「雑誌ARENA HOMMEジウビン(ウンソンズ)インタビューレビュー①ソンハンビンのアイデンティティとアーティシズム/②ジウビン二人の人間的相性と共通点
「雑誌ARENA HOMMEジウビン(ウンソンズ)インタビューレビュー
ソンハンビンのアイデンティティとアーティシズム/ジウビン(ウンソンズ)人間的相性と共通点
韓国の雑誌「ARENA HOMME」のインタビューを読んで抱いた印象や所感について。
ご興味持たれた方はぜひインタビューを読んでみてくださいね〜
●ソンハンビンのアイデンティティとアーティシズム
キムジウンのように過去の活動をすべて重ねて糧にしてきたような、キムギュビンやハンユジン、キムテレのように才能と努力と適性の方向性が一貫・一致しているような、リッキーのように強い矜持と美学のもと信念そのままに形作るような、ジャンハオやソクマシュー、パクゴヌクのように感性が素直にパフォーマンスに直結しているような、それらのアーティシズムとは、ソンハンビンのそれは、明確に違うような気がしている。
私にとってソンハンビンという人間・アイドル・アーティスト・パフォーマーは、培ってきたそのアーティシズムに誇りを持っていながらも、それらの一部しかパフォーマンスに還元できず、迷いと戸惑いを抱えながら試行錯誤してきた、そして未だ掴みきれていない、というように見えている。
その理由はふたつ。ひとつは、ボイプラでセンターを務めたシグネチャーソングでも、課題曲のひとつであったトムボーイでも、表情を(恐らくマスターやスタッフに)「直されて」いた、ということ。練習時点では、彼が過去にしてきた表現に近い表情をしているのに、本番ではそれが全く出ておらず、よく言えばアイドルっぽい、悪く言えば無難な「表情管理」になっていた。
ふたつめは、その無難さがデビュー後も続いているということ。過去の彼のダンス表現を表すならば「縦横無尽で破天荒、強弱も清濁も合わせ持ったDiVA」と私は書きたい。その柔軟さを武器にヒップホップの無骨さまでも手にし、マスキュリニティとフェミニティを自在に操り、どんな物語も演じられる。きっと本気でパフォーマンスをすれば、「表情管理」の巧みさで話題になったビリーのツキちゃんや、ジェンダーフルイド的な演出とその美しさで本人も感嘆していたテミンさんのような評判を得られると思う。だが現在の彼は、それをしない。いつもどの曲でも大体同じような表情だし、基本的に笑顔以外は硬くバリエーションが少ないと個人的には感じている。否、しないのではなくできないのだと思う。
この世はトキシックマスキュリニティが蔓延る、ホモフォビア社会である。神は女性に出産能力を与え、男性に武力を与えた。その武力は権力になり、古今東西多くの時代や国で男性優位社会となった。男性の中でも最も多く割合を占めるシス・ヘテロ男性が築く社会(男性ホモソーシャル)は、基本的にミソジニーとホモフォビアを有する。その二つを主に用いて、男性は自身の権限を誇示したり、地位や名声を高めたり、同性同士の絆を深め、プライドを満たし、自分たちにとって生きやすい世界を創り上げてきた。特に兵役(軍とは最高のホモソーシャルである)が義務付けられている韓国では、多様性の認知が良しとされてきた昨今でも、その風潮がまだ根強い。同性に疑惑を向けられるだけで立場が悪くなる。また、社会に浸透した男性由来のミソジニーとホモフォビアは、宗教や政治を通して女性も支配し、そのバイアスを植え付けている。その中でクィア発祥のワッキングやヴォーギングを思春期に選択する(できる)のは、本人にホモフォビアのない、クィア当事者である可能性が非常に高いと私は思っている。彼が最も好きな映画として挙げている「グレイテストショーマン」も、マイノリティが社会に踏み潰され無いものとされた自信を取り戻すストーリーであり、その中でも一番好きだと言う「ザグレイテストショー」という曲は、その自信をアーティシズムに変えて咆哮し、高らかに歌う曲だ。だが、アイドル業界(特にKPOP)はクィア当事者が多いにも関わらず、男女二元論的な世界であり、当然の如く異性愛規範だ。ファンは身勝手にシスヘテロだと自覚なしに思い込み、理想を押し付ける。彼が積み重ねてきた表現方法や感性そのままでは、アイドルっぽくないと評されたり、また笑いのネタとして揶揄される。
アイドルとしての面を「守るため」にクィア的な面を隠そうと過去の動画を広めないように韓国のファンたちが画策し、それは非常に差別的である、と海外圏では批判されたりもしていたが、実際に彼本人が過去の表現について言及し、誇りを持っていると明言するほど、揶揄いのネタとして扱われていた。それらの背景があり、職業アイドルになった彼が、過去を全て今に還元できるだろうか?できないのだろうと思う。個人の考えだけではなく、製作側の意向でもある。(直され、ているからだ)
だが、誇りに思うべきだけではない、思われるべきなのだ。ソンハンビンという人間の過去も今も、立場や尊厳がなんであれ、私の推測が正解であれ不正解であれ、全てが本来は肯定されるべきものだ。笑われるものでも隠されるものでもない。磨いて培ってきた全てがアイデンティティとなり、アーティシズムとなる。それが唯一無二の個性、というものだ。
その落とし所を、彼はずっと模索しているように見える。インタビューでも、アーティストは自分だけのアイデンティティがあるべきであり、自分もそれを探していると発言している。今、見せているアイドルとしての面だけを見たら、模範的で普遍な巧みさであるが、過去も合わせて見ると、印象は激変する。相反するような複数の側面を持つパフォーマーにアイデンティティがないのだろうか?私もステージでの表現をしてきたことがあるし、周りにもそういう人間が多いので確信を持って言えるが、ないわけがない、と思う。本当はある。でも適切な落とし所が見つからず掴みきれていないだけなのだ、と思う。
「毎日アイドルでいよう、でも自分を失わないようにしよう」という発言も、いま表現しているアイドル像(パフォーマンスに限った話ではないが)に満足していたら出ない発言である、と感じる。
ソロでツアーをやりたい、KPOPに一線を画した人になりたい。彼のその発言は、今だけでなく過去もより愛している私にとっては希望だ。ただ上手いだけでは、人気があるだけでは本当の特別にはなれない。「縦横無尽で破天荒、強弱も清濁も合わせ持ったDiVA」が「爽やかなアイドルを演じている」のではなくて、前者と後者の全てが同じ場所で発露される未来。アイドルとしての努力をし、新しく研鑽し自分のものにしたフィルターを通して過去の全てを再解釈する未来。その日がいつか来るのではないかと、期待してもいいのではないかと思える、大切なインタビューだった。
︎●ジウビンの人間的相性と共通点
-自己啓発とリーダーシップの観点から-
ハンビンもジウンも朝や夜、日々の行動のスイッチの入れ方が、かなり自己啓発への傾倒や影響を感じる。それについて ボイプラ放送時から述べたいと思っていたが、この機会にまとめる。
ハンビンは今までに、日記に書籍の言葉から鼓舞される感覚について記している。これは最もわかりやすい、自己啓発というものを学んだ人間の特徴である。また、朝に森を散歩して果物を食べてといった自然からの雑音や刺激を得ることが身体的瞑想に繋がることを知っていたり、成功者はどんなバックグラウンドを持っていても行動原理や精神の使い方は同じで学べるものがあると理解しており、倣おうと異業種の著者による本を読むなどしている。
ジウンはまさに瞑想が趣味だと語っていたことがある。その瞑想は恐らく「瞑想そのもの」でもあり、「瞑想的行動」でもある。日々のルーティンも、絵や詩作を通して自己を見つめる芸術が好きであることも。また彼もハンビン同様に最近読んでいる本に啓発書を挙げていた。二人とも読書が趣味、言葉の温度が似ていると本人が発言しているが、感性の習熟に繋がる文学だけではなく、実学の読書に関しても系統が似通っており、何から行動原理のヒントを得るのか?手を伸ばす先の知識について、共有しているものが多いと思われる。
それが、それぞれがリーダーシップにおいて大事にしていることが、共通している様に表れている。リーダーシップとは、主に先導型と後方支援型のふたつがあるが、二人はどちらも後者である。年長者であるジウンとリーダーであるハンビンの方向性が同じであることは、グループのメンバーにとってとてもやりやすいのではないか。二人がメンバーに対してどのような存在かについて、ジウンは父と母のイメージが浮かぶと言っていた。よき夫婦のあいだにあるべきものとは、盛り上がった感情の先に結ばれた、情熱的な愛ではない。家庭という会社を経営する同僚、バディとして対等に、同じ方向を見つめることが重要だ。このように「見つめ合う」のではなく「同じ方向を見る」夫婦でなければ家庭は長続きしない。このバディ的な夫婦のイメージを本人が持てているというのは、グループの統括としてとても適切だろう。
二人がどんな後方支援型のリーダーシップを持っているのか。ジウンは傾聴することが大事、ハンビンは待ちの美学だと語る。
二人とも自分発信ではなく、相手に委ねる形のコミュニケーションを選択している。これは儒教の精神が強く年長者の声が大きい韓国社会において、年下のメンバーにとって、威圧感がなく、風通しのいい環境の大きな要因になるだろう。
二人はMBTIが同じENFJである。これを知ったボイプラ放送時(私個人としてはこのMBTIという尺度については若干懐疑的な姿勢であり、占いのひとつ程度として捉えていると断っておく)このようなツイートをした。
「ジウビン、足りないところをカバーし合えるというよりは同じ目線、方向で物事を見れるから、努力や擦り合わせしなくても阿吽の呼吸になりやすそうだなと思った。二人が年長者として信頼し合って、まさに夫婦のようにグルを先導してく未来ありそう。」
過去に書いたことの答え合わせが、本人の口から出た時(夫婦のイメージへの言及)、アイドルという存在への人物解釈は、ついつい偶像というフィルターがかかりがちだけれど、個人的にはわりと実像に迫れているのではないか…?と嬉しく思った。
根源的な感性や行動原理、インプットとアウトプットが多く共通している相性の良いだろう二人が、今後どのように他者を共に導き、自らを切り拓くのか、とても楽しみにしている。