岩の原ワイン創業130周年記念トークセッションレポート(第1部)
先週末の7月10日、岩の原葡萄園130周年記念セッションが新宿京王プラザホテルで行われた。私は第2部の企画進行に関わらせてもらったのだけど、未だに自分の中に残る余韻がとても熱く長いので、久しぶりに書き留めておこうと思う。
岩の原葡萄園は1890年に新潟県上越市の地で、川上善兵衛が創設したワイナリー。当時は、ワイン? なにそれ? という時代。そんな簡単に周りの賛同を得られるような状況ではなかったから、善兵衛の苦難は長く続く。
若かりし善兵衛にワインを教え、ワインへの思いを募らせるきっかけを作ったのは、勝海舟。そして、その後取り組むも、ワインは売れず貧窮に直面したときに助けたのが、サントリー創業者鳥井信治郎。
今回のメイン企画であるトークセッション第一部は、善兵衛、海舟、信治郎の末裔のみなさんのトーク。その御三方が語る3人は、今も生き続けているかの如く語られ、蘇ったかのような錯覚を覚えた。是非一人でも多くの方に見てほしい。
年齢は随分と離れていた3人だけれど(勝海舟1823年生まれ、善兵衛1868年生まれ、鳥井信治郎1879年生まれ)末裔のお三方はこうおっしゃっていた。
「当時の感覚として、きっと、一緒に夢を見ていた仲間。年齢は関係なく、対等だったんだと思います」
どっちが位が上とか、どっちが年上とか、どっちがお金持ってるとか、そんなことはどうでもよかったのだと思う。
海舟も信治郎も、きっと2人とも「困ってるから助けてあげた」という感覚ではなく、「善兵衛の描く夢を一緒に見たいから、応援した」のだろうな。
それにしても、善兵衛は不器用だった。一生懸命だけど、困窮するまで財産を使い果たしたり、家族との関係性を見ても、なんだかうまくない。八方塞がりの状況を繰り返していた。
でも、善兵衛はへこたれずくじけずやり続け、でもどんどん負債は大きくなっていった。その時、善兵衛は66歳。もうギリギリの状況の中で鳥井信治郎という救世主が現れる。
孫に当たる鳥井信吾氏はこうおっしゃった。
「信治郎にとっては、負債ではなかったのだと思います。当時信治郎はワインやウイスキーの未来にかけていた。同じ夢と情熱を持つ仲間と感じたのでしょう。それに現在、金銭的にゼロやマイナスであっても、ビジネスを大きくしていける可能性が見いだされれば、それは負債ではない。よきワインは、よいぶどうから。未来への投資。そう考えたのだと思います」
信治郎が大事にしていた、陰徳を積むこと。見返りを求めない。利益のためではなく、世の中に変化を起こすために行う。まさに、信治郎と善兵衛の取組もそれに等しい、と感じた。そして二人にとっては、同じ共通の夢と情熱を持つ仲間の存在自体が一番の原動力だったのだと思う。
海舟の玄孫である高山さんが最後に仰ってたことが印象的だった。
「今は本当に大変な時代だけど、子供たちに、善兵衛のやってきたことを今こそ伝えて、希望を失っちゃダメだよって伝えたい。一生懸命やっていると、誰かが見ていてくれる。善兵衛さんみたいに一生懸命やったら、いつか大きな花が咲く。だから、頑張っていこう! ってね。」
このメッセージ。子供たちだけじゃなく、私の心にも深く深く響いた。
善兵衛がつくってくれたマスカット・ベーリーA。このぶどうとそのワインを通じて、人は世代を超え、時代を超えて、つながっている。
私も飲み手として、伝え手の一人として、このバトンを未来につないでいきたい。
第2部のレポートはこちら。