私の転職記(2)すき家
noteは週一更新目指していますが、文章書くのって結構時間がかかるものですね。気がついたらものすごい時間が経っていたりします。3時間とか汗
前回、イラストACで作った求人チラシのテンプレートですが、自分自身でもエクセルでアイコン使って見本を作ってみました。
すき家でパートをしていた頃、人手不足が深刻で社員さんにお願いしても、なんにもしてもらえませんでした。(タウンワークで募集かけるとか、求人バナーを持ってきてくれるとか。今思うと社員さんも本当に忙しく過酷だったんだと思う)何もされてないと新しいバイトが入ってくるわけもないので、自分でチラシを作って店内に貼ったり、みんなで配ったりしてました。効果は0ではなかったです。
イラストACにこのテンプレをフリー素材として提供したんですが、閑古鳥が泣いているので白黒バージョンを作りました。(懲りない笑)
黄色バージョンは、ちょっと求人チラシにしてはイメージが固定されすぎたかなぁっていうのと、白黒の方が家でもプリントしやすいし(コピー代安いし)、カラー用紙にコピーしたらカッコいいかなぁって思ってます。
6年ぶり、久しぶりの仕事!
前回の記事の続きになります。
下の子が幼稚園に入園しました。
前職を辞めてから6年経ってました。募集の電話をするのも、面接をするのも、ひとりで出かけるのも久しぶり!!入園して少しはゆっくりひとり時間を堪能しようかと思ったのですが、長い間べったりと子供と過ごしていたので一人は家の中ソワソワ。テレビつけても、今まではEテレ、プリキュア、戦隊もののDVDばかり見ていたので、ドラマを見たりしようかとも思ったのですが、ドラマがつまらない。ワイドショーがつまらない。外に買い物に出かけると余計なものをあれこれ買ってしまって、お金がない。
仕事しよう・・・笑
近所にすき家ができてオープニングを募集していました。
昼帯は私を入れて、同じくらいの子がいる同じくらいの年齢のママさん5人。
夜帯は当時高校生や大学生が多数。
深夜帯はフリーターの人が数人。
私は土日のどちらかは入っていたので、学生の子達とも仲良くなりました。
何が楽しいって、仕事ができる喜び!
自分のお金が入る喜び!
一番の喜びは、『〇〇ちゃんママ』じゃない自分自身の名前で呼ばれる喜び!!
子育ての話題以外の会話ができる事が本当に楽しかったなぁ。
2013年後半から雲行きがあやしくなる
下の子が幼稚園に入ったからといっても、15時には帰ってきちゃうし、熱出して急に休みにしてもらったり、行事も頻繁にあって、これは普通に復帰してたとしてもフルタイム勤務は無理だったよなーって、幼稚園児2人育児になって思ったんですが、昼帯はそういう人ばかりなのでいつでも替えが効くように人数がいた。平日の昼帯は2人、多くても3人いればまわる店なので、5人もいるパートシフトを回すとなるとシフトに入れない日ももちろんある。だから週3くらいだった。
これじゃ月に2、3万円にしかならないので、土日の昼も入ってた。
土日もシフトになかなか入れないくらい学生も沢山いたので、仕事にもゆとりがあった。ピークが過ぎた時間帯の仕込みの時間帯はおしゃべりができて楽しかった。
当時はまだ私がリーダーではありませんでした。
フリーターのSさんがバイトリーダーとなって、昼夜深夜、いない穴を埋める感じで仕切ってくれていた。
オープニングから数年経って、ベテランになってた学生ちゃん達が大学卒業の年を迎えた。卒業前に辞める子ももちろんたくさんいたけど、オープニングって同じタイミングでたくさん入るから年齢がほとんど一緒の学生が多い。この代は特に多くて、2014年の春に高校や大学を卒業する子ばかりだった。
一気にいなくなってしまうのがわかっているので、その為の欠員募集をかけてくれって9月くらいから何度も社員にお願いをしていたのだけど、当時のお店は長期休みに入った学生や進路が決まった学生がフルでシフトしてくれていたので潤っていた為、全く動いてくれませんでした。
人が去っていく第一弾は『弁当ダイヤル』
この頃だったと思う。弁当ダイヤルたるものができたの。(今あるのかしら)
土日に突然弁当40個とか注文が入るようになった。
売り上げが立たない日は人員を減らせとマネージャーから指示があって、あんまり客が来ないなぁって時は、店に来ているのにシフトに入ってはいけないという暗黙のルール。
こっちがシフトを調整して入り時間を遅らせたり早めに上がらせたり、店にいるのに休憩時間を長めにとってもらったりって調整してるのに、本部からはお構いなしに突然大量注文がくる。近隣でイベントがある時は、同じような注文が重なったりして100個以上っていう時もあった。弁当注文を受けるのは本部。
弁当の引き取り時間をずらしたり調整してくれるってことは全くないので、学生のバイト達は、急に呼び出されたり、帰れと言われたり、不満が溜まる一方だった。
すき家は、他の飲食店に比べて少し時給が高いのが売りだったのだけど、どのチェーン店も人手不足が始まっていたので、同じ街道沿いの店が時給を上げてきたからうちの方が低くなってしまっていた。
当然、こんな過酷なすき家より、楽な時給の高いバイトに流れるよね。
オープニングからいた子が、フェードアウトという形で少しずつ消えていった。後から、『〇〇君、あそこのコンビニ(近く)でバイトしてたよ』とか聞く。
人が去っていく第二弾は『牛すき鍋』
これはどの店舗も人が去っていく原因となったと思う。
まず、オペレーションが糞。
美味しい美味しくない以前に、よくもまぁこんなオペレーションで世に出したな!ってレベルで大変だった。
仕込みも大変、配膳も大変、バッシング(片付け)も大変(1人1膳しか持って動けない)、焦げついてこびり付いてるから洗うのも大変。
これをワンオペでやれと?馬鹿か?
昼ピークが過ぎた後、仕込みも何にもできない、洗い物も溜まった状態で夜のバイトに引き継ぐ。仕込みがない状態で夜ピークを迎えるのでキッチンはメチャメチャになり、その皺寄せは深夜帯に行くが、その深夜帯は1人。そうワンオペ。1人で全てを片付けて接客して掃除して仕込みして。できるかっての!!
そんな状態で朝を迎え、深夜帯の片付けが終わらないまま昼ピークを少ない人数で迎える。負のループエンドレス。
すぐに店は崩壊した。
『事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!!』
ほんとそれな。
あまりの過酷さに、またフェードアウトする子が増えた。
安定していた深夜帯の子がストライキを起こして集団で辞めた。
リーダーをしていたフリーターのSさんは深夜にも入れるけど深夜帯の人ではない。もともと他のバイトも掛け持ちしていて、劇団の人だったので時間に融通がきくから穴埋めをしていてくれただけだったんだけど、毎日深夜帯に入るようになった。
目に見えてSさんの顔色が悪くなっていく。
マネージャーにこの状況を説明したが、その後、一度もうちの店舗に顔出すことはなかった。なぜかって、他店舗も同じような状況に陥り、バイトだけでなく社員もがどんどん辞めていっていたからだ。どの店舗も崩壊していたのでそのヘルプに回っていた。マネージャーも顔が土色だった。ある日、突然マネージャーが変わったので、前のマネージャーはどうしたのかと聞いたら、突然来なくなって辞めたらしい。(そりゃそうだ)
書くのを躊躇うが、Sさんはとうとう日中にフラフラしてしまったせいで事故を起こし、大事には至らなかったが怪我をした。他店舗でもヘルプのバイトさんの車の事故が多発しているって聞いた。
私は子供がいるから時間に融通は効かないけど、Sさんを助けたかった。
早朝バイトを始める
すでにSさんは夕方18時から朝の8時までというシフトを連勤していて、他のかけもちしていたバイトはどうしたのか?って聞いたらクビになったと。昼間は劇団に行く。
あまりに可哀想で、私は夜は入れない、深夜も入れない、でもSさんを助けたい。
出来るのは、朝4時から7時までシフトだった。
朝4時に店に行って、Sさんに帰ってもらって、昼帯の人は8時からなんだけど、1時間早く来てもらって7時に私は家に帰る。子供を起こして幼稚園の準備をして、幼稚園に送り出した後、また店に戻る。
おかしくなっていくすき家
3月が来てしまった。
たくさんの学生さんが社会人になって巣立った。新しいバイトは入っていない。
それに便乗して3年生だった大学生も一緒に辞めていった。3年生で残ってくれたのは私を慕ってくれていた女の子2人だけ。
すき家の用語で『回転』っていうのがあった。1回転は24時間、2回転は42時間ぶっとおしで店にいること。
当時のマネージャー陣も大量退職があったみたいでみんなが1回転、2回転していた。もちろんSさんも。そしてSさんも辞めた。限界だった。
そして私がリーダーになった。
その頃、Twitterで他の店舗が店を閉めちゃった話が盛り上がってた。
当時の記事が残ってました。
私は深夜はできない。
フリーターの子も他にいたけど強要はできない。
みんなで相談して決めた。うちの店舗は24時間を辞める。
24時間営業を辞めた、それから1年後
1年は24時間営業を辞めてたかな。
少しずつだけどみんな顔色が戻ってきて悲壮感がなくなってきた。夜はラストオーダーを決めて掃除をして終われるので、店は綺麗になった。
とりあえずバイト仲間を増やしたいって、新しくなったマネージャーにお願いして基本時給を上げてもらえた。冒頭にあったチラシを作ってみんなで貼りにいったり配りに行ったり。
ああいった大変な事が起きると、残った人たちに団結力が生まれる。
残ってくれた当時大学3年だった子達とは今でも連絡をとっていて、たまに飲みいったりしてる。コロナが流行っちゃって、もう2年くらい会ってないけどね。
プチ事件があったとすれば、強盗が入ったことかな!笑
24時間営業ではなくなったので、店が無人になる。
たぶんだけど、犯人はすき家でバイト経験のある人たちじゃないかと思っている。お金のありかを知っているのとか、すき家の店舗だけ狙ったところとか、絶対でしょ。
朝シフトに入ってたパート仲間が、鍵を開けに店に行ったら鍵がぶっ壊されてて、怖くて警察に電話したって。
急いで行ったら、思いっきり強盗が入った後の店になってて、警察が黄色いテープを貼ってて、ドラマみたいーーーーって思った。
同日、他店舗も連続でやられてました。
ただ、当時、すき家を狙った強盗が多発していたので、マネージャーの指示でお金は通常の指定の場所ではないところに隠していた為、1円も取られていませんでした。がっかりしただろうなー犯人。
24時間営業に戻ることになったので辞めた
2014年の12月。
次の年のすき鍋が始まった。
オペレーションは改善されたようなされてないような?大変なのは変わりなく。
私たちは、懲りずにまたやるんかーい!!って怒りを通り越して呆れてしまったのだけど、儲かるんだろう。
バイトの人数も時給が上がったからか、募集をかけてくれたからか、私たちが配ったチラシ効果なのか、ただ単にこの騒動を知らなかっただけか、新大学1年生や、フリーター、高校生が入ってくれ、少し活気を取り戻してた。
一緒に長くオープニングからいてくれてあの騒動後も残ってくれた大学4年生の女子2人もまもなく卒業して社会人になる。私は漠然と、この子達と私も卒業しようって思っていた。
下の子が幼稚園入園とともにすき家にパートで入ったけど、もう下の子は小学生になっていました。そろそろ、飲食店じゃなくてデザインの業務に戻りたいと思い始めていた。そんな時、マネージャーから『来月からこの店、24時間営業に戻ることになったから。しばらくは深夜帯は他店舗のヘルプでまかなうけど、募集はかけててボチボチきてる』といわれた。
また思い出す悪夢。
辞めなさい!!って脳みそが警笛を鳴らした。
この機会を逃したら辞めどきを逃してしまう。
一緒に長く働いていた昼のパート仲間、大好きな大学4年の女子2人、私を慕ってくれた高校生や大学生に『急に辞めることになってごめん』と言って、1ヶ月だけ働いて辞めた。
次のリーダーは、すき家騒動の時にたくさん相談に乗ってくれて、『私は深夜とか回転とか絶対にしないからね!』って強い意志のあるフリーターのMちゃん。
2014年12月に私はすき家を去りました。期間としては5年弱。
頑張った私。
(※多少内容や時期にフェイクが入っていますが、当時のすき家の状況に嘘はありません。)
私の転職記(3)につづく。
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