま読み、ふーむと考えさせられたからだ。
映画を観てからわたしが思ったのは、当然、人によって考え方が違うから、観たもの・書いてあるものを受け入れられない場合もあるだろうってこと。でも別に、それはそれで普通だし、いいんじゃないかってことだ。
有名な監督の映画が合わない人もいるし、有名な小説家の書いたものが苦手な人もいる。何が正しくて間違っているとかはないはず。人によって好みが違うだけ。自分がいいと思ったものは「良い!」でオッケーだと思う。
わたしはわたしで再確認した。
書く習慣をつけるためにnoteで書く。
読まれることよりも、まずは書きたいことを書く。
数学には答えが1つしかないけれど、文学の正解はないはずだ。受け取り方も好みも人それぞれ。
自分が好きだと思うものが正解だし、自分が正解だと思ったことを、正解にしていければ万々歳。